ルーマニア・ランニングライフ★Romania Running Life★

ダーリンはルーマニア人、マラソンシューズ゛と共に過ごす首都ブカレストでの日々。東欧の神秘ルーマニアを探索中+ラン遠征。

厳しかった夜間12時間の単独走

2014-09-07 | 日本でランニング


ずっと参加したいと思っていたリレーフォーライフ芦屋、これまでは日程が合わず、今年やっと参加できました。

前の実行委員長のT内さまには、2年連続で1000km Balkan Charity Challengeを走る私にご支援いただいています。また、今の実行委員長のKUMAさまからも「T内さんが支援されている人なら。」と、直接の面識無いときから、バルカンチャレンジにご支援いただきました。今回やっと会場でご挨拶、お姿もお心も大きなKUMAさんです~。



とはいえ、12時間走が初めてなら夜間走も初めて。トラック周回なのでペースも判りやすく、走破した距離は、52キロ。あれ?~途中で寝てしまったのです。

大会運営は行きとどき、エイドも充実、スタート直前まで土砂降りの雨でグラウンド中水たまりだったけれど、ボランティアの方々が箒などで丁寧に履いて下さり、じきに解決しました。



乾燥して土埃の中を走るよりも、走りやすかったはず~たくさんのチームリレー、そして個人走、リレーウォークの皆さんと一緒に、声援の途切れることのないトラックを廻っていました。



参加者一人一人が、メッセージを書いたルミナリエが走るコースを導いてくれます。リレーウォークの人が、バナーとともに額縁に入れた追憶の写真を掲げておられます。ガンからのサバイバーの方々の手形を押したバナーもコース脇に。



気持ちは高まってきて、軽く走り出しました。2時間経過後で18キロ(30分ごとのエイド休憩も含めて)、これが私にとってオーバーペースだったのです。3時間を越えると歩き始めてしまいました。4時間経過してやっと30キロ。

そして睡魔に屈しました。スタート後6時間を越え、トラック周回が反転した直後から、休憩と仮眠に(このときまでの走行距離は39キロ。再びトラックに戻れたのは、ラスト2時間を切ってからでした。


 
朝のラジオ体操に参加したり、モーニングコーヒー・温かいにゅう麺などをいただいて身体を起こし、何とか最低目標の50キロは超えなければ。
 
サバイバーのご婦人から「(走ってくれて)ありがとう=」と言ってもらったけれど、こちらこそ、勇気をいただいてありがとうございます。

応援ランで会場まで駆けつけてくれたラン友もいます、そしてサポートありがとうございました。彼女は、この芦屋ではずっと、ランナーまたは大会運営スタッフとして参加されていた方、その大会にやっと私も参加できてうれしいです。

ボランティアの方々は一睡もせずに大会にかかわってくださっているというのに、私は寝不足で太陽が黄色く見えてしまい目がチカチカ、後片付けも手伝うことが出来ませんでした=。
 
私にとって初の夜間走・12時間走は、その目的がチャリティーだから参加できたイベント。多くの皆さんで作っている良い大会でした、参加できてよかったです。ありがとうございました。


ランニング部門⇔⇔⇔海外ブログ部門
↑↑いつもご声援ありがとうございますm(__)m↑↑