ルーマニア・ランニングライフ★Romania Running Life★

ダーリンはルーマニア人、マラソンシューズ゛と共に過ごす首都ブカレストでの日々。東欧の神秘ルーマニアを探索中+ラン遠征。

ルーマニア市民ランナーがボストン爆発犠牲者追悼ラン

2013-04-18 | ルーマニア・ランニング事情

 
ボストンマラソン会場での爆弾テロ事件は、ランニングブームにある世界中を震撼させた出来事。平和であるからこそ享受できる市民スポーツの喜び・達成感を目前にした場所での爆発、同時多発で多くの犠牲者が出てしまい、誰もが許せない事件だと憤りを感じています。
 
そんななか、ボストンマラソンでの犠牲者に哀悼の意を表し、二度とこんなことを起こらしめてはならないとのメッセージをこめて、ルーマニアの市民ランナーがいち早く追悼ランを行いました。17日午後7時、首都ブカレストの代表的なモニュメントである凱旋門に集合し、そこから北上、在ルーマニア・アメリカ大使館を目指したのです。
 


呼びかけ人はこのひと、世界各地のマラソンで開催国とルーマニアの国旗を掲げて走る友好フラッグランナー、イリエ・ロシュ氏。彼自身、2010年のボストンマラソンに参加、そのときに着用していたTシャツと当時のナンバーカードをつけての追悼ラン。胸には完走メダルが光っています。
 
市民ランナーグループと警備組織の共催となったこの追悼ラン、ルートは市街地と国際空港を結ぶ幹線道路を走るので、ブカレスト警察も憲兵隊(Jandarmerie)も出動、白バイ隊に守られながらの5キロ余りのランニング(走る場所は歩道)。



メディアも協力し、ラジオ生放送でこの日の夕方の追悼ラン開催を伝えていたので、「公園で走っていたらこのイベントのことがラジオで流れてきたのでやってきたの。」と、集まってくる人もいました。
 


ランナーだけではなく、この趣旨に賛同したサイクリスト達も集合。めいめいの思いをこめてバイクをしつらえてきました。
 


「4.15.13 BOSTON Runners United to Remember」と胸に表し、星条旗を掲げて走っていると、通り行く人から「アメリカなんか、嫌いよ!」と心無い野次が飛ぶことがありました。無理もないです、親米路線をとるバセスク大統領の施策とは裏腹に、ルーマニア人のアメリカ渡航に関するビザ発給では厳しい審査が課せられ、たとえ数日間の観光旅行であってもビザを取得するにはかなりの書類と手数料が必要なのです。
 


でも、そんなことは今は問題ではありません。市民スポーツを愛するすべての人たちの心を踏みにじるようなテロ事件が、アメリカという国で起こってしまったのです。42.195キロの距離を公道を使って走るマラソン、すべての行程を警備するのは不可能なこと。



今回はアメリカで起こったけれど、これがヨーロッパで起こらないとは限らない、さらに日本で起こらないとも限らないのです。ボストンマラソンに匹敵する世界6大マラソンに、東京マラソンは名前を連ねています(ボストン・ニューヨーク・シカゴ・ベルリン・ロンドン、そして東京=「ワールド・マラソン・メジャーズ(WMM)」)。
 


走り始めた私達の心はひとつでした~純粋にスポーツを愛し、共有し、スポーツによってお互いを高めていきたいという私達の思いをもっと強く感じあいながら、だからこそ今回の事件はとうてい許せない。
 


夕刻の渋滞の時間帯ですが、信号もうまく潜り抜けほぼノンストップでアメリカ大使館前に到着。持ち寄ったキャンドルをともし、献花、黙祷。
 


在ルーマニアのアメリカ人コミュニティーからRobさん(中央の水色Tシャツの方)、
「アメリカで起こった事件のために、ありがとう。」
 


スポーツはけがれなきもの、私達は走り続けます。

ルーマニアからは:
今年のボストンマラソン、ルーマニアからは2名のランナーが参加。不幸中の幸いながら被害はありませんでした。

2010年のボストンマラソン、完走メダル:


アメリカとルーマニアの国旗を両手に掲げ走ったイリエ・ロシュ氏、4時間3分で完走。もしその日に爆発が起こっていれば・・・・。とても他人事ではないのです、すべてのランナーにとっても。



マサチューセッツ州では4月の第3月曜日が米独立戦争の発端となった戦いの勝利を祝う「パトリオットデー(愛国者の日、Patriots' Day)」の休日、メダル裏面に2010年のその日付が刻まれています。

 
ランニング部門⇔⇔⇔海外ブログ部門
↑↑いつもご声援ありがとうございますm(__)m↑↑