ルーマニア・ランニングライフ★Romania Running Life★

ダーリンはルーマニア人、マラソンシューズ゛と共に過ごす首都ブカレストでの日々。東欧の神秘ルーマニアを探索中+ラン遠征。

クロードさん、ブカレスト市内観光

2007-08-16 | 友人のルーマニア訪問
フランスからのお客様、クロードさん、今日はブカレストで最後の一日となりました。ステファン一家とマリアン一家はそれぞれバカンスに出かけてしまい、ブカにはいません。昨夜クロードさんが一泊したビクター宅も今日はウィークディとあってご夫妻ともどもお仕事。マイダーリンも仕事。
 
というわけで、このワタクシが観光ガイドを務めることになりました~「日本人ガ、フランス人ニ、ブカレストヲ案内スルノ!コレハ、ケッサク!」と昨夜に決まったこの案にみんな大賛成。

そういえば5月にTPCに参加したとき、その宿舎で一緒になったスロバキア・チームの女の子達に、私がルーマニア語の「コンニチハ」を教えていたんですよね~。そのときクロードさん、「コノinternationalな様子ガ、TPCナンダヨ。」と喜んでくださいました。



朝9時半にクロードさんをビクター宅からピックアップ。やはり街の中心を見ていただこうとピアッツァ・ウニリ(=統一広場)から旧市街へ先ずご案内。大通りから少し中に入って1808年築造のブカレスト最古の木造ホテル、ハヌル・ルイ・マヌックから北方はアンティーク・ショップ通り(ただいま補修工事中のところもあり)。

クロードさんご自身、古いラジオをコレクションしておられて、築200年の石造りのご自宅の一室はまるでミュージアム。アンティーク・ショップ巡り、一軒一軒お店を訪ね歩いておられました。

店のアンティークグッズの価格はお安くはないけれども品質は確かであること、ひとつのお店に一台しかアンティークラジオを置いていないところでは価格はかなり高いめであることを教えてくださいました。

パリには古いラジオ専門のお店がいくつかあって、そのうちの3軒ほどはクロードさん御用達、古いラジオが入荷すると店主が直々に電話をかけてきて、店頭に並ぶ前に取り置きしておいてくれるそうです。「収集家ハ、欲シイ、ト思ウト、幾ラデモ払ッテシマウンダヨ。」とクロードさん。



ピアッツア・ユニバシタテ(=大学広場)までぶらぶら歩き、ガイドブックに載っているような象徴的な建物の前で記念撮影。



インターコンチネンタル・ホテルは、共産主義時代からの5つ星ホテル。前には日本の旗もなびいていますが、中に入ったことはありません・・。



地下鉄で北上、ブカレスト最大面積のヘラストロウ公園へ。ひとつの湖の周りを1周するだけで6キロ、いくつもの湖がある公園なので一角を横切り、公園横のテラスでお昼時間となりました。クロードさんは習慣上、毎日決まった時間に三食をいただいているそうです。

「昼ハ11時半カラ、アペリティフ(=食前酒)、12時からランチ、1時から30分、コーヒータイムデ、寛(=くつろ)グ。夕方は7時半カラ、アペリティフ(=食前酒)、8時からディナー。毎日時間ガ決マッテイルノデ、友人達モヨク訪ネテ来テクレルヨ。」、奥さまは毎日、お茶の時間に訪ねてきてくれるたくさんの友人ために、大きなケーキを一台焼いておられるそうです。『人と出会うのが一番』とおっしゃるクロードさんらしい日々のようです。

ゆっくりピザとビール、食後にアイスクリームとコーヒーもいただいて、向かいにあるヨアンダ・バラシュ陸上競技場に立ち寄りました。



毎年、ここでブカレスト警察チームの合同練習があってその後全ルーマニア警察官対抗の陸上競技大会に臨むこと、来週にはここでルーマニア・ベテランズ選手権大会が行われることなどを説明。



隣にはルーマニア陸上競技連盟の会館もあり、今日は前に「SZG」のナンバープレートの車が止まっています。この車はルーマニアの誇るオリンピックチャンピオン・ガブリエラ・サボー選手のもの。引退後は陸上競技連盟のためにご尽力されています。

この写真を見てマイダーリン、「何故、中ニ入ッテイカナカッタノ?サボー選手ハ、ヒロコノコトヲ覚エテイルヨ。『私ハ、サボーノ友達、サボーニ会ワセテ。』ト、クロードヲ、サボーニ紹介出来タノニ。」といいますが、いやぁ、ちょっとそこまでは度胸がありませんでした。



昼からはヘラストロウ公園内にある「ムゼウル・サトゥルイ」(=ヴィレッジ・ミュージアム、農村博物館)へ。ルーマニア各地方の18~19世紀ごろの農村の建物がそのまま移築され、オープン・エアでぐるりと散策できます。



クロードさんご自身もノルマンディーの農家の7人兄弟の2番目として生まれ、子供の頃は週末も学校の休暇も、みんなで一緒に外に出て働いたそうです。



18世紀ごろの半地下にもぐる萱葺きの居宅、水車を利用した圧縮機、農家の庭に必ずあったと言うトウモロコシの貯蔵庫など、農村での暮らしぶりを説明してくださいました。



おおきな木造教会はここで一番の見もの、これもその地方から移築されたものです。



農村博物館を出て南へ、ブカレストの凱旋門です。パリの凱旋門よりもずいぶん小ぶり、町の中心から離れているので廻りは車が通っているだけですが、一見の価値はあり。



ロータリーからは深い並木道が続いていて、あたりは各国大使館などが多く立ち並んでいる閑静な街区です。ブカレスト日本人学校もこの近くにあります。

ゆっくり散策していると程よい時間になりました。ビクター宅にクロードさんを送り届ける約束の時間です。エンジニアのビクターは朝の7時半から3時半が勤務時間、勤務先まで2キロの道を車で通っているので通勤時間はほとんどかかりません。

ビクター宅で軽く食事をいただいていると6時近くになって奥さま、ご帰宅。9時から5時のお仕事だそうで、普段、学校に2年生のエリカちゃんを迎えに行き、宿題を一緒にするのはビクターの役目だそうです。

ただいま夏休み、エリカちゃんは田舎に帰省中。「We miss Erika」(=エリカちゃんがいなくて寂しいわ)でエリカちゃんの写真を持って、みんなで記念撮影。セルフタイマーで撮影する私に、「写真ヲ撮ルノハ、日本ノ、ナショナルスポーツダネ。」とクロードさん。



クロードさんのブカレストでの1週間をほとんど撮影していたので「オカゲデ、my wifeニ、何処ヘ行ッタ、ナド、説明シヤスイヨ。」、明日からは旧来の友人を訪ねてトルゴヴィシュテに行かれるクロードさん、写真を整理してCDにまとめ、すぐに発送しておきますね、フランスに帰った頃には到着しているように!


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山のリゾート・ブシュテニ巡り

2007-08-15 | 友人のルーマニア訪問


山のリゾートでの3日目は、プライベートルームでの朝食のあと(=食事は付いていないので自分達で買ってきたものをお部屋でいただきました)、カフェでのコーヒータイムからのんびり始まりました。



さすがに昨日、8時間以上歩いたのでまだ疲れが残っています。今日は山に登るのではなく周辺を散策です。



町の中にあるフランス記念館を訪ねます。ブシュテニとの友好記念館で館長さんはルーマニア人ですが元フランス語の先生、フランスからのクロードさんとフランス語で話が弾んでいました。ここでキャンプ用具の入った重いリュックを預かってもらい、身軽になりました。



ブシュテニの市場散策。手作りの蜂蜜、アカシアからのものは3割ほどお高いですが貴重品です。ほかに羊乳チーズや山間から取ってきた木の実が売っています。ラズベリーやブルーベリー、プラスチックカップに一杯2レイほどです。



銀行もあります、キャッシュカードコーナーの入り口には「拳銃お断り」のステッカー。この山のリゾートの小さな町で、拳銃強盗があるのかしら?



テレキャビン乗り場に向かう道中左手の山道を上がっていくと、修道院が立ち並ぶ広場に出ました。以前は1つだけだったのですが、敷地を作り、それぞれ趣をたがえていくつか立ち並ぶようになったとのこと。今でもひとつ、建築中です。



テレキャビン乗り場を右手に見ながら通り過ぎると、トレッキングルートの始まりです。ここからブチェジ山に上がるルートはいくつかありますが、テレキャビンの直下を上がるルートは最も距離が短いながらルーマニアでいちばん危険なルート、ヨーロッパで2番目に難しいルートと言われています。

ほかにピアトラ・アルスを経由してブチェジ山に上がるルートもあります、これは4~5時間のルート、時間はかかりますがマイダーリンも上がったことのあるルート、マラソン・ランナーならきっと上がれるルートです。



私達はここから30分のところにある滝を訪ねます。町に泊まっていても散歩がてら楽に歩けるし山の気分を味わえるので、サンダル履きの人も多いです。 



大きくはないけれども滝のすぐ横まで近づくことが出来るので迫力満点の滝。滝の水しぶきはとてもひんやりしています。滝壺で冷やしたビールなどを売るお店が出ていたり、湯がいたトウモロコシ売りのおじさんもいます。



町から運んできた食料で実に簡単にピクニック。滝を見るだけでなく、ゆっくりとどまってピクニック・ランチで楽しむのが山のリゾート風。私達はクロードさんもお気に入りのシルバ・ネグロ(=シルバ銘柄の黒ビール)とコブリッジのスナック菓子で乾杯。



滝の横の急な斜面を上がっていくと、上にどんどん滝が連なっています。シルバ・ネグロはアルコール度数7%のちょっと強いビール、足元に気をつけて。

今日の天気は散策日和、気温も快適、坂道をぐんぐん登るのでなければ汗もかきません。山の緑はいつ訪ねても、いつまでもその空気の中に居たいような、不思議な風が吹いてきます。




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ブシュテニのプライベートルーム

2007-08-15 | 友人のルーマニア訪問
オム峰から下山してきたのが夜の8時過ぎ、お気に入りのマリアおばあさんのプライベートルームに連絡してみますが、あいにくその夜は3室とも満室。近くにある妹さんのルームを紹介してもらいました。シングル25レイ、ダブル50レイ、バスタブはなくシャワーですが掃除も行き届いていて快適です。



マリアおばあさんとは6月にブシュテニを訪ねたときに駅前で出会いました。ブシュテニにはペンションやプライベートルームがたくさんあり、電車の到着時刻にあわせて駅前で客引きが待ってくれています。

気のよさそうなおばあさんだったので「部屋ヲ見セテアゲルワ。」に付いていき、家族と共同ですがバスタブもあり、キッチンも使わせてもらえることからお気に入りになりました。上の写真はマリアおばあさん。



妹のフロリカさんのルームは2階建て。1階(こちらの数え方ではパルテール=地上階)に共同シャワーとキッチン、トイレも2箇所あります。シングルとダブル、合計6部屋あるそうです。古い建物を改造したものです。



お姉さんのマリアおばあさんとそっくりのフロリカさん。昔から住んでいる人たちが、子供達が独立して行った後の空き部屋をプライベートルームとして貸しているのがとても多いのがブシュテニ。王侯貴族たちの夏の避暑地として栄え、宮殿風の建物が多いシナイアとはまったく違った町並みです。

便利メモ:マリアおばあさんのプライベートルーム
 Geanta Maria
Str. Nestor Ureche Nr.11
Tel 0244 321642 or 0721 625 898
(ホテル・アレクサンドルの裏手、川沿いを上がっていきます、駅まで迎えに来てもらうことも出来ます。)


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オムから下山:旅は道連れ

2007-08-14 | 友人のルーマニア訪問


同じ下山ルートをたどると言うティミショアラからの大学生と一緒に下ることにして、旅は道連れ、勇気百倍。視界が悪いながらもマップとコンパスで方角を確認し、いくつかある下山ルートに迷い込まないよう、私達のルート、イエロー・ラインを探し当ててくれました。



雨も止み、天気情報通り30分もしないうちに視界が開けてきました。霧の中から脱出、しばらく行くと下の街も見えるようになりました。



岩場も過ぎ、安心して歩いていると4匹のロバくん。のんびりと草を食べていましたが私達の姿を見ると、怖がるどころか人懐こく近づいてきます。「キット、今迄ニ、他ノ登山客ガ、甘イモノカ何カ、食ベ物ヲ上ゲタンダト思ウ、ダカラ、人ヲ見ルト、近ヅイテクルンダヨ。」と大学生の推測。



万が一のためにチョコレートバーをポケットに残してありましたが、もう、遭難の心配なし、バーを取り出すとますます近づいてきて私の手から食べています。ダーリンもチョコバーを取り出し、ロバくんへ。とても人懐こいです。



ほっと心和むロバくんたち、私達がルートをたどり始めてもいつまでもこちらを見ています。そういえば日本で山を歩いていても放牧の羊やロバ・牛には出会わないです、ルーマニアならではの光景。



ティミショアラからの大学生は約15キロのリュックとテントを担いで2泊のトレッキング。今日は下山したあと一駅先のプレデアルのホテルを予約してありバスタブにつかりゆっくり1泊、明日、ルーマニアの西の端・ティミショアラに帰るそうです。一緒に下山できて心強かったです、旅は道連れ。私達はこのままブシュテニで一泊。



私達のたどったイエロー・ラインをあらわす標識。かなり下山してきて楽に歩けるようになってきたところのものです。ブシュテニの町から所要時間を合計すると上りは5~6時間、下りは3時間半~4時間、家族連れや私のような山の初心者でも歩けるルートです。


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オム峰2507m登山:のぼりは雨

2007-08-14 | 友人のルーマニア訪問


ゆっくり散策しているとお昼前になってしまいました、天気はまずまず、ここから取って返しもう一度テレキャビンのペシュテラ駅を通過し、カルパチア山脈の最高峰オム2507mを目指します。ペシュテラ駅からはふたつのルート、岩登りのあるブルー・ラインと稜線を伝いながら登って行くレッド・ラインです。

オムには何度も登ったことのあるマイダーリンもペシュテラからのルートは初めて。途中のドアムナの滝(=淑女の滝)までは行っていますがその後は未知のルート。稜線を伝いながら行くドアムナ・ルートにコースを決め、レッド・ラインの標識をたどります。



ところどころ岩場もありますが、ドアムナ・ルートの名の通りやさしい道のり。おおかたが緑の牧草地の中を登っていきます。でも少し心配なのがお天気。目指す上のほうは霧がかかっていて、曇り空なのです。

ウィークエンドとあればほかのトレッキング客にも出会いそうなのですが、1時間以上登り続けても人はおろか動物にも出会いません。山から霧も下りてきています。少し不安になりかけていたとき、やや急斜面の牧草地に一面の羊達に出会いました。
 


突然の人影にシープドッグたちに吠えられました。羊を追い、時には野生のクマから羊を守る賢いシープドッグ、私たちを見て吠え掛かってくるのは当然、あら、どうしよう、と思っていたら羊飼いが犬を止めてくれました。
 


昔ながらの生活を続けている羊飼い、朝夕乳を搾り、羊乳チーズを作り、生計を立てているのです。自分で羊を所有している人もいるし、何箇所かの酪農家から羊を預かり、羊たちの面倒を見ることを仕事にしている人もいます。

ダーリン、ここで羊飼いに道を尋ねています、誰一人として出会わないので不安だったのです。もうひとつのルートは距離は短いけれどもかなり急な岩場、このまま進んでいくほうがやさしい、と教わりました。
 


羊飼いと話をしているので、羊達も安心したのか、今度はいっせいに私達のほうに顔を向けて「コイツラハ何者ダ?」と興味津々。私達が羊の群れを後にするまでずっと見送ってくれました。
 


標高2000mあたりで低木の森に出会いました。細かいけれども雨が降ってきたのですが、充分な雨の装備を持ってきておらず、ビニールカッパでしのいでいます。気温が低くなってきていて、立ち止まって休憩するにもすぐに体が冷えてしまうので、休憩なしで歩いています。

このあと晴れていれば周りを見渡せるだろう稜線に出ましたがあいにくの霧。次の標識すら確認できない緑の草の上。道なき道を、かすかな踏みしめたあとをたどりながら行くとかろうじて次の標識が見えてくる、と言う具合。

さらに登り稜線が高くなってくると、強風と霧雨が下から吹いてきます。いつまで登り続けるんだろう、雨がこれ以上強くなりませんように、風もこれ以上吹き荒れませんように、と祈るような気持ちです。またまた岩場に出ました。山頂近くになってくるとたいてい岩場、急な登りのはずです、いつになったら到着だろう、と不安が募ってきた矢先、「オム山頂ダ!」~マイダーリン。



山頂の山小屋に出ました。霧のため、ほんの近くに来るまで山小屋が見えなかったのです。あっという間に到着した気分です、寒くて泣きそうな顔の一枚。ペシュテラを出発してから3時間余りの登山でした。



オムの山小屋、中に入るとほっとしました。暖房が効いていてほかに登山客が3組ほど、みんな湯気を立てています。食堂で暖かいチョルバ(=酸味のきいたスープ)、ダーリンはホット・ツイカ、クロードさんはホット・ワインで温まります。

山頂付近は霧がかかっていて小雨、視界が悪いです。ここからふもとまで下っていくのが私達の予定ですが、この悪天候の中、無事に下れるのでしょうか?このままここで一泊したほうが良いのでしょうか?が、この天候もここらあたりだけで、30分も下るとすっきりと晴れている、と言う山小屋からの情報。

私達が山小屋に到着したのと同時に入れ替わるように、小学校高学年の子供達を含む家族グループが私達の予定している下りルートに出発していきました。きっと山に慣れているグループでしょうが、子供にも下れるルートならば私達にも出来そう。しばらく休憩した後、予定通り下山することにしました。


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イアロミッツァ洞窟

2007-08-14 | 友人のルーマニア訪問


テントの中で過ごした一泊、寝袋にくるまってテントの中で寝るのは初めて。2~3人用のテントに3人(クロードさん、真ん中に私、そしてマイダーリン)並んで寝たので、外は風が強かった夜半過ぎでも中は充分暖かかったです。



日・仏・ルー3カ国共同キャンプをあとにもう少し下って約20分、洞窟の修道院を訪ねます。標高1600mのペシュテラ山小屋までは車も通っているし近くにはホテルもあるので、道も整備され散歩気分で歩くことが出来ます。



手軽に訪ねるのであれば、ブチェジの街からテレキャビンで山頂駅ブシュテニ、ここで下りのテレキャビンに乗り換えペシュテラ駅(=ここがペシュテラ山小屋のあるところ)、散策道で約20分も歩けば洞窟修道院に到着するので、山の装備はなくても簡単なサンダル履きで洞窟修道院を見学できます。



切り立った岩の間に設けられた散策道、小さな滝がいくつもある川を渡ると岩に張り付くように洞窟修道院の門が見えてきました。



門をくぐると中に小さな礼拝堂、ここから奥がイアロミッツァ洞窟になっています。



洞窟からは紀元前のクマの骨も発掘されているところ、中には所々明かりもつけられ、湿気で滑りやすいけれども木製の階段や手すりを伝いながら進んでいきます。時には背をカ噛めなければならないところもあります。



洞窟の川や洞窟の池にたずさえられている水がとても不思議です。どこから伝ってくるのでしょう。岩の中でザーッと水が流れる音がしています。どこへ流れていくのか、以前よりも池の水位がかなり下がってしまっているそうです。



400mほどもあるという奥行き、一番奥には祈りのためのキャンドルが飾られています。



冬には雪で覆われてしまうこのブチェジ山辺り。今でこそホテルやペンションなどの宿泊施設も見られますが、修道院の生活は昔のままなのかもしれません。

ブシュテニで一日時間があればぜひ訪ねてほしいのがこの修道院(入場料大人:5レイ)とスフィンクス・バベレの奇岩群、それにカライマン・クロスです。山の上の名所ですが健脚でなくても大丈夫、すべてテレキャビン利用であっという間に到着します。


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クロードさん、標高2000mをトレッキング

2007-08-13 | 友人のルーマニア訪問

 
天候に恵まれ、山の上まですっきり見渡せます。シナイアの街の真ん中あたりにあるテレキャビン乗り場からCOTA1400(標高1400m)で乗り継ぎ、さらに COTA2000(標高2000m)まで一気に上がります。



COTA1400から上はスキー場になっていて、ホテル・アルペンなどの宿泊施設、チェアリフトもあり、例年5月までスキーを楽しめます。斜面は全体的に中ー上級者用。険しいです。
 


COTA1400のテレキャビン乗り場前にはこんなお店も。りんご飴を売っています、日本の縁日などではかなりお高いりんご飴ですが、ここでは3レイ(=約155円)。下の街では綿菓子も2レイでした。
 


ここからトレッキング標識に従って自分のルートを歩きます。



今日のルートは白地にイエロー・ライン、標高2000mに設けられた国家養成選手のための400mトラック「ピアトラ・アルス」を経て、バベレ(=シナイアの隣町ブチェジからテレキャビンで上がってきた終点駅)、約2時間半の行程です。
 


「ピアトラ・アルス」は何度訪れても私たち陸上競技好きにとっては感動もの。400mトラックの周りには何もなく、穏やかなアップダウンのあるトレッキングルートと標高2000mの希薄な酸素。少し離れたところにある「ホテル・ピアトラ・アルス」はエリート選手の合宿所。トレーニングに明け暮れる国家養成選手が目に浮かびます。シドニー五輪女子5000m金メダル(=オリンピック記録)のガブリエラ・サボー選手もここでトレーニングをしていたそうです。
 


ピアトラ・アルスを過ぎると標高2000mの森、風も強いところなので低木が横に向かって茂っています。ピアトラ・アルス脇の放牧の牛達が迷い込んできています、人がごく近くを歩いていても驚きもしないし向かっても来ません。
 


しばらく歩いていると、牛飼い達がさらに迷い込んだ牛を探しに追いついてきました。牛にはカウベルをつけてあるのでカランカランとのどかな音がしています。あたりは人の背丈もない木々が茂っている森、それでも牛達をすっかり隠してしまっています。
 


ここはカルパチア山脈の標高2000mあたり、穏やかな稜線を見せてくれていますがたまにはこんな岩登りも。ゆっくり慎重に行けば無理なく登れるし、息が切れる前に上りきれます。



羊たちの群れをやり過ごし...



やがて見えてきました、ブシュテニからのテレキャビン山頂駅、付近にはブチェジ山小屋・風で自然に出来たバベレとスフィンクスがあります。ブチェジ山奇岩怪岩はナショナル・モニュメントになっています。スフィンクスを訪ねるのはわたしにとって3度目、でもいつ見ても自然の力を感じさせられる風貌です。



紀元前の頃からここで風を受けているスフィンクス、ダーリンに言わせるとルーマニア人の元となったダチア人の顔をしている、とのこと。紀元前6世紀の頃にはすでにこのカルパチア山脈地域に、インド・ヨーロッパ語族のダチア人が定着していたのです。



夕方5時に近くなり急に冷えて来ました、山ではあと1時間もすれば日が暮れていきます、ここから600mほど下ったペシュテラ山小屋あたりでキャンプを張ることにしました。ペシュテラあたりは野生のクマが出没するところ、この夏にもアメリカ人女性がクマに近づきすぎて一撃され犠牲になっています。



テレキャビンもありますが、私達は脚で1時間ほど下ってペシュテラ山小屋に到着。小屋の周りは木の柵で囲まれていて熊が入って来られないようになっている安全地帯、テントでのキャンプ客がここでテントを張れるようになっています。



「僕、夕方ニ、柵ノ外ノ川ノアタリニ、クマガ来テイルノヲ見タヨ。」と言いながら斧をふるってファイヤーの準備をするトニーくん。山小屋に泊まっている子供達のグループでいちばんよく動く少年。私がテントの中でごろごろしているときにも「日本人ハ何処?」と訪ねてきてくれたりしました。



山小屋でサマーキャンプ中の子供達も一緒にキャンプファイヤーで夜が更けて行きました。


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クロードさん、シナイアへ

2007-08-13 | 友人のルーマニア訪問


ブカレストでの1週間は何も予定がないクロードさん、「Your program is my program.」と私たちの精一杯のもてなしを歓迎してくださっています。「クロードサンガ、自分ノ寝袋ヲ持ッテ来テイルンダッタラ、キャンプニ行コウ。」~今日からはテント担いでブチェジ山へ。ちょうどマイダーリンと私も山行きを計画していたところなのです。

 

夜勤明けのダーリンとブカレスト北駅で合流して2時間半でシナイアへ、18世紀からブカレストの王侯貴族たちの夏の別荘地として栄えてきていたので、町には宮殿風の建物がたくさん見られます。玄関口となるシナイア駅もどっしりとした造り。



駅正面の石段を上がるとメインストリートに出ます。緑に包まれた公園に面してホテルパラス。



上の写真は当時は貴族達のカジノ、今は公会堂として使われています。



大砲が飾られた第1次世界大戦のヒーロー達のお墓を右に見て道なりに上がっていくと、シナイア僧院(修道院)に着きます。門を入って右手に大教会。



今日は入り口のところに黒いリボンが飾られています。7月末に亡くなったルーマニア正教の元老を弔う黒リボンです。40日間喪に服し、9月12日に次の元老が決まるそうです。



大教会の入り口と反対側、小さな門をくぐると17世紀建築の古い教会。小さな建物ですが入り口付近に書かれたフレスコ画は当時のままのもの。



門には17世紀のワラキア公国の王様、カンタクジノ(Cantacuzino)の名前が残されています。



さらにそのまま道なりに上がっていくとお土産やさんストリート。織物や民族衣装・木製品・マグカップやキーホルダーなどを並べて、たくさんの露天商が連なっています。



ルネッサンス・バロック・ロココの各様式を取り入れたドイツ・ルネッサンス様式のペレシュ城、1875年ルーマニア公国のカロル1世により王室の夏の離宮として建てられました。絵葉書そのままの壮麗なお城です。



開城時間は9時~17時、月曜休み、火曜は11~17時のオープン。残念ながら今日は月曜。なかに入ることは出来ませんでしたが、外観だけでも一見の価値あり。
 


さらに奥にはカロル一世の狩猟用のお城・ペリショール城、ドイツから招かれたカロル一世好みの中世ドイツ風の建物です。
 


お昼を簡単にシャオルマ(=トルコ風ケバブ)とミートパイ&ビールで済ませ、一気にテレキャビン(=ロープウェイ)で標高2000mまで上がります。下の写真はテレキャビン乗り場に程近いテラス。




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クロードさん、我が家へ

2007-08-12 | 友人のルーマニア訪問


そしてクロードさんを我が家でもてなす日がやってきました。ステファン宅から我が家へ移動、マイダーリンは夜勤、日中は空き時間なので一緒にゆっくりディナー(=ランチタイムですが)です。

私がクロードさんを迎えに行っている間にお姑さんの準備してくださったのは、鯉とチキンのから揚げ、そしてママリガ(=トウモロコシ粉を煮てかたちにしたもの、ルーマニア料理の代表的付けあわせ)です。
 
「友人宅ヲ、順番ニ訪ネ歩クノハ、一番興味深イヨ。」とクロードさん。ラン仲間は皆ブロックハウスに住んでいるので、2Kか3Kの間取り。いずれもお客様用の寝室はないので、マリアン宅とビクター宅では夏休みで田舎に帰っている子供部屋をクロードさんに提供。ステファン宅では兄弟二人も両親の寝室のソファーベットで寝て子供部屋をクロードさんに。

我が家ではこの日、ちょうどダーリンが夜勤だったので、私がお姑さんの部屋で寝て、私達の部屋でクロードさんに休んでいただきました。
 
「設備ノ整ッタホテルノ部屋ヨリモ、ズット楽シイヨ。友人ノオ宅ニ、オ邪魔スルノハ。」
 「僕ハ、何処デモ、横ニナッタラ2分デ熟睡。朝マデグッスリナンダヨ。」
 
ご不便をお掛けしていると思いますが、本当に楽しんでくださっているようです。「人ニ出会ウコトガ一番。」と今までの人生を築いてこられ、ランニング・クラブの会長としていろいろな種類のランニング大会を主催、今では世界中に友達がいるそうです。

そしてみんな、私達のように「クロードさん、ぜひ私達のところを訪ねて。」と待っているのです。


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クロードさん、ロバに乗る

2007-08-11 | 友人のルーマニア訪問
フランスからの要人、クロードさん、みんなそれぞれ持てなし合戦。今日はステファン一家とチェルニカの森でBBQ。ロディカ奥さまの運転する車に私も便乗させてもらいしゅっぱ~つ!
 
とはいえ、毎日必ず走ることを日課にしているクロードさん、BBQの下準備、火が起こったところで、ランに切り替えひとっ走り。ステファンが道案内、私も付いていきます。小一時間走ったところでファミリーの待つBBQスポットへ戻るとちゃんとお肉が焼けていました~ロディカ奥さま、ありがとう。
 
ここチェルニカの森はブカレストの中心から30分ほどのところ。近くにチェルニカ修道院があります。ブカレスト市域の外側にあたり、のどかに牧草を食べる牛や馬たちがあちこちにいます。



ここの牛達にはちゃんと飼い主を判別する番号札が耳に付けられていますが、この番号札はユーロ基準にもとづくもの。ユーロに加盟し、牛肉を流通させるには必須の番号札、イギリスで狂牛病が発生したのはヨーロッパ市場にとっては一大事、産地を明らかにすることは絶対条件です。
 
「番号札、コレニ掛カル費用ハ、ルーマニアノ農家ニトッテ、大変ナモノダロウネ。払イキレナイ農家モ多イダロウ。」とクロードさん。ご自身もフランス・ノルマンディーで牛や鶏・豚とともに田舎暮らしをされています。パリから車で2時間余りの田舎暮らし、ホテルとは異なる手作りの宿泊施設のオーナーでもあります。



上の写真はTPCの宿舎にもなっている築100年の工場を改修して作られたロッジ。クロードさん、格安の売り物件を見つけて3日後には購入していたそうです。そして週末ごとにラン仲間を招きBBQと付近でラン、廃工場の床や屋根を手直ししたりするのをみんなに手伝ってもらったそうです。職人を雇うと高くつけど、みんな喜んで手伝ってくれた、出来上がったときには、みんな手に職をつけていたよ、とクロードさん。
 


ルーマニアの酪農を案じて少し深刻な気分になっていたら、次にロバくんたち、登場。「一番、オトナシイ動物ダヨ。」とクロードさん、ひょいとロバにまたがります。



ロバに近づくのは初めて、ステファン宅の二人の息子さん、そしてわたしも恐る恐る頭をなでてみますがロバくん、気持ち良さそうに目を細めてくれます。
 


はい、わたしも乗せてもらいました。誰も手綱を引いてくれる人はいません、でも大丈夫、私ひとりでまたがっていても、ロバくん、嫌な顔ひとつせず、乗せてくれました。写真では颯爽と走っているように見えますが、のそっと歩いてくれている間の一コマです。


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