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書評7「ヤマタイカ」(1991年 星野之宣著)

2008-06-27 23:52:39 | Weblog
(ストーリー)
古代史研究家・熱雷草作(あたらい そうさく)は、沖縄の久高島に息子の岳彦とともに訪れる。そこには、草作の娘であり、沖縄神女の家系、伊耶輪家の一人娘神子(みわこ)が60年に一度の秘祭の儀式を迎えていた。古代からの伝承、女神アマミクの復活の祭りは、時空を超えた古代邪馬台国の巫女王卑弥呼との交感であり、神子は、現代に火の民族の「マツリ」を復活する使命を自覚する。他方、火の民族の「マツリ」復活を阻止する日の民族の末裔、超常能力をもつ比叡山の「四天王」が神子と巫女団を襲う。「四天王」と戦いながらも神子は、「マツリ」のよりしろである巨大銅鐸「オモイカネ」の行方を追う。はたして、神子は「マツリ」の復活ができるのか、古代史伝奇SFコミックの傑作。

コミック

(評価)☆☆☆
邪馬台国に関する大胆な仮説「火の民族仮説」を軸に、古代と現代を直結させ、火の民族と日の民族の戦いをエンターテイメントとして描く。
本作は同じ作者のコミック「ヤマトの火」をプロトタイプとするものであるが、「火の民族仮説」の発想はかわらない。「火の民族仮説」とは作中の熱雷草作が主張する仮説であるが、骨子は以下のとおり。
古代日本、原日本人である縄文人は、南方から日本列島に定着しはじめたが、火山を信仰する「火の民族」であった。しかし、大陸や半島から渡来した弥生人は、農耕を日本列島にもたらし、太陽を信仰する「日の民族」であった。日の民族の拡大により、火の民族は南北に追いやられ、沖縄民族、アイヌ民族となり、火の民族の最後の国家が邪馬台国であるという。邪馬台国は九州に成立し、巫女王卑弥呼の城が阿蘇にあったが、卑弥呼の死後、内乱が起こり、日の民族の男王が卑弥呼の勢力を一掃するため、卑弥呼の墓を暴き巫女団を海へと放逐した。このときの巫女団が沖縄久高島に流れ着き、アマミク神話を生み出す(沖縄で本土のことをヤマトとよぶのは邪馬台国に由来する。)。他方、邪馬台国を支配しようとした男王は、内乱を新たな巫女を立てて治めようとするが、戦乱は収まらず、邪馬台国は分裂する。男王は、邪馬台国分派を形成し、九州から畿内の大和の地に向かい、そこでヤマト朝廷の基礎をつくる(邪馬台国東遷)。日本書紀の神武東征は、このことを伝説化したものとする。日の民族、ヤマト朝廷にとっては、卑弥呼の記憶は忌まわしいものとして封印すべきものであったが(黄泉の神、イザナミのイメージ化)、ある事件をきっかけにアマテラスのイメージとして復活する…
このような内容は、邪馬台国九州説・東遷説と縄文人・弥生人の分類指向を合わせたものだ。学問的なつっこみはいろいろいえそうだが、本作で重要なのは、沖縄、北海道、反ヤマト朝廷を原日本人としてあらたなナショナリズムがありうるのではないかという考えを想起させる点である。「日本人はどこからきたのか、日本人はどこにいくのか」というメッセージは、縄文2万年の歴史にかえれということであり、日の民族ではなく火の民族からの歴史評価は、ぞくぞくする爽快感を与えるものだ。かつて、明治維新は、江戸後期の国学、水戸学、尊皇攘夷思想をベースに古代の中央集権的な天皇制のイメージと近代的な立憲君主制を融合し、天皇中心のナショナリズムを作り上げようとした。これはいわば「日の民族」によるナショナリズムだ。しかし、「火の民族」のナショナリズムは、古代天皇制成立以前の縄文にさかのぼる。それは「日の民族」の観点からは反秩序、反権力的なものだけに、権力によってコントロールできないものだ。火山のごとく、エネルギーが放出する「マツリ」は、秩序をこわし、そして再生する。原始の世界そのものの再現である。
もうひとつ、本作でナショナリズム的に感じる部分というのは、「オモイカネ」の超能力増幅による戦艦大和の復活である。戦艦大和は、戦時中沖縄を救うために出航したが、たどりつくまえに撃沈される。復活した戦艦大和は、果たせなかった使命を果たすかのように、沖縄の米軍を攻撃し、最新の米海軍を翻弄する。さらにことなかれ自衛隊も圧倒する。まさに「火の民族」のよりしろ的役割を戦艦大和が果たすのである。このあたりの躍動感は文章では上手く伝えられないくらいだ。
単なる伝奇SFにとどまらない魅力をもったコミック、これが本作「ヤマタイカ」である。
ながらく絶版に近い状態だったが、昨年復刻愛蔵版として「ヤマタイカ」「ヤマトの火」を収録した「レジェンド・オブ・ヤマタイカ」シリーズで復活している。

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