MacTiger!

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人はなぜスピリチュアルなものを信じるのか?

2009-01-11 21:22:12 | Weblog
表題は、スピリチュアルとしても、疑似科学としても、オカルトとしても、UFOとしてもかまわないのだが、究極は「宗教」をなぜ信じるのかにいきつくのかもしれない。

有史以前、人類の最大の脅威は自然現象、生命現象そのものだった。天候、害獣、病気、そして死。人類のはるか遠い先祖は、これらの脅威について、自己の内面世界で正当化、合理化を図ろうとした。世界を無秩序な暴君の理解不能な怪物としてではなく、秩序ある意味のあるものとして。それは、ある種の世界認識だったのか、内なる心理的葛藤、大脳新皮質の飛躍的発達からくる自意識の確立過程だったのか。唯脳論的には、世界を不合理ながらも合理付けようとする脳の機能の一種の傾向ともいうべきか。

近代ないし第二次大戦以降、宗教にしても、オカルトにしても「非科学的な」心霊学にしても、日陰の存在的扱いをうける傾向が、日本社会において強い。もちろん、霊感商法だとか、オウム事件だとか、反社会的事件がこういった「非科学的なもの」を看板にしているのだから、拒否するのは当然かもしれないが、科学と理性という「近代的な」思考だけでは、閉塞感を感じる人々も多いのも事実だ。

問題は、こういったスピリチュアルなものを求める人の心の傾向が、どうして生じるかということ、近代以降、こういった心情を受容する思想等の受け皿が存在しないから、21世紀になってもカリスマ占い師が人気を呼んでしまうのではないか。(前近代は、伝統的な民俗社会の共同幻想、迷信、慣習が受け皿であった。しかし、明治以降の日本の前近代社会の民俗の崩壊は、伝統的な共同幻想を崩壊させた。このことが、戦前の第一次新興宗教ブームの土壌としてあったのではないか。)

あと精神病資質の患者の治療方法として、一種のフィクションとしてのスピリチュアルなものが、仮託されることもありうるかもしれない。(京極夏彦の妖怪小説、京極堂シリーズは、世の中に不思議なものはないとしつつ、前近代的な陰陽道の祓いにより、登場人物の精神的問題点を明確化し推理を展開する)
まあ、いきなり、自分の前世は※※です、という紹介をする人が現実にいるのは困りもんなんだが(笑)

本当は、現代の哲学者だとか、宗教家だとか、「こころ」の問題の議論が一般人まきこんで行われないと変なひとたちの変な話に世の中に蔓延してしまうのではないか…


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