
今年もまた敗戦記念日(米国では日本降伏・占領記念日、韓国やフィリピンなど占領地国は独立記念日)がやってきました。猛暑、台風、高い空、なにはともあれ戦争で犠牲になったすべての国のすべてのかたがたに黙祷!
これまで生きてきたなか、わたしのただ一つの信条は
「自分の目で見たものしか信じない。自分で聞いたことしか信じない」
です。これまでの経験で「国は情報を操作する」ことをいやになるくらい見てきました。子供達にも何度も言ってきました。
「TVを新聞を、ネットを信じるな。本当のことが知りたければ現場に行って、自分で見て聞いて考えよ!」
ということで”815 太平洋戦争”について私がかたれる話はこれ一つです。だから毎年この話を載せます。
この話は、かなり昔の、しかも聞きがたりですから老人のフィクションかもしれません。ただ、そこで私が直接聞いたという事実はまぎれもなくノンフィクションです。
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スミソニアン博物館で日本に原爆を落とした爆撃機”エラノ・ゲイ展”が開催されたのは1995年、25年以上も前のことです。当時ワシントンで仕事をしていたわたしは、たまたま見学する機会に恵まれました(現実の展示には「原爆投下が太平洋戦争を終結させた」「戦争長期化による日米数万人の命を救った」という説明はありませんでした)。
展示をみて憤慨していたのが気になったのか、ひとりの老人が話しかけてきました。
「日本人か?」
「そうですが、あなたは?」
「当時空軍にいたもと軍人だ。今はここの航空博物館のボランティアをしている。
実は、わたしは日本人にあやまらなければならないことがある」
「原爆のことですか?」
「まずはそうだ、この展示は嘘っぱちだ(bullshit)。原爆は使うべきでなかった。ただ原爆があれほどひどいもんだとは当の我々も知らなかったんだ。原爆を使わなくても戦争は終わっていたと思う」
「わたしもそう思います」
「じつは、あやまらないといけないのはKAMIKAZEのことだ」
「ゼロ戦の特攻の話ですね」
「KAMIKAZEは米軍が作った作戦だ。日本軍はまんまと乗せられただけだ」
「というと?」
「戦闘機乗りのおきてを知ってるか?。パイロットを死なせず、回収することだ。
日本人ならわかるだろう。HWとしての飛行機は材料があればいくらでも作れる。しかし、操縦するSWとしてのパイロットはすぐには作れない。教育・訓練と時間がかかる。だからパイロットを死なせてはならない。空軍のイロハだ」
「ではKAMIKAZEは米軍のやらせ(scripted)だと???」
「その通りだ。ゼロ戦はよくできた戦闘機だが操縦が難しい。どんなに高性能な戦闘機もパイロットがいなければ飛べない。日本軍を壊滅させるためパイロットを減らす。手っ取り早い戦略がKAMIKAZEだった」
「米軍はわかってやっていたと?」
「わかっていた。自軍の兵士には気の毒だが、そもそも戦争はそれなりの被害を想定してやるものだ。多少の犠牲をしいるのは覚悟の上、というかそれなりの準備をし対応した。想定通りKAMIKAZEの成功率は2割もなかった」
「情報はつつぬけだったと?」
「それもあるが、わざと怖がってみせた。KAMIKAZEは無敵で、米軍にとって最強の脅威のようにふるまった。もっとやらせるために・・・・目論見どおり日本軍の戦闘機とパイロットは枯渇し壊滅的打撃となった」
「誤算だったのは、日本軍があそこまで隊員を増やし突っ込んできたことだ。予想外だった。クレイジーだ。ありえない・・・・必ず死ぬんだよ、18歳でだよ」
「初めて知りました。こんな話」
「あまりよい話ではないからな。だが、もう時効だろう、だから今あなたにお話ししている。KAMIKAZEで死んだ多くのパイロット、多くの若いパイロットにおわびを言ってほしい」
「日本にはKAMIKAZEで死んだパイロットの墓があると聞いた(靖国神社のことだろう)。私はもういけないから、あなたが帰国したら行って、一人の米国人パイロットが敬意をもってZeroFighterにわびていたことを伝えてほしい。二度と戦争なんかゴメンだと言っていたと伝え祈って欲しい。
でないとわたしは心がやすまらない。迷ったが声をかけたのはそのためだ」
「承知しました。お約束します」
帰国し約束を果たせたのはそれから3ヵ月後のことでした。
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*エラノ・ゲイ展はスミソニアン博物館・スティーブン・F・ウドヴァーヘイジー・センターで開催され、現在は2003年12月15日に新設された別館(ワシントンD.C.の郊外にあるダレス国際空港に隣接)に移設されました。





