Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

年末年始企画(5)マッスル映画10傑

2015-12-26 02:51:02 | コラム
80年代の肉体派アクション映画で育ってきた世代として、アーノルド・シュワルツェネッガーの「ブリジッド・ニールセンと浮気していた」という告白は、なかなかに衝撃的だった。

セレブならいちどに複数との浮気もあるだろう、だからその内容には驚かない。
ただ、相手が問題だったのである。

ニールセンとは、当時のシルベスター・スタローン夫人。



3人とも、マッチョ。
しかも度を越した。

マッチョは、やはりマッチョに発情するということなんか?

その図を想像すると、興奮なんかしない。
呆れることもない。
ただなんか、怖いよねと。

というわけで、きょうは俳優の身体性(=躍動する筋肉)が活きた映画の10傑を展開。

マッチョな俳優によるアクション映画だけでなく、俳優の身体(筋肉)が効果的に扱われた? 映画に注目してみたので、一見、なんの統一性も見出せないようなリストになったかもしれない。


ランキングの前に、もう少し俳優の身体について。

たとえば北野武が渡嘉敷勝男や薬師寺保栄といった元ボクサーを好んで起用するのは、「即物的な暴力描写にリアリティをもたらすと思ったから」なんだそうだ。
武は「あんまりうまくいかなかった」と語っているけれど、いやいや、けっこう効果があったんじゃないかな~。

元ボクサーならではの構えとか、しぐさ・・・というものではなくって、身体そのものの存在感。
武が期待したのは「たぶん、そこ」で、それがうまくいかないと、以下のワースト3のような「寒い映像」が出来上がる。


(1)『スペシャリスト』(94)

シルベスター・スタローンとシャロン・ストーンのラブシーンは、ぜんぜん色っぽさを感じない。

なんというか、「ふたり夏季五輪」みたいだった。

結果、印象に残るのはグロリア・エステファンのテーマ曲だけなのである。

(2)『プロテクター』(85)

成龍ジャッキーのよさが、まるで出ていない。

それもそのはず、米出資のB級アクションとして制作されたこの映画の監督は、成龍がどういう俳優なのかをまったく知らなかったのだ。

(3)『ホームボーイ』(88)

ミッキー・ロークが「俺様状態」だったころに創られた珍品。

ロークがボクサーに見えないのが致命的で、ゆえに、ボクシング映画史上で最も緊張感のない作品となっている。

ただ、当時はボロカスいわれたが、この時代があったからこそ、現在の「枯れたミッキー」が存在出来るわけで、人生ってほんとうに面白いなぁ、、、とは思う。


では、俳優の身体性(=躍動する筋肉)が活きた映画の10傑とはどんなものなのか。

あくまでも私見だが、こんなバラエティに富んだ10本がそろった。


(1)『トータル・リコール』(90…トップ画像)

シュワ氏ではなく、「偽嫁」を演じたシャロン・ストーンのほう。

このキレのある動きは、志穂美悦子と互角の戦いを繰り広げられると思う。

(2)『タクシードライバー』(76)

腕立てや懸垂だけでなく、腕を火に近づけたりする謎のトレーニング? もおこない、不摂生断ちを試みるトラビス。

そのおかげかどうかは分からないが、売春宿に巣食うクソどもを、たったひとりで退治したのだった。

(3)『スパルタンX』(84)

沢山の主演作で様々なアクションを披露している成龍だが、冒頭にカンフーのトレーニングシーンが描かれる本作こそ、成龍の身体性を最も分かり易い形で提示しているのではないかと。

スケボーを駆使したファストフードのシーンなど、その最たる例だと思う。




(4)『ターミネーター2』(91)

こちらもシュワ氏ではなく、ヒロインのリンダ・ハミルトンを。

前作では柔らかそうな身体だったのに、数年でシャープに。
その身体の変化で、それまでの彼女の物語(苦難)が想像出来る仕組みになっている。

(5)『ロッキー2』(79)

前作の冷凍肉も素晴らしい小道具だったが、本作のニワトリには敵うまい!!

ニワトリを追い回してフットワークを鍛えるというシークエンスは、映像としても物語としても面白くて二重丸だと思う。

(6)『Shall we ダンス?』(96)

映画としては、大嫌いなタイプ。
しかし真夜中にハンガーで背中を固定してダンスの練習に励む役所広司の姿には、素直にジンときた。

このシーン以降、役所さんの動きがしなやかになっていて、俳優ってすごいなと感心したものである。

(7)『ニキータ』(90)

素早い動きが要求されるであろう暗殺者は、やはりシャープな体つきのほうがいい。



そう考えると、ジャン・レノ(=レオン)は、ちょっと図体がでか過ぎるような気もする。

(8)『ファイト・クラブ』(99)

デジタル社会へのアンチを唱えるかのような、ブラッド・ピットの身体。



彼は饒舌だが、じつはヒトコトも喋る必要がなかったのかもしれない。
身体そのものに、思想や哲学が刻み込まれているのだから。

(9)『キル・ビル』シリーズ(2003、2004)

日本刀がこれほど似合う西洋女子が存在することに、まず驚いた。

長身のユマ・サーマンは香港映画の色調にも染まることが出来て、このあたりにも、QTの女優選びの確かさがうかがえる。

(10)『TOKYO FIST』(95)

リングに上がれないなら、リング外で戦ってやる。



次々に肉体改造を試みるヒロインを藤井かほりが大熱演、演技力どうこうでは語れない映画ってあるんだな、、、と思い知らされた映画小僧なのだった。

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明日のコラムは・・・

『年末年始企画(6)キュンキュン映画10傑』
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年末年始企画(4)サウンド映画10傑

2015-12-25 02:51:01 | コラム
音楽がなくても、映画は創れる。

いやサイレント時代を指していっているわけではなく、実際に現代でも、野心的な映画監督によって音楽を一切使用しない、ことばは悪いが「愛想のない」映画も誕生している。

その逆に、音楽・音響効果がないと成立しない映画もある。
きょうは、そんな「サウンドありき」の映画10傑を展開したい。

ミュージカル映画だけじゃない、
ダンス映画だけじゃない、
音楽とワンセットで語られる映画って想像以上に多く、10本に絞ることが難儀だった。

映像のあとに音楽をつけたのか、先に音楽があって映像を構築していったのか―そんな疑問さえ浮かぶほど、映像と音楽が幸福な結婚を果たしている名画たち。


まずは、その結婚が不幸を生んだ例として、サウンド映画のワースト3を挙げてみよう。

(1)『稲村ジェーン』(90)

サウンドトラック以外のところを褒めたひとって、誰か居たのだろうか。

(2)『ラストソング』(94)

ミュージシャンを目指す若者の物語。

クサい台詞の連発に、寒気が止まらなかった。

(3)『ボクシング・ヘレナ』(93)

父親デヴィッド・リンチは、50~60年代ポップスを駆使して不気味な物語を紡ぐ。
その娘ジェニファーは、同じように猟奇的な物語を扱いながら、流す音楽はレニー・クラヴィッツやマドンナだった。

処女作で躓いちゃったなぁ、、、と思ったものである。


では、結婚が幸福だったほうの10傑をどうぞ。

(1)『砂の器』(74…トップ画像)

はじめの120分は前戯で、ラスト20分が本番。
橋本忍も、そのつもりで創っている。

そしてこの20分間の主役は、紛れもなく音楽なのだ。

(2)『ピアノ・レッスン』(93)

エイダは、ピアノとともに生きている。




(3)『ファンタジア』(40)

先に音楽ありき、の好例。

たしかにクラシックには、物語性が詰まっているものね。
そのことにいち早く気づいたディズニーさんって、やっぱり凄いのだ。

(4)『アマデウス』(84)

シーンや台詞のいくつかは、音楽をもとに構築していったという。



モーツァルトの嫁コンスタンツェの母親がモーツァルトに金切り声で叱っていると、それがそのままオペラの一場面へとオーバーラップしていく・・・とても映画的で、個人的なお気に入りのシーンだ。

(5)『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000)

映画としては「あんまり好きではない」のだが、監督トリアーの企みと、主演ビョークの熱演には素直に賛辞を送りたい。

「もう、この世には見る価値のあるものがない」から「失明してもいい」と歌うセルマの歌声が奪われなくて、ほんとうによかったと思う。

(6)『リンダリンダリンダ』(2005)

女子高生バンドの物語。



熱くはないが冷めてもいない・・・そんな彼女たちの日常が独特な「間」で描かれ、こういう青春もあるよね、と思わせてくれる。

(7)『シェルブールの雨傘』(64)

すべての台詞が歌に乗せて発せられる。

歌声が吹き替えなのは残念だが、映画表現を一歩前進させた点において、もっともっと評価されていいのではないか。

(8)『ザ・コミットメンツ』(91)

失業保険をもらいながらバンド活動をする若者たち。
労働者階級の日常をリアルに取り入れた群像劇は、ラストまで甘くない。



コーラスのひとり「イメルダ」を演じた女優さんに恋をしたが、いまなにをやっているのかな。

(9)『巴里のアメリカ人』(51)

ジーン・ケリーの超絶ダンスに目が釘付けになるが、ガーシュインの名曲の数々も素敵!!

さらにいえば音楽やダンスだけでなく、色彩美にも注目してほしい。

(10)『モダンタイムス』(36)

テクノロジーの暴走を批判する映画において、敢えて歌声を披露したチャップリンの覚悟を思うと、それだけで涙が出てくる。

チャップリンが作詞作曲をした謎の言語の歌『ティティナ』には、いろんな思いが込められているのだ。



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年末年始企画(3)セクシー映画10傑

2015-12-24 03:30:26 | コラム
「この映画、つまらんけど、○○のハダカが拝める」

とかいって盛り上がっていると、

「えー。映画をそんな風にして観ているの~? ショックー!!」

とかいうバカ女子が、ごく稀に現れる。

映画を真剣に観ている牧野さんだから、そんな捉えかたをしないと思った―のだという。

勘違いも甚だしいし、勝手に決めつけておいて勝手に幻滅しないでほしい。

常々いっているよ自分は、映画はエロスとバイオレンスであると。

ターザンが主人公の冒険活劇映画、劇場を埋めたのは冒険モノが大好きな男子ではなく、若い女子だった。

なぜだか分かるかい?

男女のハダカを「そう簡単に拝めなかった」時代だから、男のハダカを「存分に」拝むためには、このシリーズを観るよりほかになかったんだよ。

いじましいじゃないか。
健全じゃないか。

つまりは、そういうことなんだ。

映画とエロ―について語りだしたら止まらないのでやめておく。
まずは、俳優さんにとっては「脱ぎ損」であったろう、セクシー映画のワースト3を挙げてみよう。


(1)『TAKESHIS’』(2005)

京野ことみが騎乗位を披露。
しかし北野武の迷走期に創られた珍品なので、その勇気が報われていない。

というかこれは、セクシー映画でもないのか。

(2)『ワイルドシングス』(98)

煽る割にはエロくないし、後半のどんでん返しも行き当たりばったり。

映画の質が、ひじょうに低いと思った。

(3)『忠臣蔵外伝 四谷怪談』(94)

高岡早紀のおっぱいで目が覚める。
あとは退屈。


それではセクシー映画の10傑、いってみよう。

候補が多くて、かなり悩んだぜ!!


(1)『マリアの恋人』(84…トップ画像)

ナスターシャ・キンスキー!!

はっきり書いてやろうじゃないか。
彼女が自慰をするシーンがあるが、自分もその部分だけを繰り返し再生し、自慰してやったい!!

(2)『チ・ン・ピ・ラ』(84)

高樹沙耶と石田えり!!

たぶん、劇場で初めて勃起してしまった映画である。

(3)『誘う女』(95)

ニコール・キッドマンの発情演技がたまらない。

彼女は、このあたりからグンとよくなった。




(4)『夜がまた来る』(94)

夏川結衣!!



石井隆が紡ぎつづけた、村木と名美の物語。
個人的に最も名美らしかったのは、結衣さんだった。

(5)『白いドレスの女』(81)

いまじゃ、でっかくて怖いオバサンかもしれないキャスリーン・ターナーだが、中学生の下半身を疼かせていた時代もあったのだよ!!

(6)『ヘルタースケルター』(2012)

はっきりいって、映画は三流四流。

でも、この時期のエリカ嬢のハダカを捉えた功績は称えていい。



えらいぞ蜷川実花!!

(7)『六月の蛇』(2002)

塚本晋也がポルノに挑戦。

女優を美しく撮る監督でよかったね、黒沢あすかさん!!

(8)『美しき諍い女』(91)

芸術性なんてものは、あとからついてくる。



最初の動機は、エマのハダカを拝みたかったから・・・それでいいのだ。

(9)『ボディ・ダブル』(84)

あんなに優雅なヒッチコックの『裏窓』(54)を、デ・パルマが撮るとこんなに猥雑な感じになる。

どっちが好きかと問われれば、もちろん後者です。

グレース・ケリーは「とーぜん」素敵だが、お近づきになれそうなのは、ポルノ女優役のメラニー・グリフィスでしょうよ。

(10)『ナインハーフ』(86)

すでに古典。

雨が降る夜の階段で、ふたりが愛し合う場面があって「ちゃんと」クンニしている。

そこに「いたく」感動した、中学生のガキなのだった。

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年末年始企画(2)ヒーロー映画10傑

2015-12-23 01:34:09 | コラム
ジャンル別映画10傑シリーズ、きょうは「ヒーロー映画」でいってみます。

勧善懲悪を体現する分かり易いヒーローも居れば、
ニューシネマの主人公たちのように屈折したヒーローも居る。
さらにいえば、アンチヒーローだって「ふつうではない」というだけで、ヒーローといえばヒーローで。

いやいや、ヒーローなんて全員が「ふつうではない」。
「ふつう」では「やっていられない」職業? なのだ。

だからであろう、
「なりたい」という気持ちを宿しているものは多いはずなのに、その先の一歩が踏み出せないのである。

男子であれば、そういう気持ちがあるほうが「ふつう」。
数年前、伊達直人を名乗る「誰か」が、子どもたちにランドセルを贈ったでしょう。

真似の出来ない行為だが、その気持ち、すげー分かる。
本人は否定するかもしれない、「私は子どもたちにランドセルを贈りたかっただけだ」と。
でも、それだけじゃないと思うんだな。

ヒーロー願望がなければ、伊達直人とは名乗らないはずだから。


ではまず、ヒーロー映画のワースト3を挙げてみようか。

(1)『ガッチャマン』(2013)

笑えることは、笑える。

ひとついえるのは、それは創り手の意図ではないということ。

(2)『バットマン フォーエヴァー』(95)

ティム・バートンが大事に大事に創り上げたであろう世界観を、冒頭5分で粉砕している。

かなーり罪深いことだと思うけれど。

(3)『最終兵器彼女』(2006)

前田亜季ちゃんが好きで、期待していたのだがな・・・。


ではいくぜ!!

※広義の意味におけるヒーローとした


(1)『用心棒』(61…トップ画像)

「斬られりゃ、痛ぇぞ」
「もうすぐ四十郎だがな」
「あばよ!!」

吐く台詞が、いちいち格好いい。

桑畑三十郎は、中学生のころから自分の「最高の」ヒーローでありつづけている。

(2)『ダークナイト』(2008)

キャラクター的にもジョーカーが、
俳優としてもジョーカーを演じたヒース・レジャーが「どうしたって」勝ってしまうのだが、

いやいや、クリスチャン・ベイルだって悪くない。



後ろ向きで、好かれることのないブルース・ウェイン(=バットマン)を自然体で演じたからこそ、ジョーカーとのコントラストが生まれたのだから。

(3)『キック・アス』(2010)

10代の少女、ヒットガールの活躍に胸躍らされるという「ちょっとした」倒錯性。




(4)『ダークマン』(90)

走って飛んで殴って蹴る―頑張るおじさん俳優リーアム・ニーソンだが、若いころからそうした可能性は宿していたんだっけ、、、と再認識することが出来る。

顔は、包帯に覆われていて分からんけど!!

(5)『座頭市物語』(62)

マイナスをプラスに変えることで、ヒーローとなる男。

自由に解釈した北野武版も悪くないが、市はやっぱり勝新ですよ。

(6)『太陽を盗んだ男』(79)

理科の先生がプルトニウム強奪して原爆を作る―どう弁護しても犯罪者だが、なぜだか憎めない。



それはディスクジョッキーの池上季実子がいうように、我々に夢を届けてくれたから、、、なのかもしれない。

(7)『スパイダーマン』(2002)

ふつうの・・・というか、「やや」オクテ・オタクのアンチャンの成長物語になっているところがいい。

それにしてもMJ役のキルスティン・ダンストは、角度によって美人になったり不細工になったり、落ち着きのない女優さんである。(でも好きよ)

(8)『インディ・ジョーンズ』シリーズ(81~)

いちばん好きなシーンは『最後の聖戦』(89)、少年時代のインディと現在のインディが「帽子で」オーバーラップしていくところ!!

しかしながら。
いちばん偉大なのはスピルバーグでもルーカスでもなく、彼らの映画に「完璧な」音楽をつけているジョン・ウィリアムズなのかもしれないなぁ~! と思うのである。

(9)『ロッキー』(76)

このシリーズがあるからこそ、シュワ氏ではなくスライ推しであるという男子は多い。



取り柄は筋肉だけ、、、というところがいい。
あぁ、あと我慢強さも。

(10)『ダーティハリー』(71)

被害者が泣き加害者が笑うような、解せない事件が起こる度にハリー・キャラハンを思う。

ヒーローが活躍する映画であっても、やはり現実社会から目を背けることは出来ないのである。

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年末年始企画(1)コメディ映画10傑

2015-12-22 01:16:21 | コラム
さてきょうからは、年末年始特別企画ということで、映画にまつわるアレヤコレヤをランキングにしてみた恒例の10傑シリーズを展開しようかと。

先日「SF映画10傑」を取り上げたので、この際ジャンル別の10傑に挑戦してみましょう。

そう、自分にとっては挑戦。
繰り返しになるけれど、映画をジャンルで捉えることをしないから。

スコセッシがラブコメ撮ったらそれを観るし、
リンチがアクション映画を撮ったらそれを観ますよと。

監督、やっぱり監督のものだと思うから映画は。

まぁそれは置いておいて、ジャンルで映画を語るのも「それはそれで面白い」から、本気で10傑を考えてみた。

第1弾は、コメディ映画。

まずは、そのワースト3を挙げてみよう。

(1)『PARTY7』(2000)

クスリとも出来なかった。
俳優たち全員が気の毒に思った。

(2)『トゥルーライズ』(94)

制作費ン億万ドルというが、そのうち半分くらいがシュワ氏のギャラなのではないか。

簡単に核爆発起こす展開に呆れ、また、笑いのセンスもかなりひどいと思う。

(3)『ギャラクシー街道』(2015)

三谷さん、お願いだからもう映画はやらないでください。


ではいくぜ!!


(1)『ワンダとダイヤと優しい奴ら』(88…トップ画像)

モンティ・パイソン組が仕掛ける、大人のコメディ。

イタリア語で性的興奮を得るジャイミー・リー・カーティスもキュートだが、魚を生で食し、イキ顔まで披露したケビン・クラインが最高!
この演技でオスカーまで取ってしまったところが、なんだか痛快である。

(2)『家族ゲーム』(83)

「あの、そこで髪をかいたらフケが落ちますよ」
「ボクは家庭教師ですから」




笑いのポイントを悉く外さなかったという意味で、ほとんど奇跡のような映画だと思う。

(3)『愛しのローズマリー』(2001)

ファレリー兄弟、現時点における最高傑作。
ひとの暗部に潜む差別意識を果敢に取り上げる―この姿勢が一貫しており、単なる下劣な映画監督ではないのだよね。



こんなにキュートだったかな? と思えるほどに、グウィネス・パルトローが素敵なのもいい。

(4)『赤ちゃん泥棒』(87)

なんでもソツなくこなしてしまうコーエン兄弟だが、本質はコメディにあると思っている。

ジェットコースター的展開を支えるカメラワークも二重丸、つまらんジョークをいって(自分だけ)笑う上司も面白く、画面の隅々まで細心の注意を払っているのだろうな、、、と感心する一本。

(5)『裸の銃を持つ男』(88)

なにも考えずに観ることが出来る。

コメディの基本は、笑いを提供する側が笑わないこと。
レスリー・ニールセンが真面目であればあるほど、こっちは爆笑出来るのであった。

いちばん好きなシーンは、全身コンドーム笑



(6)『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』(64)

子どもの落書きのようなタイトルバックからして、ひとを喰っている。

最後も強烈な毒がこめられていてインパクト大だが、「コカ・コーラ社に訴えられるぞ」の台詞を聞いて、微笑しつつ「あぁキューブリックでも、こういう笑いを取り入れるんだな」と感心した思い出がある。

(7)『フライングハイ』(80)

88分のなかに、300個以上のネタやパロディが散りばめられている―といわれているけれど、たぶん100個くらいは気づいていない。
そう思うだけで、楽しくなるし、また観ようという気持ちが起きるじゃないか!

(8)『転校生』(82)

男女の入れ替わりコメディ。

尾美としのりと小林聡美というキャスティングの妙、
題材も大林宣彦にピッタリで、誰にでも薦められる一級の青春コメディに仕上がっていると思う。

(9)『少林サッカー』(2001)

やり過ぎることを恐れないチャウ・シンチーという表現者は、それだけで尊敬に値する存在なのではないか。

強引な展開がつづくなかで、ヴィッキー・チャオが「大」健闘。



ここまで出来る女優さん、日本に居るかな。

(10)『デーヴ』(93)

影武者のほうがホンモノより有能だった―という展開は、物語では「よくあること」。
この映画は「その種明かし」の部分がひじょうによく練られていて、そういう意味で感心した。

「これは政府の陰謀だ」とテレビでコメントをするのは、オリバー・ストーン。
セルフパロディをやってしまう度量の広さがあるのかと、そこでまた感心してしまった。

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