Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

なぐるひと

2015-02-18 05:41:33 | コラム
かなりのワルガキだったはずなのに、悪さをした回数と父親になぐられた回数が比例しない。

父親が「なぐらないひと」だったわけではなく、母親が自分の悪事を父親に知らせなかっただけの話。

いちど自分が父親にボッコボコにされたときがあり、「ぜんぶ知らせたら、この子は死んでしまうほどなぐられる」そう思ったらしいのである。

まるでヒトゴトのようにいうが、そういう意味ではアムロくんのように、あまりなぐられてこなかった子ども、、、といえるだろう。





先日―。
柔道家の小川直也が、指導中に子どもたちに暴力を振るったと報じられていた。

あぁ小川さん、やっちまったか! と思ったが、その内容を聞くと、ん? であった。

「長時間の練習中に居眠りする子どもの目を覚ますために、口に氷を詰めたりする行為を見た次男が恐怖を感じ、退会した」

居眠りって!!

これも体罰になるのかなぁ、現代ではそうなるのだろうなぁ、はっきりいうが馬鹿馬鹿しいなぁ、、、なんて。

まぁいいや。
小川さんは、こんなことでへこたれないだろうから。


映画のなかの暴力。
格闘ではなく、暴力。
AとBが「なぐりあう」のではなく、どちらかが一方的に「なぐる」。

・・・というシーンは、格闘シーンよりも鮮烈で、いつまでもこころに残るもの。

きょうは、そんな「なぐるひと」が登場する映画を10本選出してみた。

※敢えて「ボッコボコ」なシーンは除外している…『アレックス』(2002)とかね!!


『レイジング・ブル』(80)

ボクシング映画だから当然?

否。
拳闘シーンを指しているわけじゃない。

マネージャーを務める弟に、自分の顔面を本気でなぐらせるシーンが出てくる。

『フェイク』(97)

ヤクザ同士が冗談をいって騒いでいたら、ボスになぐられた。

なんてことない展開かもしれないが、ボスはボスでも、少し前までは同じ「平社員」であったはず。

だからこそ、なぐられたほうのショックは大きい。

『ダイハード』(88)

こちらは、胸のすく暴力。

プライバシーを暴露された主人公夫人が、テレビリポーターをぶんなぐる。

『桐島、部活やめるってよ』(2012)

女子が女子をなぐる。

なぐられたほうは「はぁ!?」だが、観客全員が拍手喝采。

『ローズ家の戦争』(89)

痴話喧嘩のはずが、ほとんど殺し合いの離婚戦争に。

すべては、キャスリーン・ターナーの一発から始まった。

『息もできない』(2008)

相手が女子高生だろうが、本気でなぐる主人公。

サイテーだが、物語はここから始まる。

『東京フィスト』(95)

愛憎を拳に託し、ひたすら主人公をなぐるヒロイン。

痛々しくも、美しいシーンだった。

『リービング・ラスベガス』(95)

童貞であることを馬鹿にされた(と解釈した)大学生になぐられる娼婦、エリザベス・シュー。

やっぱり、女子がなぐられるシーンは切ない。

『家族ゲーム』(83)

「お母さん、ゴキブリ」
「えっ、ゴキブリ?」

でも、この映画では、なぐられる由紀さおりのシーンで爆笑してしまう。

『愛を乞うひと』(98)

なぐられても、なぐられても、好きなひと。

だって、お母さんなんだもん。

観ていてつらかった。





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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

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明日のコラムは・・・

『オスカー最終予想 ~汗かっきかきで考えました~』

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シネマしりとり「薀蓄篇」(110)

2015-02-17 05:50:14 | コラム
ぐっどば「い」→「い」んらん(淫乱)

某日―。

復帰したタレント、矢口真里についての原稿を書くために、彼女が出演したワイドショーやバラエティ番組を連続して観たり、彼女についてのネット記事やそれに対する一般コメントを読んだりした。

個人的には早く復帰しないかな、開き直ってくれれば面白いタレント性が花開くと思うんだけれどな、
え? AV出演の噂もあるの?
観たい観たい、ぜひぜひ! 買う買う!!
そもそもが、モー娘。のころから石川梨華の次に好きだったので、復帰後は少し劣化したなぁとは思うものの、復帰そのものは大歓迎だった。

が、一般コメントがひどいひどい、「淫乱女だ」という書き込みもあって、淫乱なんて文字、久し振りに見たよ、、、と。

「芸能人は夢を売る商売、それなのに…」云々というコメントには笑った。

これ、マジで書いてんの?
イマドキなにをいっちゃっているんだよ。

某日―。

女性のためのエロ映画、『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』を観る。

公開初日に都心のシネコンで観たのだが、ほぼ満員の盛況ぶり。
その6割が若い女子で、宣伝のしかたとしては大成功だったということだろう。

ヘンタイの男子としては、ひじょうに物足りない。
物足りないが、まぁ一般受けするエロとはこの程度のものだろう、だから若くて美しい女優のハダカを拝み、アブノーマルとされるスパンキング描写に触れて笑っていればいいのだと思う。

アブノーマルとされるセックスに目覚めていくヒロインもまた、ひとによっては淫乱と捉えられるのだろう。

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淫乱(いんらん)

情欲をほしいままにする・こと(さま)。

『大辞林 第三版』より

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似たことばに、「あばずれ」「色情」「ビッチ」、俗語としては「やりまん」や「させこ」などがある。

冒頭の矢口真里でいうと、某ラジオ番組で「やりまんと3文字かぶっている矢口真里が―」という投稿があって、これには笑った。
皮肉をいうなら、これくらい笑いのセンスがないと。ねぇ、ヤフーコメントの常連さんたちよ。


映画で淫乱といえば、タイトルがそのものずばりの『神田川淫乱戦争』(83)を想起する。
黒沢清がピンク時代に撮った快作である。


誤解を受け易い世界だが、娼婦や風俗嬢は淫乱に該当しない。
むしろ、それとは正反対の世界で生きる「スキモノ」こそ淫乱である。

ひとを罵倒する際に使われることば―なんとなくそんなイメージがあるが、要は助平である、、、ただそれだけのことで、
社会的に許される範囲内のヘンタイを自称する自分なんかは、ガッチガチの真面目女子よりも、淫乱の要素が入っている女子のほうが魅力的だと思っている。

だからこその、矢口真里推しなのであるが。


以下、自分が選出した「映画のなかにおける淫乱キャラ」3傑である。

(1)『ランブリング・ローズ』(91)

ローラ・ダーンが好演。

淫乱を一種の病気と解釈する視点が新しかった。

それでいて、おおらかな展開。
米国のインディーズ精神、ここにあり! のような映画。

(2)『シー・オブ・ラブ』(89)

歩く性感帯、エレン・バーキンの色気にアル・パチーノもKO寸前。




(3)『氷の微笑』(92)

マイケル・ダグラスをセックス中毒にさせてしまったという点で、この映画と、シャロン・ストーンには「ある程度の」罪はあるのではないか、、、な。


次回のしりとりは・・・
いん「らん」→「らん」ぼるぎーに。

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明日のコラムは・・・

『なぐるひと』

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シネマしりとり「薀蓄篇」(109)

2015-02-16 03:25:27 | コラム
すてぃーぶんすぴるばー「ぐ」→「ぐ」っどばい

あらゆる映画のなかで、最も多用された台詞とはなにか?


おはよう―?

ちがう。

こんにちは―?

ちがう。

よろしく―?

ちがう。

ありがとう―?

ちがう。

愛してる―?

ちがう。

さようなら―?

ちがう。


きっちりと調べ上げたひとは居ないが、「ここを出よう(出ましょう)」なんだそうだ。

あぁ! なるほど、ちょっと分かる!! と思う。

場面を変えることを促すことば、だものねぇ。

それでも「愛してる」より多いのか? と意外だったり。


映画は「モノガタリ」ではなく「ヒトガタリ」であるからして、出会いと別れが主軸となる。

出会いのシーンでハッとさせてくれる映画もある―チャップリンの『街の灯』(31)とか―が、別れのシーンのほうが圧倒的に印象に残るものだと思う。
別れは終幕に描かれることが多いし、それによって深い余韻というものが生まれるのだから。


グッドバイ! だけじゃなく、サヨナラ! も、アディオス! も、字幕や吹き替えなしで「よその国のひと」にも通じる。
そのくらい、別れは「ドラマにつきもの」っていうこと。

自分の性格上、泣ける別れよりもクールな別れにしびれる。


『用心棒』(61)における、三十郎の「あばよ!」とか。

『ミッドナイト・ラン』(88…トップ画像)における、「来世でな」とか。

『タクシードライバー』(76)のトラビスは、ベッツィとの別れ際、ヒトコトも発せずに料金メーターを戻す。
あの戻す動作に「さようなら」の意味がこめられていて、すっげ格好いい。

『ダイハード』(88)の、「じゃあな、ハンス!」も悪くない。

『パルプ・フィクション』(94)で、トラボルタがユマに投げキッスを送るのもいいよね。


切りがないからやめておくが、これを日常生活で実践するのはなかなかに困難である。

いや出来ないことはないが、クールに決めることは難しい。

そういう意味では映画は、良質なテキストにはなり難いかもしれない。
しれないが、あのとき、ほんとうはこんな風にいいたかったんだ―と、自分の気持ちを整理することは出来る。
そんな風に自分の気持ちと主人公の気持ちがリンクしたとき、映画は宝物になる。

究極的にいえば、映画好きというのは、そういう映画を沢山発見出来たひと、、、を指すのではないかな。


ムダにトシを重ねてきたと自虐する自分も、そこそこの人間ドラマを築いてきた(つもり)。

(成就するかはべつとして)恋多き男子だし、履歴書に記し切れないほどのアルバイトを経験してきた。
出会いの数だけ別れがあったはずで、しかし、その光景は思い出せても、自分がなにを発したのか、まるで思い出せない。

その昔、付き合っていた子に「モノカキのクセして、肝心なときにキュンとくることばをいえないんだから!」なんていわれたこともあったが、まぁ現実はそんなものである。


ひとついっておくよ。

クールな別れを実践出来るひとは、モノカキなんかにならない。
実践出来ないからこそ、創作上の人物にその思いを託すわけです。

自分にとって映画とは、90%のリアリティと、10%のファンタジー。

分かってもらえるかしら?


※映画の動画、あるいは淀川先生の「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」を貼ろうかと思ったが、何度聞いてもいい曲なので





あすのしりとりは・・・
ぐっどば「い」→「い」んらん。

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空き缶を、噛み切れますか

2015-02-15 05:56:45 | コラム
「―おはようございます」
「おはよう。まぁまぁ! 相変わらず大量ねぇ」
「すいません、ほとんどアル中なものでして」
「(笑う)そんなことはないだろうけど、この棟でいちばん空き缶を出しているのは、あなたでしょうね」
「ですよね」
「あなたは唯一の独り暮らしなのに」
「ですよね」
「お酒代も、馬鹿にならないでしょう」
「えぇ、ほんとうに」
「だって…ほら、生ビールが多い」
「えっ」
「私のところなんか、ほとんど発泡酒」
「(苦笑)最初の一本目だけですよ」
「これだけ呑むと、月にどれくらいかかるの?」
「計算とかしたことないですけど…まぁ、このために働いているようなものですから」

・・・という会話を、きのうの早朝、同じ棟に住む奥さんと展開した。

2度3度ではない、この10年、ひたすら繰り返されてきた会話。
ウチの団地のゴミ置き場では「よく見る」風景、となっている。

そのくらい、ビールを呑んでいるという話だ。

空き缶を処分しているとき、どうしても笑いがこみ上げてくる。

よくまぁ飽きもせず、これだけ呑むものだなと。
自分に感心しつつ、なかば呆れているっていう。


「このために働いている」というのはジョークでもなく、ほんとうにそうだよなと実感する日々がつづく。


最近知り合った若い子から、「ふだんは家で、なにをされているんですか」という質問を受けた。

「まぁ、呑んでいるよね」
「晩酌ですか」
「うん」
「呑みながら、なにをされているんですか」
「ニヤニヤしてる」
「(笑う)それだけですか」
「好きな映画や格闘技の映像を観たり、適度な量を保てば、文章も乗ってくるしね」
「呑んで、書くんですか!?」
「適度な量を保てば、、、の話ね。君は呑まんの?」
「呑み会以外では呑まないですねぇ」
「好きじゃない?」
「嫌いなわけではないですけど、好きでもないんだと思います」
「じゃあ、家でなにしているの?」
「スマホのゲーム、、、ですかね」
「ここでも出来るじゃん?」
「えぇ、まぁ」
「呑むのは、ここでは出来ない」
「そうですね」
「ここで出来ないことをするのが、家ってことじゃない?」
「そうですかね」
「呑んだり、オナニーしたり」
「(笑う)そうですかね」
「オナニーは?」
「えっ」
「毎日、ちゃんとしてる?」
「・・・・」

彼は赤面するだけで、なんとも答えなかった。

なんだ、つまらんヤツだなぁ。
自分が、しょーもないヤツみたいになってしまうじゃないか。

まぁしょーもないヤツなのだけれども。。。


先日―。
酔った勢いで、『プラトーン』(86)のケビン・ディロンのモノマネをやってみた。

この映画にはケビンのほかにジョニー・デップやフォレスト・ウィテカーなどなど、このあとに活躍する若手俳優が多数出演しており、いま観ると、とっても感慨深くなる。
なかでも好演しているのがマットの弟ケビンであり、彼はこの作品で空き缶を噛み千切るという芸? を披露している。

出来る自信はなかったが、酔っていたものでね。

結果は、失敗。

口のなかを切ってやんの。

バカでしょう、41歳にもなって。

でも酔っているからか、痛みを感じることはなく、鏡で自分の口を見て、ただヘラヘラと笑うのみである。

翌朝になってそのことを思い出し、少し後悔する自分。
それを誤魔化すために、迎え酒だと自分にいい聞かせてさらに酒をあおる。

・・・。

少し前まではジョークでアル中といっていたが、いよいよ笑えなくなってきたかもしれない。


まぁいいや、自分でアル中といっているあいだは、まだ大丈夫だろうから。

たぶん、、、ね。




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初体験 リッジモント・ハイ(115)

2015-02-14 05:47:49 | コラム
私服保安をやっていた―というと、なかなかに珍しがられて、いろいろ聞かれることが多い。

最も多く聞かれるのが、
「どうやって声をかけるの?」である。

窃盗のケース。

性別や年齢によって多少の変化をつけるが、基本は「分かりますよね?」と話しかける。

これで7割の窃盗犯は「…すいません」と答えてくれる。

残り3割のうち半分がとぼけ、半分が逃げ出す。
とぼけたら強い口調で「分からない? ほんとう?」と繰り返し、逃げ出したら、もちろん追いかける。

痴漢・盗撮のケース。

窃盗は店を出るまで捕捉出来ないが、痴漢や盗撮は犯行を確認した「その場」で捕捉が可能なので逃げ出される危険は少ない。
少ないが、本人も窃盗より恥ずかしいという自覚があるようで、素直に「御用になる」ヤツは稀、大抵は強く否定したり、捕捉に抵抗する。

周囲にひとが居るというのも「正直になれない?」要因のひとつだろう。

だから自分なんかは、「よぉ、久し振り~」と声をかけながら男の肩に手を回し、柔道技なんかを駆使しつつ、人通りの少ない「隅っこ」あたりに移動してから話を進める。

そうすれば割と正直に、罪を認めてくれる(ことが多かった)。

きのう書いた痴漢の処理も、まさにそんな感じであったと。


つまり。
自分は、声かけには慣れている。

ナンパ師やスカウトマンには負けるかもしれないが、他者に対して、割と自然に声をかけることが出来るほうだと思う。

そういう経験があるものだから、余計にこう思っていた。
痴漢の被害に遭っている子は、なんで声を出さないんだろうって。
加害者に直接いわなくてもいい、周囲に「痴漢が居る!」っていってくれれば、きっと誰かが助けてくれるって、、、と。


しかし。


20代後半のころの話―。

新宿から京王線(快速)に乗って、自宅最寄りとなる多摩センター駅まで向かっていたときのこと。

いつものようにドア付近に立っていると、紙袋を持つジジイが自分に近寄ってきた。

あ、このジジイの定位置があるのかなと思い、少し移動する。
するとジジイも少しだけ移動し、自分の横で動作を止めた。

混雑・・・しているわけでもなかった。
だから、なんだこのジジイ? と思ったが、無視することに決めた。
ちょっと臭いのが、気になったけれども。

明大前あたりで、異変に気づく。

ジジイは紙袋を自分の股間あたりに持ってきて―つまりそれで周囲に見えないようにして―もう片方の手で自分のちんちんを触り始めたのである。


!!!!!


まさか!

俺なのか?

この俺でいいのか!? という疑問。

さらにいえば、間違っても勃起してはいけないという緊張。


動揺した自分は、千歳烏山あたりで隣りの車両に移動してみた。

するとジジイは、自分のあとを追ってやってきたのである。

ここで確信した、あぁコイツは痴漢なのだと。

って、おせーよ気づくのが!!

再びちんちんをまさぐり始めるジジイ。
勃起してはならぬと深呼吸する自分。


いやちょっと待て、おかしくないか自分の態度は? と。

ふだん思っていたわけでしょう、女子は声を出せばいいと。

けれども。
なぜか、声が出ないのである。

耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ数十分―。

結局、自分は約40分間ものあいだ、キチガイジジイに触りつづけられたのであった。


・・・・・・・・・思考停止・・・・・・・・・


大事ななにかを失った気分、、、とまでいうと大袈裟だが、その立場になってみないと分からないものだなぁ、などと思った。


まぁ、いまだったらそんなこともなく、仮に被害者になったとしても蹴ったり殴ったり触り返したり勃起したり出来そうだが、あのころはまだガキ? だったものでねぇ。


以上、気持ち悪くてくだらない、自分の痴漢被害エピソードでした。


※くるりで、赤い電車




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