Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

怒れる牡牛の物語

2012-05-08 08:00:38 | コラム
第13部「北野武の物語」~第5章~

前回までのあらすじ

「町があって、町の中で人物を動かすとき、こんないい町なんだよって見せる監督と、人物にしか関心を持たない監督とに二分されるわけで、オレは人物がいるところに偶然その風景が入っただけって考え方。いい背景を選んで、そこで人物を歩かそうか、などとはちっとも思わない」(ビートたけし)

「あのねぇ、ひとにはやっぱり得手不得手というものがあって、男を中心に撮るのが巧い監督と、女を描くのが巧い監督が居てさ、それはそういうものなの。こればっかりは、しょうがない」(大島渚)

…………………………………………

日本映画界の状況に幻滅した結果、海外資本を取り入れた―という黒澤とはちがって、武の海外進出は、北野映画がネクストレベルに到達するための必然であった。

満を持して放った海外進出第一弾『BROTHER』(2000)は、挨拶代わりという意味合いもあったのか、得意分野とされる暴力に彩られたヤクザ映画である。

ヤクザ間の抗争が激化、組織から追われる羽目になった山本はLAに高飛びをする。弟とともに新天地で縄張りを拡大していくが、イタリアン・マフィアに目をつけられ・・・という物語。

日本の(一部の)観客は「またヤクザかよ・・・」とウンザリしたようだが、だからそれは武が本作を、日本人に向けて創ったわけではないということなのだろう。

松田聖子も、宇多田ヒカルでさえも海外進出で躓いたじゃないか―といったひとが居たが、受け手である外国人がどう捉えたかはよく分からない。
分からないが、売り上げという点で判断すれば、確かに聖子ちゃんもヒッキーも武も一発目では失敗している、、、といえるだろう。

かくいう筆者も予告編で期待値を上げさせられ、本編に触れて失望したもののひとりである。
物語と演出の双方が新味に欠けたからだが、やりたかったことはクライマックスを観れば分かる。

外国のマフィアに「お前たちが分からない」というようなことをいわせるのは、それが武の考えた、外国人の日本観、、、ということなのだろう。我々に向かってカミカゼやろうとしたお前らが不気味であるクレイジーだと、そういいたかったわけである。

…………………………………………

2002年―変化球を狙った恋愛オムニバス、『Dolls ドールズ』を発表。
文楽を扱ったところなどに「本気印」を感じるが、単に面白くなかった。
救いは主演の菅野美穂と、アイドルを自然に演じた深田恭子くらい。

だいたい、過去の発言(冒頭で引用)を翻したかのような「日本の四季を強調する」映像の連続に、やや唖然とした。

やはり得手不得手はあるようで、武にこの手の物語には似合わないし、そもそもが誰も期待していないだろう。(ただこう表現してしまうと、同じようなものを撮れば「飽きた」といわれ、新しいものに挑戦すれば「似合わない」といわれ、じゃあどうすればいいんだ? という苦悩が生じるだろうな、、、とは思うのだけれども)

2003年―勝新太郎の代表作『座頭市』を、オリジナルの呪縛から完全に解き放たれた形でリメイク。

純粋に映画として捉えた場合、全キャリアのなかで本作が最も成功していると思われる快作。
どれくらい成功しているかは、女版の『ICHI』(2008)と、阪本順治が撮ったにも関わらず失敗した香取慎吾の『座頭市 THE LAST』(2010)に触れればよく分かるはず。

鈴木清順ではないが、映画をツクリモノとして「きっちり」割り切った監督は強い。
かつてNIKEを登場させた史劇もあったが、時代劇だからといって茶髪やタップダンスがNGなどとは誰もいっていない、その遊びを真面目にやりきったところに、この映画の面白さがある。

だから武であれば『めくらのお市』シリーズ(69~70)さえ、自由な解釈で「再生」させられるかもしれない・・・そんな風に思ったほど、『座頭市』には感心した。

2005年―セルフパロディを狙ったか、あるいはフェリーニをやりたかったのか、内的? 映画『TAKESHIS’』を発表。
主演のたけし以外にも多くの俳優が二役を演じていて、退屈と感じたひとはそのあたりに注目してみるのもいいかもしれない。
筆者のお薦めは「こっそり」脱いでいる京野ことみで、というより、そこ以外は楽しめなかった。

リンチの『マルホランド・ドライブ』(2001)との類似性を指摘する向きもあったが、はっきりいえることがひとつ。
『マルホランド・ドライブ』には明らかに映画の快楽性が宿っていて、『TAKESHIS’』にはそれが皆無である、、、ということ。

…………………………………………

ビートたけしが北野武になる前の時代―映画を撮ってほしい有名人というと、たけしの名前が真っ先に上がっていた。
その候補者からたけしが抜けた90年代―筆頭は、松本人志と太田光になった。(この手のアンケートは、なぜかいつも芸人が「圧倒的に」強くなる)

2007年―そんな松本が、『大日本人』で映画監督デビューを飾る。
同年、北野は『監督・ばんざい!』を発表。

この年の「結果だけ」でいうと、将来性を買えるのは松本のほうである。

撮りたいものだけを、撮りたいときに撮っている―はずだった武が、単に「感性」「勘性?」を鈍らせないためにコンスタントに映画を撮っている、、、ように見え始めたのは、ちょうどこのあたりからだったのだ。

…………………………………………




つづく。
次回は、6月上旬を予定。

…………………………………………

本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』

…………………………………………

明日のコラムは・・・

『世代を超えるもの』


コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 夢の殺人者 | トップ | 世代を超えるもの »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
役者・北野武 (marimon)
2012-05-08 23:27:35
監督:北野武も好きですが、役者:北野武の方が好きかも。。。

芸人さんって意外と芝居上手ですよね~
宮迫さんとか漫才師だったこと忘れちゃいます。

返信する

コメントを投稿

コラム」カテゴリの最新記事