弟より兄のほうが好き―という映画小僧は多いはず、
小僧であればあるほど「その傾向」が強く、なんといってもリドリーは、映画史に燦然と輝く『ブレードランナー』(82)を監督しているのだから。
ただ(これは、あくまでも個人的な評価だが)リドリーによるリドリーらしい快作は『テルマ&ルイーズ』(91)が最後で、
オスカーを取った『グラディエーター』(2000)は悪くないかもしれないが、「らしさ」というものはなかった。
つづく『ハンニバル』(2001)は、いわゆる「キメ」の映像満載だが、それがかえって恥ずかしかった。
少しだけ「お!」と身を乗り出したのは『ブラックホーク・ダウン』(2001)くらいで、まもなく公開される『プロメテウス』も含め、なんというか大作主義に過ぎ、そのビッグバジェット感により「らしさ」が完全に殺されている作品が多くなった。
それでも。
腐っても鯛―という表現はあまり好きではないが、新作がどうであれ、我々は「リドリーだから、、、」と消化してしまう偏愛ぶりで、
それというのも繰り返しになるが、『エイリアン』(79)や『ブレードランナー』を世に送り出した功績からくる幻想を抱いている、、、、そんな風に解釈出来るかもしれない。
CMの世界で脚光を浴びた弟トニーが映画界に「鳴り物入りで」参戦したころ、映画小僧の共通認識は「軽いノリだなぁ・・・兄貴に比べて」というものだった「はず」。
悪くいえば大味で空虚、よくいえば陽気。
芸術性に溢れた兄貴の映画の映像美を軽々と超え、呆れるほどに大ヒットを記録してしまうところも小僧たちの反感を買っていた。
平気でミグを撃ち落すシーンが描かれる『トップガン』(86)の無神経さは、そのままトニーの人格を表している・・・などという暴論さえ聞かれ、これには頷けないところもあるが、
面白くて何度も観返している『ビバリーヒルズ・コップ2』(87)や『トゥルー・ロマンス』(93)は、監督が違っていたら「もっと」面白くなったのではないか・・・という評価は「そのとおり!」だと思った。
とくに『トゥルー・ロマンス』のデニス・ホッパーとクリストファー・ウォーケンの対決は、二大俳優の熱演によって名場面にはなっているものの、トニーの力量そのものは「どうこういうものではなかった」、、、ような気がする。
(敬愛する批評家ピーター・トラバースも、「この極上の脚本が、どうしてトニー・スコットの手に渡ったのか解せない」と評していた)
個人的な評価が変わってきたのは、リドリーに「らしさ」がなくなりかけてきたころ。
95年、『クリムゾン・タイド』の発表。
「潜水艦映画にハズレなし」という映画界の定説を破ることなく、男たちの熱き戦いをきっちり描きこんでみせた。
兄貴の元気がないぶん、都合よく弟に期待をし始める小僧―。
以後、空虚で陽気で、、、という本質そのものは変わらなかったものの、昔のように毛嫌いをすることはなく、トニーの映画を受け入れるようになっていった。
・・・などと記したものの、
兄と弟の比較という視点で論じるのは受け手ばかりで、当の本人たちは同胞という意識以外になく、(バンドのオアシスみたいに)張り合っている、、、という印象は受けなかった。
むしろ誤解を受けるほどに仲がよく、とくに近年は共同で制作活動なども展開しており、もうハリウッドの大御所なんだな、
しかし英国出身であるから、たとえばロンドン五輪が10年くらい前に開催されていたら、ふたりが共同で開会式の演出をしていたかもしれないな、、、と。
それでも神経質な兄と、陽気な弟という印象だけは、昔も今も変わらない。
だからこそ、もしこの訃報が兄だったら、もう少し「自然に」受け入れることが出来たのかもしれない・・・なんて結ぶと、怒る映画小僧も居るだろうか。
トニー・スコット、海にダイブして自死する。
8月19日死去、享年68歳。
遺作は、日本でもスマッシュヒットを記録した『アンストッパブル』となった。
合掌。
追悼の意味をこめて、当時は最先端のお洒落とされていたトニーの編集術を堪能してみようか。
※その一例。
場繋ぎが、いちいち洒落ていた。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『にっぽん男優列伝(164)倉田保昭』
小僧であればあるほど「その傾向」が強く、なんといってもリドリーは、映画史に燦然と輝く『ブレードランナー』(82)を監督しているのだから。
ただ(これは、あくまでも個人的な評価だが)リドリーによるリドリーらしい快作は『テルマ&ルイーズ』(91)が最後で、
オスカーを取った『グラディエーター』(2000)は悪くないかもしれないが、「らしさ」というものはなかった。
つづく『ハンニバル』(2001)は、いわゆる「キメ」の映像満載だが、それがかえって恥ずかしかった。
少しだけ「お!」と身を乗り出したのは『ブラックホーク・ダウン』(2001)くらいで、まもなく公開される『プロメテウス』も含め、なんというか大作主義に過ぎ、そのビッグバジェット感により「らしさ」が完全に殺されている作品が多くなった。
それでも。
腐っても鯛―という表現はあまり好きではないが、新作がどうであれ、我々は「リドリーだから、、、」と消化してしまう偏愛ぶりで、
それというのも繰り返しになるが、『エイリアン』(79)や『ブレードランナー』を世に送り出した功績からくる幻想を抱いている、、、、そんな風に解釈出来るかもしれない。
CMの世界で脚光を浴びた弟トニーが映画界に「鳴り物入りで」参戦したころ、映画小僧の共通認識は「軽いノリだなぁ・・・兄貴に比べて」というものだった「はず」。
悪くいえば大味で空虚、よくいえば陽気。
芸術性に溢れた兄貴の映画の映像美を軽々と超え、呆れるほどに大ヒットを記録してしまうところも小僧たちの反感を買っていた。
平気でミグを撃ち落すシーンが描かれる『トップガン』(86)の無神経さは、そのままトニーの人格を表している・・・などという暴論さえ聞かれ、これには頷けないところもあるが、
面白くて何度も観返している『ビバリーヒルズ・コップ2』(87)や『トゥルー・ロマンス』(93)は、監督が違っていたら「もっと」面白くなったのではないか・・・という評価は「そのとおり!」だと思った。
とくに『トゥルー・ロマンス』のデニス・ホッパーとクリストファー・ウォーケンの対決は、二大俳優の熱演によって名場面にはなっているものの、トニーの力量そのものは「どうこういうものではなかった」、、、ような気がする。
(敬愛する批評家ピーター・トラバースも、「この極上の脚本が、どうしてトニー・スコットの手に渡ったのか解せない」と評していた)
個人的な評価が変わってきたのは、リドリーに「らしさ」がなくなりかけてきたころ。
95年、『クリムゾン・タイド』の発表。
「潜水艦映画にハズレなし」という映画界の定説を破ることなく、男たちの熱き戦いをきっちり描きこんでみせた。
兄貴の元気がないぶん、都合よく弟に期待をし始める小僧―。
以後、空虚で陽気で、、、という本質そのものは変わらなかったものの、昔のように毛嫌いをすることはなく、トニーの映画を受け入れるようになっていった。
・・・などと記したものの、
兄と弟の比較という視点で論じるのは受け手ばかりで、当の本人たちは同胞という意識以外になく、(バンドのオアシスみたいに)張り合っている、、、という印象は受けなかった。
むしろ誤解を受けるほどに仲がよく、とくに近年は共同で制作活動なども展開しており、もうハリウッドの大御所なんだな、
しかし英国出身であるから、たとえばロンドン五輪が10年くらい前に開催されていたら、ふたりが共同で開会式の演出をしていたかもしれないな、、、と。
それでも神経質な兄と、陽気な弟という印象だけは、昔も今も変わらない。
だからこそ、もしこの訃報が兄だったら、もう少し「自然に」受け入れることが出来たのかもしれない・・・なんて結ぶと、怒る映画小僧も居るだろうか。
トニー・スコット、海にダイブして自死する。
8月19日死去、享年68歳。
遺作は、日本でもスマッシュヒットを記録した『アンストッパブル』となった。
合掌。
追悼の意味をこめて、当時は最先端のお洒落とされていたトニーの編集術を堪能してみようか。
※その一例。
場繋ぎが、いちいち洒落ていた。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『にっぽん男優列伝(164)倉田保昭』
「ビバリーヒルズ・コップ」なんて好きでした
分かりやすい面白さある映画を創る監督さんだったように思えます
面白い映画を有り難うございました
いっぱい楽しませてくださって
監督のご冥福を お祈り致します