Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

小便の作法

2012-11-02 00:15:00 | コラム
デパートや駅のトイレで、いっつも疑問に思うことがある。

小便を終えた同性たちの3割くらいは、手の全体ではなく指、、、しかも2~3本だけ、、、いや2~3本「しか」洗わんのである。

つまりあれだ、ちんちんに触れたところだけ「とりあえず」水で流していると。

ちんちんに触れたであろう指で蛇口を「ちょっとだけ」ひねり、ちょろちょろの水で、ちんちんに触れたであろう指を「ちょっとだけ」洗う。
蛇口を閉めるのは「なぜか」逆の手だったりして、本人はそんなこと気にせずトイレをあとにする。

だったら洗わずに出て行ったほうが、潔くね? という話である。

そういう問題ではない! と女子から突っ込まれそうだが、
これは自分自身と、その空間に存在する同性を納得させるため、「ほら、水出してるよ、ちゃんと洗っているでしょ」とアピールするための行動に過ぎないのだ。

ソイツと握手するわけでもないし手を繋ぐわけでもないから別にいいのだけれど、
男らしく? 服が濡れちまうくらい水バシャーと出して洗うか、男らしく? 一切洗わないか、どっちかにしてほしいのである。そのほうが見ているほうも、気持ちがいいのである。

自分?

きったねーツラして、神経質だからね。後ろでひとが待っていても、時間をかけて手を洗っている。


映画とちんちん、、、じゃない、映画と小便で想起するのは『クライング・ゲーム』(92)だろう。

『クライング・ゲーム』はヒトコトでいえばメタファー「満載」の映画で、あの描写もこの描写もあの曲もこの台詞も、すべてがゲイ的要素の暗喩として構築されている。

冒頭に流れる『男が女を愛する時』(When a Man Loves a Woman @ パージー・スレッジ)からして思わせ振りだが、
たとえばテロリストと誘拐された黒人兵士とのやりとりで構成される前半のなかにも、後半の展開へと繋がる伏線、、、というより暗喩がいくつも登場する。

そのひとつが、小便のシーン。

手錠に繋がれた黒人兵士ジョディは、ひとりで小便することが出来ない。
そこで見張り役のテロリスト、ファーガスに「ジッパーを下げてくれ」「モノを出してくれ」「モノを振ってくれ」「モノを仕舞ってくれ」「ジッパーをあげてくれ」と頼むのである。

うーむ。

この状況、個人的にはジョディにもファーガスにもなりたくない。
相手が女子であったら、どっちの役でも率先してやるけどさ。


さてこの映画、
後半の展開は「秘密」ということになっていたが、じつはほとんどの「日本の」観客は観る前から「秘密」の内容を知っていた。
暗喩満載―だからではなく、公開時期が英国・米国よりも遅く、オスカーのノミネーションのあとになってしまったから。

ある写真の掲載・・・いや「不」掲載によって、「もしや?」と思われてしまったのである。

女性キャラクターのはずのジェイ・デヴィッドソンが、オスカーでは助演男優賞にノミネートされる―この展開を受け日本の映画雑誌は、「彼の顔写真」を載せず「?」だけで表現したわけ。

苦肉の策であることは分かるが、かえって観客の推理欲求? に火をつけてしまったところはあった、、、のかもしれない。

しかしこの映画は、秘密があろうがなかろうが、愛についての素敵な物語であることにかわりがない。

おっと。
小便を語り、着地点は愛ときたもんだ。

たいしたもんだよ映画は、小便も愛も受け入れてくれるのだもの。

わけがわからん?

それもまた、映画の魔力である。

たぶん、、、ね。


※きったねー話がメインだったので、ベッド・ミドラーがカバーした『When a Man Loves a Woman』を。
当たり前なのだろうけれど、すげー巧い。




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明日のコラムは・・・

『美少女と美女とのあいだ』

コメント (1)
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