SEA side

静けさの中で波の音だけが永遠に響きつづける。
美しいものとの出会いの記憶・・・・。

映画 「ロストクライム 閃光」

2010年07月21日 | 映画(ラ行、ワ行)

 3億円事件の隠された真実を描く作品。

 奥田瑛二扮する停年間近の刑事の執念がその真相に迫る。若手エリートの渡辺大とコンビを組み、その成長物語も絡ませようという構成にはなっている。

 テーマは面白そうだし、役者の顔ぶれも新旧の、特に旧が厚い配役になっている。が、結局印象に残ったのは主題歌のみで、惨敗の様相だ。

 全体にもたついた展開で、脚本が悪いのか、編集が悪いのか、映像の積み重ねで伝わってくる事実があいまいなものになっている。

 仲間割れから生じた殺人と思っていたら真犯人がいた。という構成なのだが、そこにいたる犯人像の描き込みが不足しており、いきなり感がある。よく都合よくターゲットに行き着き殺害出来るな、と感心してしまう。そのプロセス描写が皆無だからだ。
 少なくとも前半の連続殺人は「仲間割れ説」の方がよほど説得力がありそうだ。

 いまどき、テレビのクライムムービーの方がよほどスマートで、よく練られているように見えるのだが・・・。

映画 「レポゼッション・メン」

2010年07月09日 | 映画(ラ行、ワ行)

 悪徳金融の取立て屋を主人公にしたような映画だ。違いは、金ではなく移植した人工臓器を、支払いが滞ると回収してまわるということだ。

 回収とは臓器摘出のことだから全編、血と死で彩られる。

 舞台は「ブレードランナー」を思わせる未来社会。医療が行き着くところまで行っており、悪いパーツはすべて工業製品に置き換えて健康を維持する世界だ。どこまで置き換えれば人がサイボーグになるのかという問題もあるだろう。

 取立て中の事故で回収人自身が人工臓器のお世話になり、やがて滞納・・・そこで主客逆転、取立て、回収の対象になる。

 ジュード・ロウとフォレスト・ウィテカーが幼馴染で、ペアで回収作業を行っているが、事故を境に追う者と追われる者になるところが見所だ。

 しかし以外にあっさり解決、ハッピーエンド。そんな簡単な映画なのかと思ったらもう一段先の仕掛けがあるものの、そもそもなぜ事故が起こったか、というその理由があまりにお粗末な印象がある。

 移植を受けた人が金融業者から借りて代金を支払っておけば、厳しい取立てはあっても摘出まではされないだろうに・・・?

映画「リミッツ・オブ・コントロール」

2010年03月16日 | 映画(ラ行、ワ行)

 殺し屋のような風采の男がミッションを受けて殺しを実行する、という物語なのだが、サスペンスではない。犯罪映画ですらないかもしれない。

 音楽で言えばマイケル・ナイマンのミニマル・ミュージックを映像で見せられているような感覚だ。単純な反復が繰り返され、ほとんど展開はない。が、同じ反復でも微妙に変化しながら徐々に展開している。
 
 殺し屋が太極拳のようなエクササイズをし、2杯のエスプレッソを注文する。そこにメッセンジャーが現れ、指示書と報酬の入ったマッチ箱をお互いに交換すると男は読み終えた指示書を飲み込んでしまう、という光景が場所と相手を変えながら延々と繰り返されるのだ。

 何かが起きそうで起きない。おかげで前に座っていた叔父さんは途中で眠りに落ちてしまった。なかなか豪華な配役も見られるのだが。

 他のジム・ジャームッシュ作品では「コーヒー&シガレッツ」が感覚的にもっとも近い。コーヒーとタバコを基本アイテムに人生の諸相を見せる、こちらはなかなか味わい深いオムニバス作品になっていた。

映画 「私の中のあなた」

2009年10月27日 | 映画(ラ行、ワ行)

 もっとも現代的なテーマを扱った意欲作で、家族愛のあり方を考えさせられる。

 難病の長女が必要とする理想的なドナーとして計画的に出産された次女、という驚くべき存在の主人公をアビゲイル・ブレスリンが演じる。母親がキャメロン・ディアス。

 ドナーとして切り刻まれる肉体を運命的に背負っているわけだ。その苦痛に対して反旗を翻し、幼い少女が弁護士を立てて親を告発する。

 どう決着するのか想像もつかずに見ていると、その背後の「深い理由」が見えてくる。

 「死」に直面した時、それを受け入れることが出来るか? それが自分の「死」である場合も、家族の「死」である場合も・・・という重い映画だが、家族の愛のあり方がなんとも美しく哀しい。

映画 「湾岸ミッドナイト THE MOVIE」

2009年09月17日 | 映画(ラ行、ワ行)
 ビデオムービー・シリーズやTVアニメになった人気コミックの実写映画化作品。

 中村優一と加藤和樹、仮面ライダー系の若手が主役の二人を演じている。

 事故や死でドライバーの人生を狂わせる呪われた車が、「13日の金曜日」の不死身のモンスター、ジェイソンのように、その都度よみがえる。
 「悪魔のZ」と呼ばれる青い車体の車だ。

 が、車が主人公のホラー映画ではなく、それに魅入られた男たちのドラマだ。

 夜の湾岸を時速200km超で疾走する恍惚感を観客は安全な劇場のシートで体験することが出来る。スピードに魅せられた人種が、こういう時間帯にこういう場所に生息していることも分かって面白い。

 直接の対戦相手となるポルシェの黒、脇役的な袴田吉彦と松本莉緒の車が黄色と赤で配色も決まっている。

 続編が出来そうなラストであるが、チューンナップで部品が交換されていくし、最後に主人公の乗る「悪魔のZ」は炎上してしまう。その車がまた蘇るという場合、何が残っていることが条件なのだろう?エンジンか?分かる人がいたら教えて欲しい。

 同種同型同色の車を用意したところで「悪魔のZ」の蘇りにはならないらしいのだ。

映画 「レスラー」 ~ 敵は年!

2009年07月29日 | 映画(ラ行、ワ行)

 プロレスの舞台裏では、見せ場をどう作るか、相手も納得ずくのショーとして練り上げられていることが分かる。

 しかし、筋書きがあっても体を酷使する事には変わりなく、過酷な職業だ。年齢を重ねても過去の栄光は忘れられない。かつての歓声に包まれた恍惚感が、年老いた今も体を鞭打つ原動力なのだ。

 ショーの舞台と、日常の惨めで何もない静けさの落差が伝わってくる。

 ミッキー・ロークの若き日の華をリアルタイムでスクリーン上に見ていた世代には、その実像とこのレスラー像がダブって痛々しい。

 マリサ・トメイ演じるストリッパーと心を通わせるが、彼女もまた別の形で年と戦いながら体を張っている「戦友」なのだ。

映画 「路上のソリスト」

2009年06月22日 | 映画(ラ行、ワ行)

 精神的な安定を欠く天才音楽家の復活劇、といえば「シャイン」を思い出すが、テイストはまったく違う。誰もが望む幸福な結末はやってこない。本作の場合、果たして復活したとも言い切れないし・・・。

 時々挿入される空撮によるロスの街が神の視点のようで、主人公たちに感情移入することのないクールな作品のスタンスを象徴している。

 人が人を助けるということがそれほど簡単なことではないことが分かる。むしろそう思ったロバート・ダウニー・JR.の記者の方が、逆に救われているかのようだ。

 でも、そんな誰かが傍にいてくれるというだけで、救われていることがあるのかも知れない。大感動というより、ジワッと感動作だ。

 音や映像など作家性に裏付けられた技巧が表立たない形で知的な印象を与えている。

映画 「レッドクリフ PartⅡ 未来への最終決戦」

2009年05月19日 | 映画(ラ行、ワ行)
 二部作の完結編。

 メインディッシュに当たる赤壁の戦いは、溜めに溜めた抑制を、最後にあらん限りの力で解き放つような迫力で見せる。

 古典的な戦いだが、そこに至るまでに細菌戦、心理戦、諜報戦のような現代的な要素が詰まっていることが分かる。

 ヴィッキー・チャオ演じる尚香のスパイ戦が大きな役割を果たすが、このパートは全体としてはコミカルな演出になっている。

 天の時、地の利、人の和が劉備・孫権連合軍に勝利をもたらす。まさに「天地人」、NHK大河ドラマの世界だ。そういえば「風林火山」の言葉も出てくる。

 戦いの戦略、戦術が具体的視覚表現として眼前に繰り広げられる様は圧巻である。

映画「 わが教え子、ヒトラー」

2009年05月08日 | 映画(ラ行、ワ行)

 ヒトラーを茶化した悲喜劇。文字通り張りぼてと化した第三帝国の裏側を描いている。ただコメディと呼ぶにはシリアスだ。

 ヒトラーを「独裁者の孤独」の視点からとらえているため、いわゆるナチスの非道はあえて画面には出てこないし、ヒトラーはただの叔父さんに見えてくる。ヒトラーの教師役になる「教授」一家も家族は多いが、ここに至るまでの間、誰一人収容所で命を落としてはいない。

 「ヒトラー=ユダヤ人」説なるものがあったが、この映画では自らユダヤ人の血を引いていることを語らせもしている。また厳格な父親の教育が性格形成に影響を与えたと言う設定だ。

 ナチスの画策したヒトラー大演説は、偶然が重なって吹替えをすることとなった教授が暴走、壮大な失敗に終わったことになるわけだが、その後どうなったのか、歴史とこの物語をどう結び付けたいのかが曖昧なまま終わっている。

映画 「ラースと、その彼女」

2009年04月23日 | 映画(ラ行、ワ行)

 引きこもりという訳ではないけれど、社会とのコミュニケーションから一歩引いたところにいる青年が、その一歩を踏み出すまでの物語。

 気持ちのやさしい青年で、小さな街の人々が皆、彼のことを気にかけていることが良く分かる。ようやく彼女が出来たというので会ってみると・・・というあたりが面白い。

 ビアンカと名付けられたリアルドールをラース本人はマジに本物と思い込んでいるようなのが厄介だが、街の人たちもそのウソに真面目に付き合い、ビアンカの存在そのものがある種の象徴的リアリティーを帯びていく。

 いつ、どういうタイミングでラースがリアルな世界と折り合いをつけるのか、スリリングで、ハートフルな愛すべき作品だ。

 一歩間違うと「サイコ」だが、世の中ロボット犬やお話人形が売れているということは、そこに癒しを求める人が多いということであり、本作はファンタジーを超えたリアルなテーマを含んでいるともいえる。