今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

803 瀬波(新潟県)波の音熱すぎる湯にかき消され

2017-12-15 14:17:56 | 新潟・長野
せっかく新潟に来たのだから、温泉に入っていったらいいという同級生の誘いに乗って、新潟市の北60キロの瀬波温泉に来ている。寒日の焼香行脚で身体も心も冷え切っているだけに、瀬波の熱すぎる湯が心地よい。案内してくれたのは中学1年次の同級生で、前日の親戚廻りに付き合ってく3年次の同級生とは顔ぶれが異なる。前夜はその3年次のクラスの何人かが集まって、忘年会を催してくれた。故郷とは、まことに暖かいものである。



瀬波は日本海の波打ち際にある温泉場で、温泉郷というほどの規模ではないものの、当然のことながら夕日はすこぶる美しいらしい。温泉街を見晴らす高台の源泉湧出地(噴湯場)に行くと、温泉の由来として「1904年(明治37年)4月9日午前10時、岩船興業組合が石油掘削中に、地下199間(252m)より突然、150度の熱湯が噴出した。前夜には、野狐が群れて騒いだそうです」と書いてある。みんな興奮したことだろう。



建っている2本の櫓は、確かに石油掘削用のように見える。新潟にはこうして発見された温泉が他にもあり、いかにも石油の埋蔵で知られる新潟県らしい由来だ。噴湯場の奥には各旅館に湯を配分する装置なのだろう、パイプごとに「吉田や」「大和や」「病院」「共同」などの札が下がっている。昭和12年には与謝野晶子もこの地にやって来て、「温泉はいみじき瀧のいきほひを天に示して逆しまに飛ぶ」など、45首もの歌を残している。



草津や有馬の由来には遠く及ばないけれど、湯の熱さではひけをとらない。私たちが泊まった宿は、温度を調整することもなく源泉掛け流しを売り物にしているようで、その熱いこと! 水道の蛇口の脇で、冷水を流しながらようやく温まる。新潟の冬の冷気はこれほど厳しかったかと、私にしては珍しく3度も入浴した。東京暮らしが長くなって、ひ弱になったなと友人に笑われた。海辺の温泉だからといって、塩の味はしなかった。



私が子供の頃、ここは瀬波町と言ったと思うが、今は村上市に合併している。村上は新潟県最北の小さな城下町で、12年前に訪れた際には「時折訪ねてみたくなる街」だと書いている。だから今回も、瀬波の帰りに村上市中に立ち寄ってもらう。名物の「塩引き料理」の昼食が狙いなのである。友人が予約しておいてくれたのは、井筒屋という料理屋で、「奥の細道」の途次、芭蕉と曽良が宿泊した旅籠の跡に建つ、元は旅館だった建物だという。



塩引きはもちろん、ハラコの醤油漬けも昆布巻きも、鮭の生ハムも、すこぶる美味である。料理を受け持っているのは同じ街道に面した塩引きの製造元「きっかわ」で、その店の奥を訪ねると、職人さんが大きな鮭にせっせと塩を擦り込んでいる。この塩を洗い落としては3度擦り込み、40日間寒風に晒すと「塩引き」が生まれる。この工程で鮭は発酵するのだそうで、鮭の塩漬けである「新巻き」とは、全く異なる加工品なのだという。



12年前に来た日、街はトライアスロンの大会で盛り上がっていた。当時の人口は3万人程度だったと思うが、隣接町村と合併し、現在は6万人超の街になっている。トライアスロン大会も継続されており、板1枚1000円の寄付で城下町の風情を復活させつつある黒塀プロジェクトは、通りの長さが随分延びている。そうした頑張りの成果だろう、地方につきものの商店街の寂れが、あまり感じられない心地よい街である。(2017.12.10-11)







(瀬波海岸から弥彦山・角田山を望む。左は石油探査基地)

(越後湯沢あたりの雪景色)

(帰路、大宮を過ぎると富士山が見えた)







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