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中小企業での販売管理プログラムの作成についての所感

「武士は食わねど高楊枝」と「衣食足りて礼節を知る」

2016年04月23日 10時06分20秒 | Weblog
熊本地震がおきて日本人の秩序ある行動が報道されている。

熊本地震、韓国メディアが「冷静に行動する日本人」を相次ぎ報道
http://news.infoseek.co.jp/article/recordchina_RC_134458/

こういう報道を聞くと、日本人の行動倫理って
「武士は食わねど高楊枝」
だと思う。腹が減っても倫理観を失わない。礼儀正しい。

中国だと「衣食足りて礼節を知る」(『管子』)だ。
「衣食が足りて」初めて礼儀を守る。実際、今の中国は「衣食足りても礼節を知らず」だと思うのだが。

『管子』のこのことばは「衣食足りて礼節を知れよかし」の誤訳ではないかと思ってしまうのだ。「衣食が足り」たら「礼節を知」ってもらいたいよ~、だ。

「衣食」足りなきゃ、「礼節」を知らないよ、守らないよ、と、腹が減っても誇りを忘れないよ、じゃ随分違う。
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ケリー米国務長官、広島慰霊碑で献花2

2016年04月23日 09時52分17秒 | Weblog
ちょっと書き足らなかったので、もう少し。

アメリカ大統領が訪日時に靖国神社を参拝しない、できないことについて。
やはり、A級戦犯と言われる人は分祀すべきだと思う。

日本の総理大臣が訪米すればアーリントン墓地を訪問します。靖国神社に戦争責任者が合祀されていなければ、アメリカ大統領の参拝も可能なのではないかと思います。天皇陛下さえ参拝できない、今の靖国神社はやはり問題です。

まだ、見通しだけで実現していませんが、オバマ大統領の広島訪問が実現したなら、今度は靖国神社参拝の可能性を探ってみるべきだと思います。相互主義ということもあり、日本の総理大臣のアーリントン墓地訪問、アメリカ大統領の靖国神社参拝は両方あってしかるべきかと。

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ケリー米国務長官、広島慰霊碑で献花

2016年04月23日 09時37分55秒 | Weblog
私は被爆二世で、父が被爆しています。当時、父は現在の本川小学校のあった場所に住んでいました。原爆ドームは川向こうです。父の母はをはじめ家に居た人は、全員死にました。祖父は天満町で、父は観音町で被爆しました。

私が小さかった頃、8月6日の夜、元安川を埋め尽くす灯籠を今でも覚えています。

結婚した妻の親戚も十日市町に家がありましたが、家が崩れて下敷きになった大叔母(?)が子供に「私のことはかまわずに逃げんさい」と言って亡くなったという話を聞いています。

父は原爆当日のことは全く話しませんでしたが、左耳は潰れて、背中にはひどいやけどがありました。子供心に「父の背中は融けてる」と。

この11日、ケリー米国務長官、広島慰霊碑で献花されました。単純にうれしいです。

被爆者自身がどう感じているか、それはわかりません。私自身が被爆したわけではないので、そう思うのか、単に、墓参りしてもらって感謝するという気持ちです。「謝罪」の言葉が必要だという論調のマスコミもありますが、生存している被爆者が少なくなっていることもあり、地元広島で「謝罪」を求める人は少ないではないかと思います。

原爆投下を非難するよりも、むしろ「なんであんな戦争をしたんだ!」という気持ちが強いです。慰霊碑の石碑前面には、「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と刻まれています。よく、「この文章の主語はなんだ」と言われますが、「私たち」に決まってます。戦争は一人ではできず、お互いに殺し殺されです。原爆投下は戦争の経過で起こったことで、戦争がなければ原爆投下もなかった。

原爆で死ぬのと、焼夷弾で焼け死ぬのとどう違うのか、とも思います。焼夷弾による空襲爆撃は全国どこでも聞きます。東京、大阪、名古屋、、、。また、沖縄では日本で唯一の地上戦が行われ約10万人の民間人が亡くなっています。

発 沖縄根拠地隊司令官
宛 海軍次官
大田司令官、最後の電文
「沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを。」

その沖縄が戦後、アメリカとなり、返還後も米軍基地問題を抱えてしまっていることは本当に気の毒だと思います。

日本の総理大臣が訪米した際にはアーリントン墓地へ参拝します。アメリカの大統領が訪日した時、靖国神社に参拝しません。天皇陛下もA級戦犯合祀後、参拝されていません。「なんであんな戦争をしたんだ!」と思えば、当時の政治、軍事責任者に対して強い憤りを覚えます。「政治家は軍の暴走を止められなかっただけで、実は戦争に反対だったんだ」と言われますが、大抵、軍の暴走後、事後承認していて、責任を逃れることはできないと思います。

元々、明治時代から言われていた「朝鮮半島は欧米列強から日本に突きつけられた刃だ!」とか、「満州は日本の生命線だ!」とかいう考えかた自体がおかしい。これは戦前の政治家、軍人の共通認識だったと思のですが、朝鮮半島、満州にしても昔からその土地に住んでいる人がいる。その人達をどうしようというのだろう。戦後、満州開拓団として移民した人の話で、「その土地に人が住んでいるということは考えなかった」というのを読んだことがありますが、満州は「清」国の発祥の地です。そこに人が住んでいるのを考えなかった、というのはある種のプロパガンダがあったとしか思えない。そう考えると、政治家に責任がなかったとはとても言えない。

また、当時、戦争をあおった当時の新聞にも非常に憤りを覚えます。祖母の話ですが、東条内閣が発足した時、「これで日本もよくなる。近衛さんみたいに優柔不断じゃだめだ。」と思ったということだった。全く、新聞の論調がそうだったのだと思う。革新的なインテリ新聞、朝日新聞が戦前どのような報道をしていたか。朝日新聞だけそうだったわけではないのでしょうが、珊瑚礁に文字を書いてみたり、従軍慰安婦を大きくとりあげてみたり(珊瑚礁に字をかくように)。マスコミにも責任がある。

そう考えるとアメリカに「謝罪」を求める必要がどれだけあるのかと思います。今日の新聞に「オバマ大統領、広島訪問の見通し」という記事が出ています。はっきりうれしい。訪問して献花してもらうだけで、気持ちが通じる。

どこかの国みたいに「謝罪!謝罪!謝罪!」というのはおかしい。少なくとも今の広島市民は訪問して献花してもらうだけでどれだけ気が休まるか、心のどこか引っかかっていたものスッと抜けて行くような気持ち。

くれぐれもマスコミには「謝罪」を要求することがないよう、オバマ大統領が気持ちよく広島を訪問できるよう報道してもらいたいと思う。
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