AccessとLinux

中小企業での販売管理プログラムの作成についての所感

「花燃ゆ」

2015年04月18日 14時09分41秒 | Weblog
NHKの「花燃ゆ」を見てて、司馬遼太郎の「世に棲む日々」を読み返している。中学生以来だ。

吉田松陰と言う人は良く分からん人だな、と思っていたが、やっぱり良くわからない。

安政の大獄で死罪になった。
この場面はよく、映像化されるのだが、昔見たドラム(映画?)では松蔭先生の遺体が無残に切られているので、門弟の一人が尋ねたところ、刑場で暴れられてこうなったのだ、というシーンがあった。一方、NHKの「花神」では、首切り役の山田浅右衛門の言葉として

「いよいよ首を斬る刹那の松陰の態度は、実にあっぱれなものであった。悠々として歩き運んできて、役人どもに一揖(いちゆう)し、“御苦労様”と言って端座した。その一糸乱れざる堂々たる態度は、幕吏も深く感嘆した」
http://www.yoshida-shoin.com/torajirou/saigo.html

とあったりして、どちらが本当なのかと不思議だった。

また、安政の大獄で刑死した人を見ると

橋本左内………越前松平慶永家臣、斬罪
頼三樹三郎……京都町儒者、斬罪(頼山陽の三男)
安島帯刀………水戸藩家老、切腹
梅田雲浜………小浜藩士、獄死
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E6%94%BF%E3%81%AE%E5%A4%A7%E7%8D%84

だったりで、有名どころばかりだ。対して松蔭は個人的な事件ばかりで全国区で名前が知られていたとはとても思えない。その割には安政の大獄で刑死した人として有名だ。このギャップが何となく理解しがたかった。だが、これを読んで納得した。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14115953369

次いでこれを読んだ。

http://www2.dokidoki.ne.jp/quwatoro/faq2/faq2.cgi?action=answer&no=33

思ったのは、吉田松陰って文天祥になりたかったのでは、、、
まさに、中国の士階層でよくある「名を後世に残したい」で、松蔭の場合、松下村塾の塾生が維新の功臣になったことで名を成したのだが、本人としては文天祥を意識した行動だったのではないかと思う。なので、刑場で暴れるわけはない。
コメント
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