AccessとLinux

中小企業での販売管理プログラムの作成についての所感

アップル2

2006年05月27日 09時03分06秒 | Weblog
アップルについての本ですが、こういう話を読んでいると、ハッカーからボロクソに言われている、ビル・ゲイツがどれだけ優秀な経営者かということを非常に感じます。
驚くのは最初のWindowsの開発時点で、社内的にさえ極秘なWindowsの開発状況をアップルの経営者に本人自身がわざわざアップルを訪問して説明していたということです。この時点ではまだ、マイクロソフトはマッキントッシュライクなOS開発のライセンスを取得していません。その後、ライセンスを取得、Windows発売、アップルはそこまで認めていないということで、提訴ということになるのですが、かなり早い時点で裁判になるということはビル・ゲイツの念頭にあったのでしょう、弁護士の父を持つビル・ゲイツならではと思います。
また、優秀な技術者が多数社員となっているということではマイクロソフトも人後に落ちません。その優秀な技術者を一つの方向性に向けてOS開発を行わせるという、経営方針を打ち出せるところにビル・ゲイツの偉さがあります。
もともと、8ビットマシンではデジタルリサーチ社のCP/Mがあり、16ビットマシンではほおっておけば、CP/M86が主流になるところを、MS-DOSで制覇し、GUIでかなり水を空けられているアップルを上に見ながらIBMのOS/2を蹴倒し、アップルに追いついてしまう。しかも、市場の9割を押さえている。
こんな芸当ができるから2兆円の資産が持てるんだな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アップル1

2006年05月27日 09時02分35秒 | Weblog
最近、早川書房の「アップル」という本を読んでいます。
創業者のスティーヴ・ジョブズが去って、再び復帰するまでのアップルがいかに経営されたかが書いてあります。
私が学生時代、アップルはまだAppleⅡ(?)の時代で機械系の学部にいたこともあり、コンピュータは機械計測、制御といった使用のされかたをしていました。まだ、ソフトは買うより、自作が主体の頃でした。そのため、アップルは「何にもできないけど、何でもできる」という言い方をされていました。
そうこうしている内にマッキントッシュが発売されました。非常に高くて30万円以上したように思います。ディスプレイ一体式の箱型でPCというより、おもちゃっぽい印象でした。使ったこともなく、値段が高いということもあり、全く興味もありませんでした。
最近になって、iPodがやたら人気で、娘までiPodをほしがる始末。たまたま、ノートPCを持っていた人がBookMac?でiTuneの画面を見せてもらったりして、「マックって、こんなんだ!」と何となくマックを良く聞くようになりました。
以前、古本屋で一冊300円×2冊で買った、「アップル」(ジム・カールトン著)を取り出してきて、行き帰りの電車の中で読み始めました。スティーブ・ジョブズが会社を離れるところから話しが始まります。1980年代後半からです。「そうなんだ、昔はこうだった。」。モトローラ製CPU、そんなんあったよな。リニアなメモリー空間でIntel製CPUより優れている、と言われているにもかかわらず、なぜかマイナーなCPU。
「アップル」を読んでみると、マッキントッシュの時点でアップルはGUIとネットワーク(Apple Talk?)を実現しており、マイクロソフトでいうとWindows95相当の機能を1980年後半時点で実用化しいました。約7年は先行しており、その期間は完全にアップルが業界の先進的な立場にいたわけです。マイクロソフトはIBMとWindows×OS/2の抗争もあり、PC/AT互換機が大半のシェアを持っていたとしてもディスクトップパブリッシングを始めとした、グラフィック主体の機能では、アップルに相当、水を空けられていました。(今でもグラフィック関係の業務ではアップルが主流ですが、この本でも言われていますが、それはニッチな市場です。)
1980年代後半のアップルのシャアは20%位はありました、それがGUI搭載マックの高級機指向で、高い利益率を重視するあまり、シャアが軽視され1992年で8%まで落ち込んでいます。今、どうかというと5%を切っています。7年間先行していながら、市場を制覇できなかったわけです。
どうしてこんなことになってしまったか、ということがこの本のテーマですが、理由は色々あります。
GUIを実現したOSを開発しているのですから、優秀な技術者が揃っていたということは想像するに難くありません。実際、実用的なコンピュータを最初に開発した企業として、アップルは技術系の学生にとっても非常に人気の企業でしたし、何もしなくても優秀な人材が集まってくるような状況でした。また、技術者を非常を大変優遇していました。チョット日本の企業では考えられないくらい好条件です。
そういった優秀な技術者の思うように開発させていれば、良い製品ができ企業としても業績が伸ばせていけるといった考えがその頃のアップルでした。有象無象に深淵なテーマに取り組み、結局場市できないで、開発費を無駄にする。その繰り返しです。
技術者を市場を見据えた製品開発に向けて、一丸となって取り組むという経営方針を打ち出すことができませんでした。そのため、マッキントッシュ発売以降、猛追してくるマイクロソフトに追いつかれてしまいました。高価なMacは安価なPC/AT互換機とはっきりした差別化ができなくなってしまったのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マルチブート3

2006年05月07日 00時03分56秒 | Weblog
そんなわけで、WindowsXPとVineLinux3.2のマルチブート環境の作成です。以前、Linuxはハードディクスの先頭2Gバイト以内にマスターブートレコードをおかなければならないという制限がありましたが(LILOの制限かな)、今時そんな制限が生きているわけもなく、40Gハードディスクの後ろ10GバイトをLinux用にパーティションを切り直しました。使用したのはKnoppixのqtpartedというソフトです。「DebianGNU/Linux徹底入門 第3版」を参考にしました。
Knoppixはハードディクスを使わないでブートできるLinuxです。「こんなもん何に使うんだ?」と思ってましたが、使ってみると便利です。何しろLinuxを起動するのにハードディクスを使わないのですから、ハードディクスに何らかデータが残るということがありません。ハードディスクの代わりにブート時にRAMディスクを構成します。また、必要なソフトはその都度CD-ROMから読み込んできます。
Knoppixのホームページから
knoppix_v4.0.2CD_20050923-20051116+IPAFont.iso
をダウンロードしてきて、CD-ROMに焼きます。このCD-ROMからブートします。
ターミナルから
sudo qtparted
と入力して、パーティションソフトを起動します。後はGUI画面から40GバイトのCドライブを30Gに減らすだけです。後ろ10Gを空き領域にしました。
最初にWindowsがインストールされたハードディクスに、後からLinuxをインストールする場合は非常に簡単にマルチブート環境が作れます。ブートローダーはGRUBというソフトが標準でインストールされます。Linuxのインストーラーはそこまでやってくれます。WindowsNT以降、Windowsでもブートローダーが標準でインストールされますが、Windows95など同じWindowsとのマルチブート環境を作るもので、他のOSとのマルチブートは考慮されていません。その点Linuxは最初からWindowsがインストールされているものとして、Linuxのインストールを行います。
(まあ、Windowsのシェアから言ってこの対応はあたりまえか!?)
Cドライブの空きさえできれば後は、VineLinux3.2インストールCDからブートして未使用領域をフォーマット、インストールするだけです。しかし、新しく空けた10Gのハードディクス領域にSwapパーティションを作ることができませんでした。作ろうとするとanacondaが再起動してしまいます。よくわかりませんが、Swapパーティションはあきらめて、Swap領域無しでLinuxをインストールしました。これで良いのかまだあまり使用していないので良くわかりません。また、変わったことがあれば報告します。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マルチブート2

2006年05月06日 23時39分29秒 | Weblog
実はマルチブートは得意なのです。
今でこそパソコンは安くなりましたが、メーカー製パソコンが主流の時は、型落ちパソコンを10万円出して買ったものでした。新品を何台も買うわけにも行かないし、結局、サーバーは中古を購入ということになってしまったのです。
その頃は、OSを色々試してみようにもパコソンは1台しかないし、Windows95は仕事で使うしで、マルチブートするしかありませんでした。
SystemCommander、PartitionMagicを購入して、パーティションを切り直してOSをインストール、マルチブートという作業何度も繰り返しました。
インストールしたのはWindows3.1、Windows95、WindowsNT4.0、Laser5Linux、Redhat7.*、Debian、超漢字2といったところでした。
最近、100Gバイトのハードディクスが珍しくなくなり、マルチブート環境は用意に作れるようになりましが、OS無しのショップパソコンが、どうかすると3万円台購入できるようになり、逆にマルチブートの必要性も無くなってきたように思います。やはり、面倒です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マルチブート1

2006年05月06日 23時17分59秒 | Weblog
先日、サーバー更新前に自宅で試験中、AccessからPostgreSQLへつながったり、つながらなかったりしたことがありましたが、どうも、サーバーのハードディスクが壊れかかっていたためだったようです。
自宅サーバーでVineLinux2.6からVineLinux3.2に更新して、PostgreSQL8.1.3をインストールここまではうまくいったのですが、dumpデータのリストアで失敗していまいます。最初は訳がわかりませんでしたが、何度かやっているうちにどうもハードディクスのIOエラーがでているのに気づきました。ガビーン、ハードディクスが死んでしまった。
実は心当たりがあるのです。サーバーとクライアントはディスプレイを共用して使用していますが、クライアントの電源を落とした後、節電のために電源タップのスイッチを切っています。ここ数回、サーバーが生きたままでうっかり電源を落としていたのです。
自宅サーバーで使用していたのは中古で購入した富士通FMV-6400TXです。たしかPentiumⅡ400MHzだったと思います。かなり古いです。9年くらい前に発売されたものです。今回、会社でPetiumDでインストール作業をした後なので、「メチャクチャ遅いな~」と思っていたところだったので、まああきらめもつきます。
さて、サーバーが無くなってしまったのですがどうするか。新しいパソコンを買うのはもったいないし、無きゃ自宅でプログラムは書けないし。パソコンは3台持ってます。その内の1台はサーバーだったのですが、残り2台の内1台は仕事用、もう一台は遊び用です。仕事用はさわれないので遊び用をマルチブートでLinuxをインストールすることにしました。
40Gのハードディスクの10GをLinux用としてパーティションを切り直して、VineLinux3.2+PostgreSQL8.1.3をインストールしました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする