prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「マーダーボール」

2008年11月08日 | 映画

題名のマーダーボールとは、車椅子の障害者によるラグビーの俗称。
カスタムメイドの車椅子によるストックカー・レースみたいなガチガチのぶつかり合いにびっくりし、それぞの選手が障害を持った経緯も事故あり病気ありケンカありとさまざまで、障害者というのはこうだと一概にひとくくりできないのがよくわかる。もともとワルなのがたまたま障害者になったという奴が負けん気むき出しで、障害を乗り越えるのはもちろん大変だったわけだろうけれど、それで人格が向上しましたというわけではないのがいい。
下半身が動かない状態でどうセックスするかを解説するビデオなんてのも出てくるのにびっくり。

パラリンピックには(と、いうかオリンピック自体)いっこうに関心を持てなかったが、一番になるために平気で外国チームに移るのを描いたのは、オリンピックでもよくあることだが、テレビには乗りにくい。
日本チームも結構上位につけてるのね。


「ブタがいた教室」

2008年11月06日 | 映画
26人の子供たちが、全員一斉に自由に動き、考え、話すさまが壮観。ひとりひとりが全部違うのが一目でわかる。よくこれだけの表情とリアクションを引き出せたもの。
それぞれがつたないながら自分の意見を語っていって、どれが「正しい」とは決められないまま、まとまらないなりに「合意」を形成する土台になっているのがはっきりわかるあたり、いわゆる「民主主義教育」の臭みなしに本来の民主主義の教育になっている。

実際問題として、この国では「話し合い」万能主義が横行する一方で、力関係の高低に基いた意見の押し付けや単なる喧嘩口論でない本当の話し合いを体験するのは至難のわざで、それを見せてくれたところにドラマにした価値もあると思う。
また、力関係で上の教師がその責任を取ることで、上に立つ意味を教師自身も学ぶのもわかる。

ないものねだりをするけれど、もともと「殺して」食べると約束していたのが、その「殺す」ところが抜けてしまっている。子供どころか大人でも素人にはブタを・解体できるわけがない(卒業間際のブタの、いやでかいこと)のだからないものねだりなのだが、しかし生きているものの命をいただいて生きている、という実感が今薄いのは、その命を奪うところが不可視になっているせいが大きいわけで、昔の農家だったら鶏をつぶして食べるところは普通に見られたわけだし、ヨーロッパの農家では豚の喉を切って、放血して、とことん解体して利用しつくすのを目の当たりにできるところもあるだろう。
ここではオープニングをはじめ、ところどころで新幹線が走っているのを見せて、食肉センターに送るかどうか考えるのがせいいっぱいになっている状況であることはきっちり示している。

その見たくないところを人にやらせて見えないようにしたところに、たとえば差別も生まれたわけで、本当はそこまで教えるきっかけにまでなるモチーフだと思う。これまた小学生にいきなり教える範囲を超えてしまうが、本来、中学生くらいから徐々にその残酷さも見せていくのが必要だろう。
ブタの糞の始末をするのをはっきり見せているのがいい。もっとも、それを流す人間用トイレが割と汚れていて、その掃除も子供にやらせたらどうかなどとも思った。

あと、今みたいに「食の安全」が小うるさくなっていると、どんな出自なのかはっきりしない残飯で育てたブタが敬遠される、なんてことはないのだろうか。いずれにせよ、公式的な「食育」だけでは届かない、さまざまなことを考えさせられる。
(☆☆☆★★)


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「ブーリン家の姉妹」

2008年11月04日 | 映画
ヘンリー8世とアン・ブーリンとのドラマは、以前にも「1000日のアン」があったけれども、今回はアンの妹メアリーとの関係が絡んでくるのが新味。
ドラマの設定自体は姉妹で一人の男を奪い合うというまことに少女マンガ的にドロドロしているけれど、ややメアリーが後半いい子になりすぎていてひっこんでしまう感じだが、アンの処刑にあたって姉妹の絆が逆説的に回復するクライマックスはよくできている。

「1000日のアン」のアン役のジュヌヴィエーヴ・ビュジョルドは斬首前に「私の首は細いので切りやすいでしょう」などと言う(史実らしい)けれど、今回は言わず。ポートマンの首の太さには似合わないし、ナルシズムを排して妹とのつながりを示す表現でもあるだろう。

柄としてナタリー・ポートマンとスカーレット・ヨハンソンと役とが逆みたいにしているのが工夫で、その分両者ともに熱演。ただしやや単調な観はあり。

撮影・美術・ロケーションは毎度のことながらすばらしい出来。

ヘンリー8世の最初の妻であるアラゴンのキャサリン役の人が、メリハリの利いた口調と凛然とした風格で、何者だろう、イギリスの舞台女優かなと思ってエンドタイトルを見たら、アナ・トレント、つまりスペイン映画「ミツバチのささやき」のアナなので仰天する。当時七歳、今四十二歳。アラゴンのキャサリンはなるほどスペイン出身ではあるけれど。
(☆☆☆★)



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「ミスト」

2008年11月03日 | 映画

可愛げのないB級ホラー。
モンスターが生まれた理由付けというのが実質、放射能とか化学物質とかいったよくあるB級アイテムと同じレベルなのだが、もっと気取った最新科学風にしようとして意味不明に外している(「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」もそんな変なところがあったね)。
モンスターにキャラクターがないから(タコになったり、虫になったりで統一性もない)、メタファーにもなりようがない。モンスターがぞろぞろ直接姿を現してくるものだから霧も暗示的機能をなくして、ただの視覚効果にとどまっている。

狂信者オバさんに長々とした神の怒りがどうたらという説教を垂れ流させて、人民寺院あたりの集団自殺になぞらえようとでもしているのかしらないが、偽預言者をいくら描いたところで偽者は偽者で、それにひっかかる人間心理が説得的に描かれているわけではなく、映画で見る限りあんなのにひっかかるのはバカにしか見えない。ただこの手の「教祖」に実際にひっかかる奴がいたのだからという外的に与えられた「情報」にのっかっているだけだ。
そういう「思わせぶり」にのっかる連中が出てくるのを見透かしている作りなのが、可愛げのないところ。

クライマックスの構成がご都合主義。弾丸が何発あったのが何発使ったから、四発残った、という計算も立っていない。途中で弾丸切れになってるのを見せてるところがあるぞ。ハッピーなご都合主義をただ裏返したって、失笑すらできなくなるだけだ。

ゲテモノ的描写はやたらとリアルなので退屈はしないが、ゲテモノを気取ってメタフィジカルに作られても困るのだ。駄菓子に高級ソースかけてどうするのか。

ここにいるのは「ショーシャンクの空に」のフランク・ダラボンではなく、「ブロブ・宇宙からの不明物体」でモンスターを宇宙から来たのではなく軍の工作で生まれたものと矮小化した、また「ザ・フライ2」の陰惨きわまるラストを書いたシナリオライターのダラボンの方。
(☆☆★★★)

「鰐」

2008年11月02日 | 映画
キム・ギドクの長編デビュー作。
身投げした人間から金目のものを剥ぎ取っているホームレス男が、身投げした女をレイプして自分のものにしようとするが、その女を悲惨な目にあわせていたヤクザたちが追ってきて争いになり、半ば心中のように二人で川底に沈む、という「悪い男」あたりと比べるとやや甘く見える話。

暗い場面がやたら見ずらかったり、後半のストーリーがたどりにくかったり、青く塗った手錠や亀などの象徴的な表現などまだ練りが甘かったりで、若書きという印象は強い。
(☆☆☆)


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鰐 - allcinema

キム・ギドク初期作品集BOX(4枚組)

「松ヶ根乱射事件」

2008年11月01日 | 映画

ひとつの事件をきっかけに一見平穏な田舎で次々と変な事件とさまざまな人間の隠された顔が見えてくる話だけれど、雪景色が割りと印象的なあたり「ファーゴ」みたいな狙いなのかもしれないが、似たようなサイズのどうにも平板な画の連続とパンチの弱いキャラクター群でいささか退屈する。オフビートってほどメリハリも利いていないし。
(☆☆★★★)