prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「サム・ペキンパー 情熱と美学」

2016年08月20日 | 映画
西部開拓史に名を残す家柄で祖父が上院議員、というあたり、ロバート・アルドリッチと似たところがある。わざわざ先住民の血が混じっているというウソを言いふらした屈折したあたりも。

法律家が多い家柄だが、(口)約束は契約と同じというのが信念で、しばしばスタジオの法律家であろうトップのウソと裏切りと衝突し続けた。
周防正行監督の「Shall We Dance アメリカを行く」で、アメリカ式にやたら分厚い契約書を作ったところで信用できるというものではなく(強引に契約を結ばされそうになる場面が再三出てくる)、日本式の口約束の方が信用できるかもしれませんよ、とあちらの弁護士に言われるくだりを思い出した。まあ、最終的には人間次第なのだろうが。

「ワイルド・バンチ」や「ビリー・ザ・キッド」の撮影中に実弾が混ざっていたというのにあきれる。
「わらの犬」でセットのドアに投げナイフを投げつけていたものだから撮影に支障をきたしていたともいう。

チャールトン・ヘストンが「ダンディー大佐」のトラブルの時、ペキンパーの味方をして自分をギャラを製作費の不足に充ててもよいと言った(本当にそうなるとは思わなかったらしいが)というのに、晩年の全米ライフル協会理事職にあってダウンしていたイメージがかなり回復した。
他にも何だか周囲で面倒みてやりたくなるところがある人だったみたい。甘え上手というか。黒澤明もそんなところあったな。

マックイーンも相当とっつきにくい人だったらしいが、逆にそのせいか二度も組むことになった。

若いときの当人がなかなかの美男子、奥さんたち(五回結婚して、そのうち三回は同じ相手w)も美人、インタビューに答える実娘がまた美人。

「ビリー・ザ・キッド」の撮影中から相当体調悪かったらしく、ボトルを一日に四本も空けて、アッパー、ダウナー両方のドラッグをやっていたのだから、ただごとではない。59歳と早死にしたが、むしろ長生きしたくらいだ。

でてくる役者たちの大半が現在はプロデューサー兼任というのがおもしろい。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。