prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「地獄少女」

2019年11月22日 | 映画
もとになったアニメは横目で見ていた程度だけれど、絵柄や色など接近させているし(その分、画の厚みは薄れた)、玉城ティナが雰囲気出してます。しかし人物の背後にすうっとピンボケで立っていて振り向くと消えているという出方を繰り返し過ぎ。

地獄そのものの描写が幻想シーンで処理しているのは「永遠」の苦しみを映像化することはできないからだろうが、描写自体もおどろおどろしさはそれほどなく、いささか淡白。
地獄に落とされるシーンが手を変え品を変えて描かれるわけだけれど、もう少しエグい復讐の仕方をしてくれないと正直物足りない。
さまざまな恨みつらみ話が出てくるが、羅列ではなく映画の進行につれ全体的に構成されてくるのはいい。

風祭ゆきが「リング」みたいにぽかっと口を開けて死んでいたり、「帝都大戦」みたいに人の身体だけが虫みたいになったりと、どこかで見たようなシーンが多いのもマイナス。
麿赤児が暗黒舞踏っぽい動きを見せるのが地獄っぽかった。

しかし作品の内容とは関係ないが、呪いを頼む地獄通信のサイトを呼び出すには午前0時きっかりにアクセスしなくてはいけないので時報を聞きながら待つのだけれど、最近時報ってほとんど聞かないな、と思った。
時計はたいてい電波で時刻を合わせるし、テレビはデジタル化と共にデータの圧縮=解凍する処理の時間がかかるため時報というものがなくなってしまった。
もとのアニメが最初に登場したのは2005年だから事情がいくらか違ったのだろうか。





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