prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「惑星大戦争」

2013年04月24日 | 映画
「スターウォーズ」第一作(エピソード4)がアメリカで大ヒットしたけれど日本で公開されるのが丸一年後、というのでその間にとっとと作ってはやいとこおこぼれをもらいましょうという下心丸見えの製作(タイトル自体、SWの仮題)だったものでおそろしく評判悪く、見る機会自体あまりなかった。

驚いたのは時代が1988年という今にみるととっくに過ぎてしまった、当時としても近未来の設定だったこと。主演が森田健作に浅野ゆう子、沖雅也という思いきりドメスティックなキャスティング。これは青春ドラマなのだあ、という強引な思い込みの産物という感じだけれど、結果世界観ぶち壊し。

原案・神宮寺八郎の名は「海底軍艦」の田崎潤の役名の「神宮司八郎」とほぼ同じなので、誰かと思ったら田中友幸プロデューサーのペンネームらしい。
轟天という宇宙船ももちろん「海底軍艦」のと同じ。という以前に人間魚雷回天隊の名前からとられたものだとも言う。
実際、日本の特撮映画は「ハワイ・マレー沖海戦」の出自から直接には戦争を描けない立場から戦争を描く代替表現として微妙な関係だったのだなと思う。

ある意味、「スターウォーズ」のおこぼれというのは口実で、戦中派の感慨を改めて描いてみたかったのかもしれないとも想像する。というか、そうでも考えないとまともに見ていられないノーセンスぶり。

池部良が「戦争を二度と繰り返さないため」自分の命を犠牲にして特攻するわけだが、池部良自身実際に戦争に行っているわけだし、1988年という設定はまた戦争に行くぎりぎりのリミットということになるかもしれない。
今の目では悪役が緑色の顔をしているところといい「宇宙戦艦ヤマト」みたい、という具合に見えてしまう。というか「ヤマト」の方が前だから確実にマネしているのだろう。あるいは「ゴジラ」のラストも一種の特攻だったと思う。
特攻を美しく感じるメンタリティというのは連綿として今でもこの国にあります。個人的には気色悪くていけない。

「スターウォーズ」が少なくとも一作目はノーテンキに戦争を宇宙を舞台にすることでゲームとして描けるようにしたのと好対照(二作目からだんだんややこしくなるが)。




4月23日(火)のつぶやき

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