prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「キャタピラー」

2010年09月02日 | 映画
オープニング、いきなり中国に出征した夫が中国娘を犯して殺す場面が来て、四肢を失ったからといって、単純に被害者とばかりいえないことを予告する。案の定、もともと妻を日常的に虐待していたことがわかってくるわけだが、支配被支配・暴力被暴力の関係が逆転するのが単に夫婦間に留まらず、戦場における被害者加害者の関係にだぶってくる。

自分が四肢を失って、加害者としては気づかなかった被害者の苦痛が初めてわかり、それこそ芋虫のように悶絶するあたりまことにすさまじく、少人数のドラマにも関わらず、思想的射程は長い。

もちろん元のモチーフとしては乱歩の「芋虫」があるわけだが、それをキャタピラーと英語で言うことで戦車のキャタピラーのイメージもこめているわけだろう。

「芋虫」が「軍神様」扱いされて外に堂々と軍服を着てひっぱり出されて行き、拝まれたりするあたりが、都合の悪いものは見せないように、ないものとして扱うことが多いこの風土の陰湿さを飛び越えて、美醜や正邪といった価値観が転倒した世界のグロテスクと滑稽さを描き出している。

「軍神」扱いしている新聞と勲章を、昭和天皇夫妻の御真影の下に置いている痛烈な情景を何度も見せて、ひとつのクライマックスで新聞と勲章はなぎ払われるのだが、御真影には手をつけない。
大本営発表のラジオ放送が何度も流れて、その内容がやたら難しい漢字混じりで縦字幕に出るのだが、8.15の天皇の玉音放送については少し噛み砕いたやさしい表現にして横字幕で出る。何か「よく読んで意味を理解しておくように」と言われた気がした。

それにしても、大本営発表のラジオといい、「軍神」扱いの新聞といい、本質的には今でも同じというのがよくわかる。

「ジョニーは戦場に行った」も似た設定だが、あれは口も聞けず身動きもできず、コミュニケーションがほとんど完全に断絶していて、内面にドラマを見つけるしかなかったのだから、かなり本質的に違う。

寺島しのぶの役は、通常のやりとりをほぼ欠いた半ば一人芝居なのだが、その分自分自身にも夫役の大西信満にもどんどん肉体的にも精神的にも切り込んでいく感じでまことに見事。

昔の農村風景が再現されているのにいささか驚く。低予算映画という予断をもって見たもので、一種の贅沢感さえ覚える。四肢を失った体のVFXといい、それほど低予算ではないのかもしれないが。(後註・なんと四肢がない姿はCGではなく穴掘って隠したりして撮ったものだという。「フルCGだと800万もかかるんだよ」とは監督の言。一体、この映画の製作費、いくらで済ませたのか)
(☆☆☆★★★)


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監督 若松孝二 主演 寺島しのぶ
ジェネオン・ユニバーサル