1 田舎暮らし
平成24年、70歳を迎え、一代で築き上げたテナントビ
ルの仕事を子供に譲って隠居することにする。趣味のモーパ
ラを続けながら、ライフワークの“ものかき”にも取り組み
たかった。気持ちとしては都会を離れ「田舎暮らし」もいい
なーとは思っている。さりとて余り離れては孫の顔を見られ
なくなる。そこで色々調べ思案した挙句、同じ神奈川県の足
柄上郡山北町中川に決める。理由は「田舎暮らし」の募集で、
中古賃貸の空家があったこと。小説の第3作「悲しい異星人」
の舞台で、山北町を取り上げ、一度訪問していたこと。
もちろん、全国道の駅ツアーで道の駅「山北」も訪れてい
た。中川温泉もあり、モーパラで空から丹沢山系の散策をし
たかったこと。しかも20㎞圏内には霊峰富士山や箱根、芦
ノ湖や山中湖などが存在する。“ものかき”に疲れたら気分
転換に、空の散歩は爽快かも。
ところで小説「悲しい異星人」であるが、物語の後半で山
北町が登場する。その部分はこうである。
──天気は快晴で、夜八時、出発。いつもは渋滞する「2
46」も、仕事納めや帰省ラッシュが過ぎているせいか、ス
イスイと走れる。途中、道の駅「山北」でトイレ休憩する。
全国の道の駅250余りを訪れていたが、ここが一番小さ
い駅のように思う。・・・
九時半に到着。入口ゲートは閉まっており、案内板を見る
と、駐車場は4時まで。仕方なく、ゲートの前に車を留め、
公園につながるスロープを歩いて向かう。公園は思ったより
暗く、外灯も少ない。
幸い月明かりがあり何とか輪郭はつかめる。北側は三保ダム
の堰堤が連なり、その一角にダムの暗いイリュミネーション
が見える。三方は黒い小高い山が迫っている。この広場はち
ょうど、すり鉢の底に当たっているようだ。しかも周辺には
小さな無人の発電所以外に建物はなく、完全に人目のない場
所となっている。・・・・黒い大きな物体が静かに中央の広場に
降り立った。これがUFOというものなのか。・・・・・
船内の壁は半透明となり椅子に固定されているものの、行
きたい方へ身体を傾けるとその方向へ進んでいく。船はジェ
ットコースターのように上下左右に驀進し、しかも急発進、
急停止も自由自在である。重力制御装置のせいか、加速度を
感じず、従って乗り物酔いのような不快感もなく、彼は少年
のようにはしゃぎまくった。まるでピーターパンのように。
船は丹沢湖の上空を舞って、山北町の夜景を下に見て一気
に上昇する。遠くに小田原市街だろうか、美しい光の帯が見
える。・・・・・──
そんな山北町中川に引越しを果たす。マー爺さんは、第2
の人生をスタートさせ、奥さんは念願だった土いじりが出来
ると大喜び。建物は築45年の平屋(次の写真)で、建坪は
20坪足らずだが、100坪近くの庭がある。奥さんはそこ
で家庭菜園を作り、花や野菜などを育てることになる。
農家のためか部屋は広く、間取りは8畳間2つ、6畳間1
つ、土間、台所、風呂場、トイレがあり、棟続きに蔵のよう
な広い納屋があった。それと庭の一角に、もう使われていな
い「ボットン便所」(臭くな~い)がポッンと建っており、
多分、畑の肥料にでも使っていたのだろう。以前、住んでい
たビルはRC造(鉄筋コンクリート)5階建てで、新耐震基
準の建物であるが、ここの建物は大きな地震には一たまりも
ないだろう。借家では勝手に耐震工事は出来ないし、やって
も無駄のようにも思えた。東北大震災のこともあり、奥さん
と相談して、いざという時は納屋に逃げ込むようにし、頑丈
な扉は普段から開放しておくようにした。災害緊急セット、
水や非常食なども納屋に棚を付けて備蓄し、そしてマー爺さ
んの大事なモーパラセットも収めた。それともう一つ、入り
口近くに水道洗い場があり、そこには井戸があったことであ
る。都会人にとっては妙に懐かしく、これも災害時には役立
つだろうと思った。
引越しも一段落して、マー爺さんは多分「終の棲家」にな
るであろう中川の町を知っておこうと、さっそく散策にで
る。これにはモーパラの適当な発着場を探す目的もあった。
家から歩いて数分の所に「中川温泉」があり、町営温泉
「ぶなの湯」(写真上)がある。看板に入浴料700円とあ
るが、町民は400円。これで温泉三昧ができる。
他に温泉旅館「河鹿荘」「蒼の山荘」、武田信玄の隠し湯
で知られる「信玄館」などがあった。温泉街は中川川沿い
(前頁写真下)に広がり、川沿いに県道76号線が通る。
富士急湘南交通のバス停「中川」がり、本数は少ない。近
くには「おざわ食品」というスーパーがあるが他に店は無さ
そう。川の上流に向かって更に歩いて行くと玄倉寺という寺
があり、そこから道は大きく右に曲がる。その途中に川を堰
き止めた小さな砂防ダムが2つあった。そこから500mほ
ど進むと、広い河川敷が見えた。周りに人家は無く、ここだ
と騒音で迷惑をかけることも無い。これで発着場の目星が着
いた。
家に帰り、奥さんに報告。「温泉安! ラッキー! 買い物
は不便だけど、足ッシー(マー爺の車)があるから問題ない
わ」との反応。今までの都会暮らしから山奥の暮らしを選ん
だ以上、不便は覚悟の上。むしろそれを楽しみたいマー爺さ
んであった。と言っても横浜までは東名高速を使うと、1時
間少々で行ってしまう。山北町はそれほど首都圏に近かっ
た。
2 初フライト
生活も落ち着き、奥さんは園芸に、マー爺さんは「ものか
き」、モーパラの手入れにいそしむ。ところでマー爺さん
の、モーパラのキャノピー(翼)の色は真っ赤で、赤い天馬
(ペガサス)のマークが入っている。ちなみに天馬は、中国
の風水によると、非常に縁起の良い、運と成功と繁栄をもた
らす動物で、すべての障害を迅速なスピードで着実に解決す
るお助けマン(?) とされている。後々、これがもとで、
“赤天のマー爺”と呼ばれるようになるのである。
時節は10月の紅葉の季節を迎えていた。モーパラには絶
好の天気である。平日の朝8時、モーパラを車に積んで例の
河川敷に向かう。家を出る時、奥さんに無線の声を聞いてい
て欲しいと頼む。単独飛行のため、何かあったときの用心で
ある。いよいよ初フライトの時が来た。人や車の影はない。
河原に吹流しを立て準備完了。勢いよくエンジンをかけ
る。「ブル~ブル~ブル~」とエンジン音が谷間に響き、
どういう訳か心臓がドキドキする。何かやけに大音響のよう
に感じ、辺りを見渡す。静かな朝のせいか、音が谷間に反響
して普段よりは強烈に聞こえるのだろう。飛び立ってすぐ左
にコースを取る。真っ直ぐ飛ぶと西丹沢大滝キャンプ場があ
る。初日なので余り目に触れないように、事前に調べておい
た屏風岩山方向へ向かう。足下に朝靄から目覚めた丹沢山系
の山々が広がり、木の香を含んだ風が頬に心地よい。山頂付
近まで来ると、右に旋回し権現山からユーシン渓谷方面へ。
このユーシン渓谷は山北町の玄倉(くろくら)川にある渓
谷で、丹沢大山国定公園に属する。ユーシンという名称は、
明治初頭に小田原藩有信会の諸士が入植したことに由来する
そうである。渓谷沿いに緑と紅葉が入り乱れ、豪華な色絨毯
(前頁写真下)を見る様。そこから真っ直ぐ大杉山を通り、
発着地に戻る(巻末「山北町全図」コース1)。
初フライトは何事も無く、無事終了する。その後、週一の
ペースで快適な空の散歩を楽しむ。山北の最大の魅力は何処
からでも富士山が見えることである。マー爺さんは大野山
(写真)からの景色が一番気に入っている。
また、丹沢湖上空、高松山々頂からの眺めも四季折々の変
化があってまた味がある。眺めというと、丹沢山系は山だけ
でなく、滝も点在していて、空からの眺めはまた格別であ
る。一番近くの滝は西丹沢自然教室から、西沢沿いの上流に
ある落差50mの「大棚の滝」である。登山客がいない時
は、出来るだけ接近して滝のオゾンを胸いっぱい吸い込む。
他に大滝沢沿いの2つの無名滝、世附川沿いの「夕滝」、
さらに足(翼)を伸ばすと、日本滝百選、かながわの景勝5
0選の「洒水(しゃすい)の滝」(次頁写真上)がある。
またいつぞやは、川の上空を飛んでいて驚いたのか、数羽
のカワセミが飛び立ち、モーパラに近づいてきた。抗議して
いるのかしばらく一緒に飛ぶ。そういえば、デレビで*3
「鳥と一緒に飛ぶ」(下の写真)映像を見たことがあるが、
マー爺さんはミニ版ながら以前から願っていた、“鳥と一緒
に飛びたい”というまた一つの夢を実現した(鳥には悪かっ
たが)。
3 住民の冷たい目
そんなある日、山北警察(交番)から一本の電話が掛かっ
てくる。やり取りは次の様なものである。
「あなたはパラグライダーで中川川の上を飛んでましたか」
「ハイ、飛んでいます。何かクレームでも?」
「いいえ、そう言う事ではなく、不審がられたようです」
そこで、文科省所管公益社団法人日本ハング・パラグライ
ディング連盟(JHF)に登録し、その技能証(パイロット
証)とフライヤー登録(第三者賠償責任保険)を持っている
こと。飛行ルールに従い、安全に迷惑を掛けないように飛ん
でいることなどを話す。
「そうでしたか。特にこちらから言うことは有りませんが、
怪我の無いようにお願いします」
「分かりました。これからもフライトを続けますので、よろ
しくご承知おき下さい」
電話を切ってから、マー爺さんは、どうしてこちらが分か
ったんだろうと思った。河原に留めている車だろうか。車の
中を覗き込み、車番をメモする住民の姿を想像した。それと
も尾行されたのか。
いずれにしても、このままではマズと感じた。どうするか
奥さんに相談してみる。「地元の人にも知ってもらったら」
とのこと。「知ってもらう・・・・」
そうだ、町内会に入ろう。横浜の時は、子供会の役員の経
験があるのだから、ここでも何かやることがあるのでは。さ
っそく山北町役場に電話して、町内会の紹介をお願いする。
すると、ここは山北町なので町内会ではなく、各地に自治
会があり、そちらは「中川自治会」とのこと。電話番号を聞
いて後日、自治会に電話して入会をお願いする。
入会届けがてら、役員の人に話しておこうと、集会場にな
っている「箒沢地区公民館」を訪れる。ここは箒沢集落の地
域拠点で、公民館(下の写真)といっても民家造りである。
数人の自治会役員さんが待っており、その中に会長さんも
いて、マー爺さんは恐縮して話しづらくなる。まず、山北町
の自然豊かな環境が素晴らしく、ここに住めてよかったこ
と。趣味の自動車旅行で山北町を訪れたこと。さらに、アマ
チュア作家として山北町を取り上げたこと、以前、町内会役
員をしていたこと(仕舞った!役員はよけいだった・・・、
しかし、時すでに遅し)などを話す。全員、無言で聞いてい
たが、役員をしていた話をした途端、皆の口元がほころぶ。
いやな予感!おもむろに会長さんが口を開く。
「この度は入会いただいて有難うございます。歓迎します。
出来れば自治会を手伝っていただけると有り難いです」
入会手続きに来たのに、のっけから役員の話かいと思った
が、抑えてパラグライダーの話を切り出す。もうすでに話が
広がっているのか、途端に今度は真顔になる。マー爺さんは
一気に話す。
──パラグライダーは25年の長い歴史があり、国際的に
も普及した安全なスカイスポーツであること。飛行ルールに
則り、地域に迷惑のかからない様に活動していること。そし
て、自分も山北町の地勢を十分わきまえ、決して迷惑のかか
らないよう、配慮して飛ぶことを約束する。
しばらく沈黙が続く・・・・・・、そこでもう一つ、
「役員の方は前向きに検討させていただきます」と言って、
とにかくその場を切り抜ける。雰囲気としては、とても理解
してもらえたとは思えなかった。これ以降のフライトは、よ
り気を付けて飛ぶようにする。そしてこまめに集会にも参加
した。そんなある日、マー爺さんに転機が訪れる。