歴史と旅と少しのグルメ

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ぐんまの歴史探訪2011.2(三国街道(横堀宿~中山宿)

2011年02月12日 | まち歩き

昨日に続き、三国街道をご紹介します。昨日は北牧宿(渋川市)までご紹介しました。今日は、さらに北上し、横堀宿・中山宿をご紹介します。北牧宿を北上すると、三差路があり、ここに石仏の道しるべがあります。これは明和3年(1766)に建立され、仏の右に「右江戸道」と彫ってありました。これは越後方面から南下してくる旅人への目印として大いに役だったに違いありません。この道しるべからさらに上っていくと1kほどで横堀宿に着きます。今は当時の面影はあまり残っていませんが、かつて本陣であった飯塚家(現佐藤家)があり、石垣に囲まれた屋敷は当時の景観を伝えています。それにしても、この宿から中山峠までの街道の勾配はきつく、当時の旅人にとって1つの難所であったことは容易に想像できます。この峠越えのあと、左手の小野子山の雄大さは旅の疲れを癒したことと思います。(当時とは景観が変わっているかもしれませんが?)次に向かった中山宿は慶長17年(1612)に開かれた宿場町です。最初は南側の本宿に本陣があり、栄えていましたが、すぐ北の新田に宿を造り、遠回りとなった本宿は寂れていき、訴訟が両地域でおこり、江戸幕府まで及んだそうです。当時の人たちにとっては、往来の増減は死活問題であり、今の静かなたたずまいからは想像できない大問題でありました。現在は本宿には本陣跡に門が残り、新田宿の本陣跡には門屋や大名が泊まった棟が当時のまま現存しているそうです。

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石仏の道しるべ。左の石仏の右に「右江戸道」と彫ってあります。

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横堀宿本陣のあった飯塚家(現佐藤家)、石垣に囲まれた大屋敷は当時を偲ばせてくれます。

それにしてもこの街道は急勾配ですね。この先中山峠まで続きます。

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中山宿本宿の本陣跡。本陣は火事で焼け、門のみ当時のままだそうです。すぐ北の新田に本陣ができたことにより、ここはルートから外れ、廃れていったそうです。

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新田宿の本陣跡。当時の門屋や大名が泊まった棟が現存しています。

風情がありますね。


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