松原洋一・UAG美術家研究所

近世から明治中期頃までに活動していて、ネット検索しても出てこない画家を中心に紹介しています。ただいま岩手県を探索中。

遠州第一の好事家・大庭松風

2014-07-31 | 画人伝・遠州

文献:遠州画人伝郷土画人展-大庭松風・村松以弘の周辺-

遠江絵画史の黎明期にすぐれた画蹟を残した国学者・内山真龍(1740~1821)の晩年頃、掛川駅を中心とした地域に画人の一団が台頭してきた。当時の掛川駅は、遠江における学芸文化の府であり、画事においても、江戸の谷文晁や京の円山応挙の影響を受けた画人たちが集い、遠江画壇における先駆的存在である村松以弘、丸尾月嶂、大久保一丘ら多くの専門画家を輩出した。この地域で画人たちが隆盛を極めた影には、自らも画人でありながら「遠州第一の好事家」と称され、裕福な財力で画人たちを側面から援助した風流人・大庭松風の存在があった。

大庭松風 おおば・しょうふう
明和4年生まれ。七太夫と称した。名は廷香、字は国馥、幼名は豊蔵、通称は代助、老年になって岱助と書いた。別号に松風亭などがある。大庭家は掛川における豪家で、松風は九代目にあたる。書画愛好の風流人として知られ、東海道を往復する雅人で、掛川を過ぎる時に大庭家に立ち寄らぬ者はなかったという。谷文晁も、門人の村松以弘が掛川だというばかりではなく、しばしば松風のもとに滞留し、盛時には文晁の百幅対があった。曲亭馬琴も著書『覇旅漫録』の中で、松風を「遠州第一の好事家」と称し、「近来名家の書画をたくわふること数百張。又よく客に待す。所蔵の書画中に、堂上方の寄合書、国学和歌者流の寄合書、儒者詩人書画工のより合書等あり。いづれも名流のみをあつめたり。古人の墨跡は猶もとめやすし。僅の扇面へ大家数十人のより合書などは、尤も志をはこぶこと厚からざれば得がたし」と記している。松風は書画を好むばかりでなく、自らも筆墨を弄して、村松以弘に学んで墨梅をよくした。また、掛川の里に石橋を十数か所架設し、出水の際にも通行に不便がないようにするなど、事業面でも地元に貢献している。弘化3年、80歳で死去した。

山田蘭陵 やまだ・らんりょう
大庭松風の弟で、初め駒蔵といい、後に周蔵と改めた。別号に鉄外がある。周智郡森町の山田七郎左衛門の養子となって、山田姓となった。兄・松風の命を受けて東西に遊び、松風の書画蒐集は、ほとんどが蘭陵の手によってなされたらしい。松風が没した時の所蔵品は千点を超えていた。

大庭月湖 おおば・げっこ
松風の同族で、松風と並んでの雅人。名は善、字は楚宝。以弘の門下で書画をよくし、書には善と署し、画には月湖と署名した。 

遠州(1)-ネット検索で出てこない画家


茨城(10)-ネット検索で出てこない画家

2014-07-29 | 画人伝・茨城

文献:茨城の古書画人名事典

三好元一 みよし・げんいち
寛政5年生まれ。水戸藩士。幼名は徳太郎。公務の余暇に画を酒井抱一の門に学び、のちに尾形光琳派の花鳥を研究した。天保14年、51歳で死去した。

三浦呉舟 みうら・ごしゅう
水戸の人。早くから江戸に出て椿椿山に学び、花鳥をよくした。慶応年中頃死去。

三輪雪溪 みわ・せっけい
下館藩士。名は才次郎。竹内南圭に学び、花鳥をよくした。明治初年頃死去。

三宅拈華 みやけ・ねいか
龍ヶ崎の人。はじめ蘭台と号し、のちに拈華とした。渡辺小華の門人で花鳥を得意とした。龍ヶ崎から江戸崎あたりに作品が残っている。昭和2年死去。

皆川晩霞 みながわ・ばんか
明治25年生まれ。茨城の人。名は麓。田崎草雲に南宗画を学んだ。

村岡岳民 むらおか・がくみん
水戸の人。名は粛。萩谷☆喬(☆は「僊」からにんべんをとる)の弟で、村岡氏の養子となる。画を兄に学び、花鳥人物を得意とした。じ

森三樹 もり・さんじゅ
新治郡石岡町の人。名は昭治。山水を得意とした。明治初年に官吏となり、青森県で明治43年頃死去した。

山田遷民 やまだ・せんみん
水戸宮下の人。通称は政之助。萩谷☆喬(☆は「僊」からにんべんをとる)の門人で、花鳥人物を得意とした。明治初年頃死去。

谷島関水 やじま・かんすい
真壁郡養蚕村成田の人。菊池江外の門人。山水を得意とした。明治22年死去。

山田芝遷 やまだ・しせん
明治年間の水戸の人。名は忠文。早くから東京に出て小坂芝田の門に入り南画を学んだ。

横田一峰 よこた・いっぽう
明治14年生まれ。名は佐雄。医師を志して上京するが、医師にならずに画家となり、帰郷して画家に専念した。昭和10年死去。

横山秀暉 よこやま・しゅうき
明治33年生まれ。石塚町の人。名は徳之介。五島耕畝に師事して花鳥を学び、各地の寺院を訪ね寺院装飾を研究、文部省の嘱託をうけ社寺装飾を業とし、春衛と改めた。戦後郷里に帰り仕事を続けた。昭和55年、81歳で死去した。

六左衛門 ろくざえもん
永正元年生まれ。常陸国に住み、兄雪村の法を学んだ。

渡辺雲溪 わたなべ・うんけい
水戸の人。名は進、通称は咲兵衛。松平雪山の門人で山水を得意とした。明治初年頃死去。

亘遷幽 わたり・せんゆう
文化7年生まれ。那珂郡大宮町若林の人。名は僖左衛門。萩谷☆喬(☆は「僊」からにんべんをとる)の門人。絵の傍ら検地の仕事もした。明治10年、68歳で死去した。

茨城(10)-ネット検索で出てこない画家


茨城(9)-ネット検索で出てこない画家

2014-07-23 | 画人伝・茨城

文献:茨城の古書画人名事典

道口雪窓 どうぐち・せっそう
水戸の人。名は貞徳。立原杏所に学び、のちに松平雪山の門人となる。杏所の偽筆をよくしたといわれる。元治元年死去。

成田益親 なりた・ますちか
名は小次郎。石岡の総社三十六歌仙の裏書に揮毫がしてある。

中村文彬 なかむら・ぶんぴん
水戸市下青物町の人。名は淑徳、通称は与一左衛門。谷文晁に学び、花鳥をよくした。天明の中頃死去。

中村竹圃 なかむら・ちくほ
天保12年生まれ。新治郡土浦の人。名は邦敬。福島柳圃に学び、花鳥山水を得意とした。明治初年頃死去。

中山蘭花 なかやま・らんか
猿島郡岩井町の人。名は盛元。漢籍に通じて詩書をよくした。文人画を描き、四君子を得意とした。明治初年頃死去。

成毛金江 なるけ・きんこう
稲敷郡金江津村の人。名は貞一、丹治ともいった。鯉魚を得意とした。明治6年死去。

生井沢霞洲 なまいざわ・かしゅう
天保元年生まれ。水戸藩御用絵師。常州土浦の人。名は也。狩野永真に学び、山水花鳥を得意とした。明治15年死去。

新堀玄道 にいぼり・げんぞう
号は翠山。北宗画、花鳥草花を得意とした。明治15年第1回内国絵画共進会に出品している。

檜垣素袋 ひがき・そたい
享保元年生まれ。常州鹿島の人。通称は庄右衛門。狩野永真安信の門人。享保20年頃死去。

檜山淡斎 ひやま・たんさい
那珂郡戸田村の人。狩野派を習得して江戸に出て活躍したが詳細は不明。天保13年死去。

平野文蔚 ひらの・ぶんい
水戸市下市の人。名は幸一、別号に暢谷がある。松平雪山の門人で、花鳥を得意とした。

平山文麗 ひらやま・ぶんれい
明治22年生まれ。名は権五郎、叔父の奥村老圃に学び、東京美術学校卒業後、横山大観が五浦に移住した際に入門して文麗と号した。中年より秩父織物会社の図案を描いた。昭和17年、54歳で死去した。

本田正貫 ほんだ・せいかん
駿河の人。名は正憲、号は雲林。画を僧鉄翁に学ぶ。山水3点を第1回内国絵画共進会に出品している。

明中 みんちゅう
常陸水戸の僧。名は如寿。書画をよくした。

茨城(9)-ネット検索で出てこない画家


茨城(8)-ネット検索で出てこない画家

2014-07-16 | 画人伝・茨城

文献:茨城の古書画人名事典

高野天民 たかの・てんみん
明治27年生まれ。名は秀夫、別号に恒山、玉州がある。上京して滝和亭につき南画を学び、のちに古沢雪田の門人となった。郡司硯田は天民の高弟。昭和57年、89歳で死去した。

竹内柳蛙 たけうち・りゅうあ
猿島郡境町の人。名は茂。河鍋暁斎の画風を慕い、門人の真野亭に学んだ。

力石遷交 ちからいし・せんこう
水戸藩士。通称は勘五郎。花鳥人物をよくした。

辻玄順 つじ・げんじゅん
享和3年生まれ。名は安正、号は湖堂。土浦藩医の家に生まれ、紀州和歌山藩医・華岡青州の門に学び、抜擢されて塾頭になった。明治13年、78歳で死去した。

塚本万之助 つかもと・まんのすけ
現河内村平川の人。号は萍川知新。鈴木鵞古に学び、東山、北陸を周遊した。小野蓬善寺に作品が残っている。大正14年頃死去。

塚本雪湖 つかもと・せつこ
明治3年生まれ。東茨城郡稲荷村の人。名は亮、通称は亥之次郎。松平雪江に学び、のちに高久隆古を慕い、人物画をよくした。昭和8年、64歳で死去した。

坪井上之丞 つぼい・うえのじょう
明治22年生まれ。岩瀬町本郷の人。若年より絵を好み、玉水と称した。中年に至って木村武山に師事し、号をム一とした。俳人でもあり翠泉と号した。昭和50年、87歳で死去した。

寺山静峰 てらやま・せいほう
那珂郡戸田村の人。明治・大正期の四条派の画家で《軍鶏と芭蕉》などの作品が残っている。

等本 とうほん
永正年間の常陸国出身の画僧。画法は雪舟、周文の流れをくみ、花鳥をよくした。作品は扇面が多く、関東・東北地方にみられる。

富田呉舟 とみた・ごしゅう
水戸の人。松平雪山の門人。花鳥を得意とした。

戸祭友古 とまつり・りゅうこ
文政11年生まれ。名は為之介。椿椿山の門人で花鳥をよくした。また人見淇堂について画法を研究した。明治2年、42歳で死去した。

豊田笠州 とよだ・りゅうしゅう
明治7年生まれ。水戸市馬口労町の人。別号に静観などがある。はじめ松平雪江に学び、のちに上京して松本楓湖に師事した。

富永雪旦 とみなが・せったん
明治9年生まれ。名は榮松。はじめ松平雪江に学び、上京して望月玉泉に師事した。明治44年第6回美術展覧会に《西山穏栖》を出品。大正2年、38歳で死去した。

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茨城(7)-ネット検索で出てこない画家

2014-07-03 | 画人伝・茨城

文献:茨城の古書画人名事典

田原南塘 たはら・なんとう
安永6生まれ。江戸の人、鶴沢探索に学び、水戸在の勝僮寺住職に請われ仏画を描いた。円山応挙の師匠といわれる。水戸谷中の桂岸寺にも関係があり、太田屋与衛門の知遇を得て与衛門に伴われて京畿南海を遍歴した。文政7年、49歳で死去した。

竹田治右衛門 たけだ・じうえもん
龍ヶ崎の人。号は楽山。

竹山南圭 たけやま・なんけい
下館の人。名は伝。谷文晁の門人。花鳥人物をよくした。安政元年頃死去。

高野雪塘 たかの・せつとう
水戸市下市の人。林十江の従弟。松平雪山の門人。花鳥をよくした。明治初年頃死去。

高橋月庵 たかはし・げつあん
水戸の人。名は明。別号に月湾がある。春木南溟の門人。山水をよくした。

田所静山 たどころ・せいざん
天保3年生まれ。常陸太田の人。名は秀次市郎。田所静年の子、画を父に学んだ。太田近在で屏風などの作品がみらえる。明治2年、38歳で死去した。

武弓其年 たけきう・きねん
文化11年生まれ。現常陸太田市の人。名は義生。画を宇佐美太奇に学び、山水をよくした。通称「紋其」と称し家紋の師匠もした。明治26年、80歳で死去した。

竹内隆節 たけうち・りゅうせつ
天保3年生まれ。久慈郡世矢村の人。名は誠。野沢白華に師事し、医業のかたわら書画をよくした。江戸末期の検地や年貢の収納などの仕事もした。明治26年、62歳で死去した。

武石鴎崖 たけいし・おうがい
天保3年生まれ。水戸市十軒町の人。名は清。別号に李陽外史がある。水戸藩に仕え、松平雪山に学んだ。明治42年、78歳で死去した。

多田晴圃 ただ・せいほ
天保6年生まれ。名は彦兵衛。福島柳圃の門人。作品は県内の醤油醸造業者宅に残っている。

武石耕崖 たけいし・こうがい
明治4年生まれ。水戸市十軒町の人。名は胤昌。武石鴎崖の子。信越地方を遊歴し、新潟に7年留まったのちに、父の死後帰郷した。大正2年、42歳で死去した。

武石恵所 たけいし・けいしょ
水戸の人。武石耕崖の弟、武石鴎崖の子。東京に出て水野年方の門に入り、浮世絵を学んで水戸に帰り、父に花鳥を学んだ。

高島靄湖 たかしま・あいこ
明治元年生まれ。名は雪松。はじめ松本楓湖に人物画を学び、のちに京都で今尾景年の門人になった。さらに中国の元明南北両派を研究し、花鳥人物をよくした

高橋華屋 たかはし・かおく
水戸市谷中の人。名は於免。早くから東京に出て渡辺小華の門に入り、花鳥を得意とした。

茨城(7)-ネット検索で出てこない画家