松原洋一・UAG美術家研究所

近世から明治中期頃までに活動していて、ネット検索しても出てこない画家を中心に紹介しています。ただいま岩手県を探索中。

ネット検索で出てこない画家 その6

2014-03-07 | ネット検索で出てこない画家

文献:明治大正文學美術人名辭書

矢崎千代治 やざき・ちよじ
明治5年8月横浜市生まれ。はじめ大野幸彦の門に学び、のちに東京美術学校に入り、35年卒業、36年から43年まで欧米諸国に遊学した。第3回文展「夕涼」、第4回文展「奈良」、第6回文展「機織」、第7回文展「草苅」、第9回文展「籔入」「樹蔭」、第10回文展「磯」、第11回文展「焙鑛爐」を出品して褒状または三等賞を得た。

保田素堂 やすだ・そどう
明治15年2月大阪市大寶寺町に生まれる。名は芳太郎。はじめ中川蘆月、竹内栖鳳、橋本雅邦に、のちに寺崎広業に学んだ。30年、大阪扶桑絵画協会で三等賞そ受賞。二葉会、巽画会、正派同志会、美術研精会などで受賞した。第1文展「佛陀と魔女」、第4回文展「秋の夜」、第5回文展「榛名の初夏」、第6回文展「秋林」、第9回文展「暮春」、第10回文展「緑陰」、第11回文展「和樂」を出品し数回褒状を得た。

安田稔 やすだ・ねん
明治14年10月新潟県長岡市に生まれる。はじめ小山正太郎に不同舎に入り、36年東京美術学校西洋画科を卒業した。その後ドイツに留学して44年6月ミュンヘン美術大学を卒業、さらに英仏で二年間研究し、在欧7年ののちに帰国した。滞欧中にロンドンのアート・ソサエティに出品して受賞した。第8回文展「お茶どき」、第9回文展「樹蔭のまどゐ」、第10回文展「肖像」、第11回文展「盛夏」を出品した。太平洋画会会員。

山名義海 やまな・ぎかい
慶應元年8月江戸生まれ。名は繁太郎。はじめ住吉廣賢に、のちに住吉派の父・山名貫義に学び、帝室博物館技手監査掛、美術部絵画主任などを務めた。大和絵および絵画の鑑定に長じ、博覧会、展覧会などの受賞も多い。

渡邊金秋 わたなべ・きんしゅう
美濃の人。通称は鍬太郎。10歳の時に狩野派の武光桂園に学び、18歳の時に上京して宮本三平に師事した。18年から25年まで帝国大学で動植物写生に従事、また画手本数種を編纂した。22年明治美術会に入り、ついで福地復一と日本図案会を起こし、38年1月、40歳で病没した。


ネット検索で出てこない画家 その5

2014-03-04 | ネット検索で出てこない画家

文献:明治大正文學美術人名辭書

濱谷白雨 はまたに・はくう
明治19年1月富山県婦負郡四方町に生まれる。名は榮次郎。明治43年東京美術学校日本画科卒業。大正2年文部省美術展覧会で「夏雨」が褒賞を得る。帝国絵画協会、国民美術協会、東台画会等の会員。

松岡正雄 まつおか・まさお
明治2年3月奈良県宇陀郡伊那佐村生まれ。大正6年、東京美術学校師範科を卒業し、長野県飯田中学で教鞭をとった。二科会には、第3回展「山上より」「村の子供」、第4回展「國旗のある風景」「黒猫のゐる風景」「故郷の春」を出品した。大正6年、光風会展に出した「風景」は宮内省の御用となった。

南静山 みなみ・せいざん
大阪の画家・篆刻家。備後国福山の人。名は保、字は子壽、別号に山壽堂、静壽庵など。幼い頃より書画彫刻を好み、楳本翁に指導を受けた。明治11年淵野桂仙に画を学び、後に各地を漫遊して修業した。明治23年以降、内国勧業博覧会、日本美術協会展覧会、日本美術協会大阪支会等に出品して優賞を受けた。27年北白川宮殿下の命を受け御印を刻し、翌年再び同殿下の命で彫刻彩漆の印色器を制作、同年3月また同殿下の命で天皇陛下への御獻納の御硯函を制作した。31年1月には日本美術協会大阪支会技芸員となった。

森広陵 もり・こうりょう
明治7年12月前橋市に生まれた。はじめ父・森霞巌に学び、後に寺崎広業に師事し、狩野派の画風を研究し、諸所の展覧会で十数回の受賞を重ねた。美術研精会会員、独立絵画会会員、大東絵画協会幹事。文展には「逍遙」を出品した。

森鳳聲 もり・ほうせい
慶應3年5月丹後国舞鶴町京口に生まれる。彫刻家。彫刻を独修して京都美術学校の教師となる。内国勧業博覧会、仏国巴里万国大博覧会、米国市俄古世界博覧会、同聖路易万国博覧会に出品して受賞した。第1回文展「聖章」、第3回文展「信玄謙信」、第11回文展「百川卿」を出品。