松原洋一・UAG美術家研究所

近世から明治中期頃までに活動していて、ネット検索しても出てこない画家を中心に紹介しています。ただいま宮城県を探索中。

名を成すには至らずに早世した押川元春

2018-04-14 | 画人伝・鹿児島

寒山拾得図 押川元春 鹿児島市立美術館蔵  

文献:薩摩の絵師、美の先人たち 薩摩画壇四百年の流れ、かごしま文化の表情-絵画編、薩摩画人伝、薩摩の書画人データベース

木村探元の門人にあって、高弟・能勢探龍と並び称されたのが押川元春である。元春は、探龍とともに探元に従って近衛家に滞在し、近衛家久の前で席画をするほどの腕前だったとされるが、名を成すには至らずに早世したと伝わっている。

代表作の「寒山拾得図」(掲載作品)は、変わり者で知られる隠者・寒山が開く経巻を、その分身とされる捨得が後からのぞき込んでいる姿が描かれている。寒山と捨得は、よく描かれる禅宗絵画の題材で、日本でも多くの絵師が手がけている。

寒山は唐代末期に天台山国清寺に住んでいたとされる隠者で、農家に生まれたが、仕事をせずに本ばかり読んでいたので、村人や妻からも疎んじられ、放浪のすえに天台山に住みつき、当時の仏教界や現世の愚劣さを批判した詩編を残したとされる。拾得は、後世において付加された寒山の分身と考えられている。

押川元春(不明-不明)
木村探元の高弟。早くから探元の門人となったと伝えられる。六吉元春と号したが、諱や字、生没年などは不明。享保19年から翌年20年にかけて、同門の能勢探龍とともに、探元に従って京都の近衛家に滞在し、近衛家久の前で席画をしている。



座右版 寒山拾得
講談社
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