松原洋一・UAG美術家研究所

近世から明治中期頃までに活動していて、ネット検索しても出てこない画家を中心に紹介しています。ただいま岩手県を探索中。

レモンの画家・小館善四郎

2018-11-15 | 画人伝・青森

れもん 小館善四郎

文献:青森県史 文化財編 美術工芸、青森県史叢書・近現代の美術家、太宰治と美術

青森市の裕福な木材商の四男として生まれた小館善四郎(1914-2003)は、小学生のころから油彩をはじめ、多くの芸術家を輩出した青森中学校に進んだ。同級生には、関野凖一郎、佐藤米次郎、根市良三らがいた。中学卒業後に上京し、牧野虎雄に師事、牧野が教授をつとめていた帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)に入学した。

小館の兄・貞一のもとに太宰治の姉・京が嫁いでいたことから、太宰は義兄にあたる。小館は、上京以来、太宰と親密に交遊していたが、太宰の薬物中毒と、それに伴う生活上のさまざまな事件に巻き込まれたこともあり、帝国美術学校卒業後は帰郷し、青森市浅虫にアトリエを構え、青森中学の図画教師となった。

昭和15年に国画会展に初入選し、その後も同展に出品した。昭和19年に応召して朝鮮半島に出征したが、負傷して帰国。東奥日報社に勤務し、終戦まで「月刊東奥」の編集に携わった。戦後も引き続き国展を中心に出品し、国画会会員となった。昭和37年に東京都町田市に転居、画廊などで盛んに個展を開催した。昭和64年に浅虫に戻って制作を続け、主要な作品の多くは生前に青森市に寄贈した。

強く感銘を受けたという梶井基次郎の小説『檸檬』から着想を得た作品「れもん」(掲載作品)を昭和24年に発表して以来、レモンを主要なモチーフとし、「レモンの画家」と称されるようになった。

小館善四郎(1914-2003)こだて・ぜんしろう
大正3年青森市生まれ。昭和2年青森中学校に入学。同校卒業と同時に上京、牧野虎雄に師事し、帝国美術学校本科西洋画科に入学した。昭和11年同校を卒業し帰郷。昭和12年青森市浅虫にアトリエを構えた。昭和15年第13回国画会展に初入選。昭和19年に応召し出征。病気のため入院。昭和28年国画会会員となった。昭和32年青森市浅虫から栃木市に転居。昭和37年栃木市から町田市に転居。平成元年青森市浅虫に転居した。平成15年、88歳で死去した。

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