松原洋一・UAG美術家研究所

近世から明治中期頃までに活動していて、ネット検索しても出てこない画家を中心に紹介しています。ただいま青森県を探索中。

秋月等観から雪舟系水墨画を継承した等碩

2018-04-04 | 画人伝・鹿児島

寿老人図 等碩 鹿児島市立美術館蔵 

文献:薩摩の絵師、美の先人たち 薩摩画壇四百年の流れ、かごしま文化の表情-絵画編、薩摩画人伝

秋月等観は、薩摩で多くの弟子を育てたと思われるが、その中でまず取り上げるべき画人は等碩である。等碩は秋月門人に名を連ねているが、いつくかの文献には秋月の子であると記されている。『本朝画史』には、等碩は秋月の子であること、そして父と同様に島津家に仕えたことが記され、さらに「雪舟より秋月、等碩に至りて一家を為す」とあり、雪舟から秋月に伝えられた水墨画が、その子の等碩に継承され、ひとつの画派を築きあげたという意味にも取れる記述がある。

現存作品としては、常盤山文庫所蔵の「束帯天神図」と鹿児島市立美術館所蔵の「寿老人図」が知られている。「寿老人図」(掲載作品)では、雪舟、秋月の水墨画の流れを汲みながらも、等碩独自の画風も感じられる。本図に描かれている寿老人は、11世紀末頃に中国に実在した人物がモデルとされ、日本では七福神の一人に数えられ、長寿を表す瑞祥として画題にされることが多い。

等碩(不明-不明)
室町時代後期の水墨画家で、薩摩における雪舟系水墨画の伝統を継承した画人の一人。生没年、伝歴などは不詳。『本朝画史』には「等碩、秋月の子なり。また薩州太守に仕え、よく画く。雪舟より秋月、等碩に至りて一家を為す。しかれども筆を用いるに粗し」とあり、等碩が秋月の子どもで薩摩藩主に仕え絵画をよくしたこと、雪舟から秋月、等碩にいたって一家を成したが用筆はやや粗であること、印文に「牧雲」の字があることなどが記されているが、実際に秋月の子どもであることを示すような基礎資料は見出せない。

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