松原洋一・UAG美術家研究所

近世から明治中期頃までに活動していて、ネット検索しても出てこない画家を中心に紹介しています。ただいま宮城県を探索中。

北海道からいち早く中央画壇に登場した日本画家・筆谷等観

2018-08-17 | 画人伝・北海道

春寒賜浴 筆谷等観

文献:北海道立近代美術館コレクション選 日本画逍遙、北海道立近代美術館所蔵品による近代日本画名品展、美術北海道100年展、北海道の美術100年、北海道美術の青春期、北海道美術史

北海道美術協会(道展)の創立によって北海道美術が本格的に始動するようになったが、その一方で、北海道生まれ第一世代の美術家たちの中央画壇進出も目立ってきた。日本画家としては、院展の筆谷等観、帝展の北上聖牛、山口蓬春、久本春雄、森田沙伊らがいた。かれらの多くは中央で活動しながらも、一方で北海道画壇となんらかの関係を持ち続け、北海道内の若手美術家に刺激を与え、その後の中央進出をうながす大きな力となった。

小樽出身の筆谷等観(1875-1950)は、北海道からいち早く中央画壇に登場した日本画家で、本郷の共立美術学館で横山大観らの指導を受けたのち、東京美術学校に入学、在学中から橋本雅邦の画塾・二葉会や美術研精会に所属して画法を学んだ。再興院展には第1回展から出品し、第3回展出品の「貧者の一燈」で注目を集め、同人となった。初期には雅邦仕込みの狩野派を基礎とした表現で道釈画や風景画を描いていたが、大正期になると大観の影響を色濃く受けた大胆な彩色法や構図を試みるようになり、大智勝観、綱島静観とともに「横山大観の三羽烏」と称された。

掲載の「春寒賜浴」は、大正13年の第11回再興院展に出品されたもので、題材を白居易の長編物語詩「長恨歌」にとり、華清宮の温泉に浴する楊貴妃を描いている。湯気が立ち上る浴室を表現した朦朧とした彩色法に、大観の影響がみえる。

函館生まれの北上聖牛(1891-1970)は、京都に出て竹内栖鳳の画塾に学び、文展、帝展に出品した。北海道出身としては、数少ない京都画壇の作家のひとりである。山口蓬春(1893-1971)は松前の生まれで、幼いころに東京に転居した。はじめ東京美術学校西洋画科に学んだが、のちに日本画に転向、大和絵などの伝統的技法を学ながらも、西洋画的写実を取り入れた独自の画風を確立、昭和40年に北海道出身の日本画家としてはじめて文化勲章を受章した。釧路生まれの久本春雄(1896-1968)も、はじめは西洋画科で学んだが、山口蓬春の勧めで日本画に転向、戦後は釧路に帰り、後進の指導に力を注ぎながら制作活動を続けた。札幌生まれの森田沙伊(1898-1993)は東京美術学校日本画科を卒業後、同級だった山口蓬春の勧めで帝展に出品、戦後は日展を舞台に活動を続けた。

筆谷等観(1875-1950)ふでや・とうかん
明治8年小樽生まれ。本名は義三郎。明治25年に上京して東京美術学校に入学、日本画を学んだ。在学中から師の橋本雅邦の主宰する二葉会に所属、同校卒業後、大正3年院展に入選、以後院展を中心に活動した。大正14年の第1回道展にも特別会員として参加、昭和6年北海道美術家連盟の創立にも加わった。戦後は日展に出品し、日展委員となった。昭和25年、76歳で死去した。

北上聖牛(1891-1970)きたがみ・せいぎゅう
明治24年函館生まれ。16歳で京都に出て、はじめ着物の染色や上絵付けをしたのち、叔父で日本画家の北上峻山に絵の手ほどきを受け、22歳の時に竹内栖鳳の画塾・竹杖会に入り本格的に日本画を学んだ。大正5年第10回文展に初入選し、以後は文展、帝展を主な活動の場とした。大正14年の第1回道展にも特別会員として出品した。昭和45年、79歳で死去した。

山口蓬春(1893-1971)やまぐち・ほうしゅん
明治26年北海道松前町生まれ。7歳の時に銀行員だった父の転勤に伴い東京に転居した。大正3年に東京美術学校西洋画科に入学。在学中から二科展に入選したが、大正7年日本画科に転じ、首席で卒業した。卒業後は松岡映丘に師事し、大和絵などの伝統的技法を学び、映丘の新興大和絵運動にも参加した。また、福田平八郎、木村荘八らと六潮会を結成し、写実を深めつつ独自の画風を確立した。昭和25年日本芸術院会員となり、昭和40年文化勲章を受章した。昭和46年、77歳で死去した。

久本春雄(1896-1968)ひさもと・はるお
明治29年釧路生まれ。東京の中学校に進学し、卒業後に東京美術学校西洋画科に入学したが、家庭の事情などにより1年で退学し郷里に帰った。大正6年、23歳の時に同校に再入学、山口蓬春の勧めにより日本画を専攻した。同校を首席で卒業後、さらに研究科に進んで結城素明に師事した。大正13年第6回帝展に初入選、以後も帝展、文展に出品した。戦後は釧路に帰り、後進の指導とともに制作を続けた。昭和43年、72歳で死去した。

森田沙伊(1898-1993)もりた・さい
明治31年札幌生まれ。6歳の時に一家で東京に転居、以後、三重、奈良、名古屋で少年期を過ごし、大正6年、19歳の時に父とともに東京に戻った。大正7年に東京美術学校に入学、川合玉堂、結城素明に日本画を学んだ。大正10年に日本美術院の小林古径をたずね、精神面で強い感化を受けたという。大正12年東京美術学校日本画科を卒業、同校で同級だった山口蓬春の強い勧めで、昭和3年帝展に出品し、以後帝展、新文展に出品、戦後は日展を舞台に活動を続けた。平成5年、95歳で死去した。



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