松原洋一・UAG美術家研究所

近世から明治中期頃までに活動していて、ネット検索しても出てこない画家を中心に紹介しています。ただいま宮城県を探索中。

室町末期から桃山初期にかけて活躍した画僧・弓削等薩

2018-04-06 | 画人伝・鹿児島

四季耕作図屏風(右隻) 弓削等薩 鹿児島県歴史資料センター黎明館

文献:薩摩の絵師、美の先人たち 薩摩画壇四百年の流れ、かごしま文化の表情-絵画編、薩摩画人伝、黎明館収蔵品選集Ⅰ

薩摩の雪舟系水墨画の流れを汲み、室町末期から桃山初期にかけて活躍した画僧に、大隅出身の等薩がいる。俗姓を弓削といい、弓削等薩と称した。また、雲谷等薩の表記もみられる。等薩に関しては、経歴や師弟関係を知るには資料が乏しく、画伝類にはしばしば異なった記述が見られる。

基礎文献のひとつ「画師的伝宗派図」には、等薩は「大隅人、入唐之僧也」と記され、秋月の門人に名を連ねている。しかし、雪舟門人の周徳、あるいは秋月門人の等坡が師であるとする文献もある。共通する記述としては、大隅出身であり、波月と号したということである。また、木村探元は『三暁庵主談話』のなかで「弓削等薩は国分素生の人にて、落命は田布施大野の地にて墓あり」と述べているが、墓は確認されていない。

等薩の代表作で、英国立ヴィクトリア美術館に所蔵されている「花鳥図屏風」の款記に「天正三年乙亥六月如意味日隅陽之産波月等薩六十歳書之」とあることから、生年は永正13年とみられ、少なくとも秋月門人説は否定されている。

掲載作品の「四季耕作図屏風」は、現在、鹿児島に残されている等薩の作品で、本来六曲一双の屏風だが、左隻は行方不明である。遠景と近景のバランスのよさに、構成力の非凡さが感じられる。

弓削等薩(1516-不明)
永正13年生まれ。大隅国出身の画僧で、俗姓は弓削、波月と号した。雲谷等薩の表記もみられる。画伝類に雪舟門人の周徳、秋月門人の等坡を師とする説などがみられ、明に渡ったという記述もある。花鳥図や山水図を得意としたと伝わっている。



彼らは生きていた —いま甦る室町~江戸絵画集—
鳥影社
『絵画(レビュー感想)』 ジャンルのランキング
この記事についてブログを書く
« 秋月等観の弟子と伝わる日向... | トップ | 雪舟系水墨画を継承した江戸... »
最近の画像もっと見る

画人伝・鹿児島」カテゴリの最新記事