8 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 思い出のバックドロップ (ゆーまん) 2010-04-18 08:56:21 ジン・キニスキー選手は良いレスラーでしたね。81歳。体を酷使するレスラーとしては長生きでしたね。僕らが夢中でプロレスを見ていた昭和44~46年当時、思い出すのが45年11月の来日でジャイアント馬場をバックドロップで破りインターナショナル選手権を奪取した試合は衝撃的でした。プロレス中継でも当時のハイテク映像だったスローモーションで何度も再生されバックドロップはすごいと思ったよ。そういえば、不思議なことにキニスキー逝去の報じられる前日に、ブログ記事のため古い月刊ゴングを見ているううちに、今現在、ジャイアント馬場やアントニオ猪木と戦った古いレスラーで健在なレスラーは?と考えていたんです。ブルーノ・サンマルチノ、ドンレオ・ジョナサン、ザ・デストロイヤー、バーン・ガニア、ジン・キニスキーと数えていたんだよね。これも虫の知らせかな。キニスキーさん思い出ありがとう 返信する S45年 (サミー) 2010-04-18 14:05:22 1970年最後のダイハプニング!というタイトルがゴングで使われていました。この時のキニスキーは、もう峠を越えた感が強く、バック・ドロップこの試合まで使ってなかったんですよね。もうキニスキーは力が衰えたのではと誰もが思ってました。しかしそれはこの試合に温存していたんだね~いあ~プロレスって奥が深い。。。確かテレビ放送よりスポーツ紙で馬場が敗れたことを知ったような。。。この頃僕らは小学5年生! 返信する おおっ! (ゆーまん) 2010-04-18 15:53:12 そうだね僕らは小学校5年生か昭和45年。大阪万博の翌年だね、よど号乗取りハイジャックや、観光船乗取りシージャック事件があったね。でも、まだまだノンビリとした良い時代だったね。ドリーファンクジュニアが大技連発云々と語られるけれど、馬場とキニスキーの試合も豊富に技が飛び出したね。馬場が普段の技にプラスしてコブラツイストやフライング・ヘッドシザースを繰り出せば、キニスキーはパイルドライバー、シュミット式、キチンシンク、キーロック、ニードロップ、そしてバックドロップと当時としては多彩だった。ドリーファンクジュニアにNWA王座を明け渡すまで戦うチャンピオンと言われてたっけ。そういえば、技の豊富なドリーでも、さすがにジャーマンは見た事ないよね。 返信する フライング・ヘッドシザース (サミー) 2010-04-18 16:20:35 馬場はキニスキーにしかこの技やらないよね?安心して受けてくれる選手だったんだろうね~ジャーマンはこれも昔から不思議なんだけどアメリカの選手でやる人ってドリーに限らずいないよね。バックランドぐらいしか記憶にないんだけど。。。 返信する なるほど (ゆーまん。) 2010-04-18 18:00:48 そうだね。フライング・ヘッドシザースは、いま手元にある本では、キラーオースチンにかけてるのがあるだけで、頻繁に馬場がやる相手は本当にキニスキー戦だね。必ず受けてくれるという信頼関係がそうさせたんだろうなぁ。ジャーマンと言うのだから、アメリカ向きじゃなかったんだね。サミーさんはドイツ人の心を持ってたから出来たんだね。さっきのコメント訂正です。大阪の万国博覧会も昭和45年でした。大映のガメラ対ジャイガーがタイアップしてたね。 返信する たぶん。。。 (サミー) 2010-04-18 19:04:13 思うに、ジャーマン・スープレックスはリスクが大きい技だよね。自分もかなり痛い。(^^;)その辺のところがアメリカのレスラーには馴染まなかったんじゃないかな。あっしはドイツというよりヨーロッパかな?^^;オースチンにやったのは知らなかった~はっきり覚えてるのは、第2回NWAタッグリーグ。あの頃はもう晩年。その前に来た時はレッグ・シザース?とタイツをつかんだパイル・ドライバー、あと妙に腹が出てたことぐらいか。。。^^; 返信する Unknown (水戸マスカラス) 2021-09-20 01:19:23 1970年12月の馬場、猪木対キニスキー、バレンタインのインタータッグ選手権を観直したのですが確かにキニスキーはガンガンと猪木とやり合って驚きましたね!NWA王座から陥落して2年でしたから未だ未だトップレスラーとして活躍して、馬場からインターヘビーを奪取するのでした!逆にこのインタータッグ戦での馬場は動きが悪いのはしようがないのですが猪木に助けられてばかりで情けない程でした! 返信する キニスキー (サミー) 2021-09-20 20:44:28 水戸マスカラスさん、始めまして。キニスキーバレンタイン組は本当に強かったですね!あのインタータッグを観に行かれたとは羨ましいです!@@ 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
そういえば、不思議なことにキニスキー逝去の報じられる前日に、ブログ記事のため古い月刊ゴングを見ているううちに、今現在、ジャイアント馬場やアントニオ猪木と戦った古いレスラーで健在なレスラーは?と考えていたんです。ブルーノ・サンマルチノ、ドンレオ・ジョナサン、ザ・デストロイヤー、バーン・ガニア、ジン・キニスキーと数えていたんだよね。これも虫の知らせかな。
キニスキーさん思い出ありがとう
というタイトルがゴングで使われていました。
この時のキニスキーは、もう峠を越えた感が強く、バック・ドロップこの試合まで使ってなかったんですよね。もうキニスキーは力が衰えたのではと誰もが思ってました。
しかしそれはこの試合に温存していたんだね~いあ~プロレスって奥が深い。。。
確かテレビ放送よりスポーツ紙で馬場が敗れたことを知ったような。。。
この頃僕らは小学5年生!
昭和45年。大阪万博の翌年だね、よど号乗取りハイジャックや、観光船乗取りシージャック事件があったね。でも、まだまだノンビリとした良い時代だったね。ドリーファンクジュニアが大技連発云々と語られるけれど、馬場とキニスキーの試合も豊富に技が飛び出したね。馬場が普段の技にプラスしてコブラツイストやフライング・ヘッドシザースを繰り出せば、キニスキーはパイルドライバー、シュミット式、キチンシンク、キーロック、ニードロップ、そしてバックドロップと当時としては多彩だった。ドリーファンクジュニアにNWA王座を明け渡すまで戦うチャンピオンと言われてたっけ。そういえば、技の豊富なドリーでも、さすがにジャーマンは見た事ないよね。
安心して受けてくれる選手だったんだろうね~
ジャーマンはこれも昔から不思議なんだけどアメリカの選手でやる人ってドリーに限らずいないよね。
バックランドぐらいしか記憶にないんだけど。。。
さっきのコメント訂正です。大阪の万国博覧会も昭和45年でした。大映のガメラ対ジャイガーがタイアップしてたね。
その辺のところがアメリカのレスラーには馴染まなかったんじゃないかな。
あっしはドイツというよりヨーロッパかな?^^;
オースチンにやったのは知らなかった~
はっきり覚えてるのは、第2回NWAタッグリーグ。あの頃はもう晩年。その前に来た時はレッグ・シザース?とタイツをつかんだパイル・ドライバー、あと妙に腹が出てたことぐらいか。。。^^;
キニスキーバレンタイン組は本当に強かったですね!
あのインタータッグを観に行かれたとは羨ましいです!@@