辰姫と私 ~石田三成の娘「辰姫」の研究~

石田三成の娘”辰姫”の真実を伝承するサイトです。あと仏教のエッセイとオマケ(管理人の日常)。

【必見】 辰姫研究記事の見方について

 初めにカテゴリーの「1分で知る辰姫」と「辰姫年表」を読んだ後に、各カテゴリー内の記事を”古い記事から”読んで頂くと解り易いです。

私は日常をこのように思ってます

2018年05月22日 20時15分42秒 | オマケ (管理人の日常)
 今回はオマケ(管理人の日常)記事です。

 この記事は多分に仏教の事と重なるので仏教のエッセイ記事にしようとも考えたのですが、私自身の思うところで書いているので、オマケ(管理人の日常)記事としました。


 当サイトをいつもご覧になって下さっている方々には耳にタコかもしれませんが、私は辰姫の研究課程で仏教を研究しています。
 当サイトの記事を隅々まで読んで下さるとお解りになられるかもしれませんが、私は無宗教無宗派ですが、祖父から受け継いだ古の観音信仰を自身の信仰とし、日常、仏教の教えを少しでも生かそうと心がけています。

 日々の日課の読経はその一つです。


 ある仏教経典を記した書物に次のような事が書かれていたのを覚えています。

「この世は苦。それは仏の教えを学び得れば学び得るほど、悟りを開けば開くほど、その苦しみは明らかになる。僧や悟りを開いた人間にとっては、事、さらに地獄であろう」と。(私なりの言い回しで噛み砕いた言い回しにしてあります)

 私は今になり、その事を痛感しています。別に僧でもなければ悟りなど開いたわけでもありませんが・・・。


 自身の立場を保持する為、自身の過ちを黙す。
 他人の欠点のみに目をやり、批判を繰り返す。
 自分がやられて嫌な事や言動を何も思う事なく繰り返す。
 立場あるものに媚を売る。
 私利私欲、己のみにとっての損得・・・などなど・・・。

 自分の姿は意識しない限り、鏡にでも移さないと見えないもの。
 まして、心のうちなどは、その鏡ごときでも見えないものです。

 でも、繰り返す。

 当然、私も人間です(笑)。私自身にも言える事。

 人が見ていなくても、人間以上の存在にすべて見透かされていると考えたら・・・。
 神や御仏でなくても、今は亡き自分の大切に思っていた人や身内家族に見透かされているとしたら・・・。

 それは・・・目を覆いたくなるような人間の愚かな一面なのでしょう。

 そんな醜く愚かしい姿や考えや行いは、人である自分も当然対象であり、自分の目に映る他者の無慈悲な振る舞いや行いを目にする事は、自分自身もそのような所業をしかねない人間という存在である事実を厳しく認識させられてるように思えます。


 どんなに要領よく世間を渡り振る舞っても、所詮は”空(変化しない、滅しないものなど存在しない)”。
 そして、”業の支配(因果応報。やった事は全て形を変えて自分に返ってくる)”の元にある。

 数々の仏教の経典の中で、説かれ戒められている事です。


 その事を重々意識し、自分の立場や損得や私利私欲を第一とすべきでないと意識を持てるという事は、ある意味、自分への制約や苦しみを増す事にでもなろうかとは思いますが、過ちを意識し、少しでも”善い”方向へ自分を向かせ歩ませてる事になっているのではないでしょうか?

 そう思えると、まさに日々毎日の自分の置かれた境遇や出来事などが、全て自分磨きの為に用意された修業のカリキュラムの様に思えてくるのは・・・私だけでしょうかね?


 そんな生き方、暮らし方をするかは、どのような境遇においても、究極的には自分が決める事。

 全てを見透かされても(私にとっては信仰の対象である観世音菩薩と、仏教の学びと研究の発端となった辰姫に)恥ずかしくない、「それなりに心がけて生きてるな」と思ってもらえるような生き方をしていきたいものです。
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