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語り部 安部あきこさんとたての山を目指すとそこにあったのは村上城跡

2013年02月14日 | 日誌
実は「たての山」という地名はいくら検索しても

 わかりません。安部さんが祖先から語り継い

 だ「何かあったらたての山に逃げろ!」

 その山は村上地区にありました。

 地元のお年寄りが話してくれた所によると、

 村上地区は過去にも津波の被害に遭い一度

 消滅してしまった村だというのです。生き残った

 者たちが、新しい村上地区を築き直すため数百メートル離れた海岸沿いに新天地として住み始めたのが

 現在の村上地区だそうです。「昔は砂浜があったんだよ」

 これは原町区渋佐でも聞かされたことで、長い年月ととともに砂浜は侵食され住空間が変化していった事

 は間違いありません。断崖絶壁に聳え立つ山を背に青い空と穏やかな海面に視線をむけながら不安定な歩

 行でゆっくりと小道を登っていくと、震災前そのままだというテトラポットやほっき貝の砕かれた白さが

 目に飛び込みます。

 
 「この海が…この波が…。」

 浜辺に白いとぐろを巻きながら何度も何度も

 狂ったように覆いかぶさる様を想像すると空

 恐ろしくなります。

 生まれ故郷のその様子を安部さんは遠く浦尻

 から見つめるしかなかったそうです。

 まるでコップになみなみと注がれた真水の様に、

 ぷっくりと膨らみながら右に左にゆらゆらと穏やかに揺れる海面を見ていると「海を嫌いにならないで下さい。

 山を嫌いにならないで下さい」と誰かが言った言葉を思いだしました。見たこともない大津波がせまるあの時、

 海岸沿いにあるこの小道を逃げる事は到底無理だったことでしょう。

 恐らくこの小道は、あっという間に真っ黒な漆黒の闇へと吸い込まれたに違いありません。

 ほどなく左手に見えたのは地震により傾いたまま佇む「波切神社」の姿でした。
 
    

 先日安部さんが金性寺の住職様の避難先で見たお不動様はここに祀られていました。

 震災後、波切神社を訪れましたが、鍵が掛かったままになっていた為中を見ることはできず心配していた

 のです。住職様が原発事故により立ち入り禁止となる小高区から持ちださなければならない!と思われたお

 気持ちがよくわかります。幾多もの災害からこの地を守らんとしたそのお姿は、その力強いお姿とは対照に

 哀しみに満ちているかのように見えます。

             

 波切神社はその名のいわれ通り、この神社で津波の波が切れたのではないかと言われいます。

 神社の斜め向い側にあるお墓は壊れたままになっているものもあり、おそらくそれは地震により倒壊したもの

 で、津波が被った様子は殆どみられませんでした。

 多くの方が犠牲になった村上地区、波切神社まで海岸からはわずか数分。

 波切神社を後にさらに数分小道を登るとその先には荒廃した畑があり、壊れた鳥居を潜るとそこは村上城の

 跡地でした。村上城は、海城としても知られ今、その面影を残すのは史跡跡を記す案内板だけです。

 城跡に建てられた神社も今回の地震により全壊。

 

 色々調べてみると、村上城にはこの海岸沿いの小道以外に2ヵ所参道がありそれは内地から続いていることが

 わかりました。そう、お城である以上簡単に外敵に責められては困る。しかし、人びとを災害から守るため人

 から人へと語り継がれた言葉はこの参道を示していたに違いありません。

       

 

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