母に絶縁され、友人には「説教に反論するなら縁を切る」と言われ、mixiマイミクさんはアクセス拒否、BBSは罵詈雑言のアラシ。
今の私にピッタリ?の映画『嫌われ松子の一生』を見る。
映画館で映画を見たのは2ヶ月ぶりぐらい。いやー、いい映画だった。
今年の邦画、ザ・ベストかも。
予告編では全く見る気がしなかった。
ポスターで、東京スカパラダイスオーケストラの谷中君が出てると知り、見なければいけないかな、とは思った。
こういう映像に凝ってる映画で、話がつまらないものはいっぱいあるし、知り合いが出てるからと見て、終わりまで見ることも、感想を言うのもつらい、ということもよくある。
そんなことやってる場合じゃない、と思っていた。
しかし、『嫌われ松子の一生』は周りの評判がものすごく良い。
映画をよく見ている、うるさ型(失礼)の人々の評価がとても高い。
そんなに言うんだったら、今回は自分の勘を疑い、見てみることにした。
中谷美紀、頑張っていた。偉い。映像も音楽も良かった。
劇場では私一人笑った箇所いくつか。大変面白かった。
ソープランド支配人役の谷中君、怪しげで本当に素敵。
あの絡みのシルエットも彼なんだろうか?いいわあ。
その他出演者、全てはまってた。大変うまいキャスティングだ。
あちこちで「縁を切る!」と言われている私も松子だなあと、泣いた泣いた。
松子は次々起こる不幸に「なんで?」「何でよー?!」と絶叫するが、見ている側には原因がよくわかる。
よくワイドショウでやってるゴミ屋敷の住人にも、いろんなドラマがあるのだろうと想像させてくれた。
高橋玄監督作品の常連俳優岡村洋一さんの感想は心に沁みる。
「だから、一度でも他人の傷口に塩をすり込んだ事のある、そこのあんた。
もう、松子の事を嘲笑うのは、やめてもらいたい。
不器用や不運の連続は、それほど悪い事か?
上から、偉そうな視線で人を見下すのはやめて欲しい。
誰だって、バカで不器用じゃないか。
我らは皆、“嫌われ松子”じゃないか。」
松子に起こるいろいろを「不幸」と人は言うけれど、私にはドラマチックな出来事と映る。
不幸には見えない。
中島義道の言葉も思い出す。
「どんな人生も不幸である。この『真実』を自覚し自分固有の不幸と向きあうほうが『よく生きる』ことになるのではないか」
私は松子のように「なんで?なんでー?!」とは叫ばない。
「何故、縁を切ると脅かして、人を思い通りに動かしたいんだろう?」という疑問は持つが、黙って関係を切る人もいて、いろいろで面白いなあと思う。
松子は男に「神」だと言われる。そんな幸せなことってないと思う。私は松子に憧れる。
私もゴミ屋敷の孤独な住人にはなるかもしれないが、迷惑な親戚にはなれない。
甥も姪もいないから。
そしてあちこちで縁を切られる私を愛してくれる、私の恋人は一番面白くて素敵な変わり者。
だから私は恋人のミューズをめざす。
少人数でも誰かが面白がってくれれば、そちらの道を必死で突き進む。
最後に、気になった点。
大変面白い良い映画ではあったけど、繰り返される
「人の価値は、何をしてもらったかではなく、何をしてあげたかだよね」
というセリフ。
私は不同意。突詰めて考えると、おかしな言葉だ。
人の価値を決めるのは他人でしょ?
他人が、人に何かをしてあげる人を見て、「価値のある人だ」と思うとして、してもらった側の評価なくして価値など決められるのか?
自分の価値は自分で決めるのか?だとしたら「私は人にこれだけしてあげたから価値がある」ってものすごい傲慢なことになるけど、そういうことではないよな?
なのでこのセリフ自体、一瞬意味があるようで全くナンセンス。
今の私にピッタリ?の映画『嫌われ松子の一生』を見る。
映画館で映画を見たのは2ヶ月ぶりぐらい。いやー、いい映画だった。
今年の邦画、ザ・ベストかも。
予告編では全く見る気がしなかった。
ポスターで、東京スカパラダイスオーケストラの谷中君が出てると知り、見なければいけないかな、とは思った。
こういう映像に凝ってる映画で、話がつまらないものはいっぱいあるし、知り合いが出てるからと見て、終わりまで見ることも、感想を言うのもつらい、ということもよくある。
そんなことやってる場合じゃない、と思っていた。
しかし、『嫌われ松子の一生』は周りの評判がものすごく良い。
映画をよく見ている、うるさ型(失礼)の人々の評価がとても高い。
そんなに言うんだったら、今回は自分の勘を疑い、見てみることにした。
中谷美紀、頑張っていた。偉い。映像も音楽も良かった。
劇場では私一人笑った箇所いくつか。大変面白かった。
ソープランド支配人役の谷中君、怪しげで本当に素敵。
あの絡みのシルエットも彼なんだろうか?いいわあ。
その他出演者、全てはまってた。大変うまいキャスティングだ。
あちこちで「縁を切る!」と言われている私も松子だなあと、泣いた泣いた。
松子は次々起こる不幸に「なんで?」「何でよー?!」と絶叫するが、見ている側には原因がよくわかる。
よくワイドショウでやってるゴミ屋敷の住人にも、いろんなドラマがあるのだろうと想像させてくれた。
高橋玄監督作品の常連俳優岡村洋一さんの感想は心に沁みる。
「だから、一度でも他人の傷口に塩をすり込んだ事のある、そこのあんた。
もう、松子の事を嘲笑うのは、やめてもらいたい。
不器用や不運の連続は、それほど悪い事か?
上から、偉そうな視線で人を見下すのはやめて欲しい。
誰だって、バカで不器用じゃないか。
我らは皆、“嫌われ松子”じゃないか。」
松子に起こるいろいろを「不幸」と人は言うけれど、私にはドラマチックな出来事と映る。
不幸には見えない。
中島義道の言葉も思い出す。
「どんな人生も不幸である。この『真実』を自覚し自分固有の不幸と向きあうほうが『よく生きる』ことになるのではないか」
私は松子のように「なんで?なんでー?!」とは叫ばない。
「何故、縁を切ると脅かして、人を思い通りに動かしたいんだろう?」という疑問は持つが、黙って関係を切る人もいて、いろいろで面白いなあと思う。
松子は男に「神」だと言われる。そんな幸せなことってないと思う。私は松子に憧れる。
私もゴミ屋敷の孤独な住人にはなるかもしれないが、迷惑な親戚にはなれない。
甥も姪もいないから。
そしてあちこちで縁を切られる私を愛してくれる、私の恋人は一番面白くて素敵な変わり者。
だから私は恋人のミューズをめざす。
少人数でも誰かが面白がってくれれば、そちらの道を必死で突き進む。
最後に、気になった点。
大変面白い良い映画ではあったけど、繰り返される
「人の価値は、何をしてもらったかではなく、何をしてあげたかだよね」
というセリフ。
私は不同意。突詰めて考えると、おかしな言葉だ。
人の価値を決めるのは他人でしょ?
他人が、人に何かをしてあげる人を見て、「価値のある人だ」と思うとして、してもらった側の評価なくして価値など決められるのか?
自分の価値は自分で決めるのか?だとしたら「私は人にこれだけしてあげたから価値がある」ってものすごい傲慢なことになるけど、そういうことではないよな?
なのでこのセリフ自体、一瞬意味があるようで全くナンセンス。