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マリバール 文集・ギャラリー

8月5日 映画『嫌われ松子の一生』

2006-08-06 20:42:48 | 抱茎亭日乗メモ
 母に絶縁され、友人には「説教に反論するなら縁を切る」と言われ、mixiマイミクさんはアクセス拒否、BBSは罵詈雑言のアラシ。
今の私にピッタリ?の映画『嫌われ松子の一生』を見る。

映画館で映画を見たのは2ヶ月ぶりぐらい。いやー、いい映画だった。
今年の邦画、ザ・ベストかも。

予告編では全く見る気がしなかった。
ポスターで、東京スカパラダイスオーケストラの谷中君が出てると知り、見なければいけないかな、とは思った。

こういう映像に凝ってる映画で、話がつまらないものはいっぱいあるし、知り合いが出てるからと見て、終わりまで見ることも、感想を言うのもつらい、ということもよくある。
そんなことやってる場合じゃない、と思っていた。

しかし、『嫌われ松子の一生』は周りの評判がものすごく良い。
映画をよく見ている、うるさ型(失礼)の人々の評価がとても高い。
そんなに言うんだったら、今回は自分の勘を疑い、見てみることにした。

 中谷美紀、頑張っていた。偉い。映像も音楽も良かった。
劇場では私一人笑った箇所いくつか。大変面白かった。
ソープランド支配人役の谷中君、怪しげで本当に素敵。
あの絡みのシルエットも彼なんだろうか?いいわあ。
その他出演者、全てはまってた。大変うまいキャスティングだ。

 あちこちで「縁を切る!」と言われている私も松子だなあと、泣いた泣いた。
松子は次々起こる不幸に「なんで?」「何でよー?!」と絶叫するが、見ている側には原因がよくわかる。
よくワイドショウでやってるゴミ屋敷の住人にも、いろんなドラマがあるのだろうと想像させてくれた。

高橋玄監督作品の常連俳優岡村洋一さんの感想は心に沁みる。

「だから、一度でも他人の傷口に塩をすり込んだ事のある、そこのあんた。
もう、松子の事を嘲笑うのは、やめてもらいたい。
不器用や不運の連続は、それほど悪い事か?
上から、偉そうな視線で人を見下すのはやめて欲しい。
誰だって、バカで不器用じゃないか。
我らは皆、“嫌われ松子”じゃないか。」

松子に起こるいろいろを「不幸」と人は言うけれど、私にはドラマチックな出来事と映る。
不幸には見えない。
中島義道の言葉も思い出す。
「どんな人生も不幸である。この『真実』を自覚し自分固有の不幸と向きあうほうが『よく生きる』ことになるのではないか」

 私は松子のように「なんで?なんでー?!」とは叫ばない。
「何故、縁を切ると脅かして、人を思い通りに動かしたいんだろう?」という疑問は持つが、黙って関係を切る人もいて、いろいろで面白いなあと思う。

松子は男に「神」だと言われる。そんな幸せなことってないと思う。私は松子に憧れる。
私もゴミ屋敷の孤独な住人にはなるかもしれないが、迷惑な親戚にはなれない。
甥も姪もいないから。

そしてあちこちで縁を切られる私を愛してくれる、私の恋人は一番面白くて素敵な変わり者。 
だから私は恋人のミューズをめざす。
少人数でも誰かが面白がってくれれば、そちらの道を必死で突き進む。

 最後に、気になった点。
大変面白い良い映画ではあったけど、繰り返される
「人の価値は、何をしてもらったかではなく、何をしてあげたかだよね」
というセリフ。
私は不同意。突詰めて考えると、おかしな言葉だ。

人の価値を決めるのは他人でしょ?
他人が、人に何かをしてあげる人を見て、「価値のある人だ」と思うとして、してもらった側の評価なくして価値など決められるのか?
自分の価値は自分で決めるのか?だとしたら「私は人にこれだけしてあげたから価値がある」ってものすごい傲慢なことになるけど、そういうことではないよな?
なのでこのセリフ自体、一瞬意味があるようで全くナンセンス。
コメント (4)
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8月3日 日本一醜い親への手紙

2006-08-06 03:11:55 | 抱茎亭日乗メモ
 7月31日に酔っ払って家に帰ったら、母から手紙が届いていた。

「今日わ
江戸川花火大会は如何でしたか。
歯の矯正、その後の身体の調子はどうでしょうか?」
とあり、江東区花火大会鑑賞クルージング(フランス料理)に
「よかったら参加して下さい。連絡を待っています」とのことだった。

江戸川花火大会?何のこと?と思ったが、それよりこの誘いと手紙にどう対応するべきか、と考えた。
この手紙はごく普通の親から子への手紙だが、母は先日私に絶縁状を寄越した。
そんなことは忘れてしまったのか?気が狂っているのか?

 8月1日、仕事から帰って、手紙をもう一度読んでみた。花火大会はいつ?
……今日じゃん!終わってんじゃん!
何を考えてんのかね。バカにしてんのか、と思ったら、郵便番号が間違ってるよ!
だから、消印は7月27日だが31日に着いたのだろう。もーう!

 そして、先日『なすび』の千秋さんと話した通り、「絶縁を取り消すなら話を聞く」という内容の手紙を書いてみた。

「31日に写真同封の手紙が届きました。
郵便番号が間違っていました。

私にはあなたの言動が理解できません。
私はあなたに絶縁されました。絶縁状も受け取りました。
絶縁した相手にあれこれ命令するなど、ありえません。

『絶縁』という厳しい言葉を私は非常に重く受け止めました。
これが初めてではありません。
前回も覚悟を持って、あなたの発した言葉を受け止めたのです。

前回はT叔父さんが仲裁してくれて、私は謝罪を受け入れました。
あれはなんだったんですか。ばかげた騒ぎをこれからも繰り返すのですか。

絶縁というのは、あなたも書いていますが、生きようが死のうが関知しないということです。
私はずっと仕事がなくて、仕事にやっと就けたと思ったら体を壊しました。
大変なときに『二度とお金を無心するな』とあなたに言われました。
友人が歯の治療代を割り引いてくれて、支払いの条件を出されてさあ治療を始めようというところで、あなたが出すと約束していた金額は一方的に反故にされました。

そしてあんな絶縁状を受け取って、誰がのこのこ出かけていきますか。

一度発した言葉は消すことができません。
私は今もあなたに絶縁された『元娘だった女』です。

絶縁を取り消す、撤回するというなら話は聞きます。
そうでなければ命令されたり誘ったりされても、私はわけがわからず混乱するばかりです。
周りの人を使って命令するのもやめていただきたい。みっともないから。

そして、絶縁して、復縁して、また会ったら絶縁して、などというあなたとT叔父さんがやっているようなくだらないことに、私は付き合う余裕がありません。

もう一度、あなたの絶縁状を読んで、自分の発した言葉がどんなものだったのか認識してください。
そして、考えが変わらないのなら取り消さなくても結構ですから、元娘はがんで死んだとでも思ってください。

強い娘に育ててくれて、どうもありがとうございました。
ご恩と仕打ち、一生忘れません。」

絶縁状を出したことを恐らく後悔し、私のことを心配している母に浴びせるにはあまりにも酷い内容かもしれない。
『日本一醜い親への手紙』は、直接出せないから本になった。
私はこの手紙を本当に母に読ませるのか?と自分のしていることが恐ろしくなる。

T叔父に相談。
「はっきり言ってやるのはいいんじゃないの」と言われる。

一晩考えた。投函してしまった。

恋人に「いじめて楽しんでない?」と言われる。
「いや、絶縁されたのは私の方だよ」
「そう?」
楽しくはない。でもやはりきつ過ぎたかな、と反省した。

言いたいことは言ってすっきりしたし、次があるなら態度を少し変えようと思った。
さて、母はどう出るか。ソフトランディングなるか?
コメント (2)
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