2012年05月11日(金) 記
昨日のお便り、読み返してみるとちょっと恥ずかしいことを書いていました。
「日本でツイッターが爆発的に利用され始めたころ、私もこれに接して「これはすごい!」と思ったものです。名もない庶民一人一人のための「情報収集」、「発信」、「伝達のニューメソッド」になる、と瞬間的に思いました。」の部分です。
老化が始まりつつある頭ではなかなか理解できない「ツイッター」なるものを、何とか理解したい、使えるようになりたいと、本棚には5~6冊も同じような初級内容のツイッター解説本が並んでいます。
それだけではなく常に持ち歩いているA5版のバインダーノートには、いま読み返すと「こんなことが理解できてなかったのか」と思うようなことが、赤ペンで書いてあったり、マーカーでアンダーラインを引いてあったり。
こうして、よちよちと使い始めてわずかの時間で、「これは庶民一人一人の『武器』となりうる」、と確信したものでした。その確信までの時間が瞬間的と言ってもいいほどの短時間だったので、「瞬間的に思いました」と書いたのでした。
こういう内輪話があったのでした。ごめんね。
皆さんの中ではツイッターを使っている方も多いと思いますが、もし「まだ」という人がいらっしゃれば強く勧めます。
私たちは新聞、TV、ラジオといったマスメディアに囲まれています。囲まれている、ということは包囲されている、ということです。ヤギや牛、豚などの家畜は逃げないように柵で囲まれていますが、私たちは「真実」を見ることができないようにメディアという柵で囲まれています。たとえばこんなのはどうでしょう。
【浅野さん】NHKが沈黙した日
http://www.youtube.com/watch?v=h6lEi8FWhNs&feature=player_embedded#!
同じように
TPPは?
小沢裁判は?
原発事故の実際は?
電力の供給能力は?
などなど。
さらに、「自分の考え・意見」と思っていても実は「購読紙の記事内容」だったということは実際極めて多いものです。これは、鎖につながれてしまった状態の上に、自分を繋いでいる鎖を自慢している姿にしか、私には見えません。
この柵からの脱出口の一つがツイッターだと、私は思っています。さらに、他人からは絶対矯正されない自分自身の思い込みを素直に正せることも可能なツール。それほどの「力」を持っている。
じゃ、また。