こんにちは
最近は年のせいか、朝これを書こうとブログの
題材を見つけて喜んだのもつかのま、昼には
何を書くのか忘れることが多いです。
そこで今日のタイトルは、「歴史の教訓を生かそう」
です。
近所に中学校の先生が住んでいまして、よく話をします。
そこで、いろいろ考えさせられることがあります。
たとえば、
何年か前は、文部省不要論があったとか。
その理由を聞きますと、実際に教育に関わっていない
文部省が、どうして教育プログラムを作成するのかが
理解できないというわけです。
できたプログラムは、現実を無視しているし
その影響を最大限こうむるのは、現場の小中学校とのこと。
文部省は現実にあわせた施策をしようとしない。
文部省が何か言うと、現場が困るとのこと。
今は不要論がないのかというと、大いにあるとのこと。
ゆとり教育から学力重視へと方向を180度切り替えるが
責任はとったことがない。現場を混乱させる元を作っている
のに関知しない。
そんなこんなで色々聞きますと、過去の教訓を
生かしていなくて、存在理由が乏しいわけです。
学力重視は、昔の中国の「科挙」のように官僚育成のためで
国民のためではないとのことでした。
最近は年のせいか、朝これを書こうとブログの
題材を見つけて喜んだのもつかのま、昼には
何を書くのか忘れることが多いです。
そこで今日のタイトルは、「歴史の教訓を生かそう」
です。
近所に中学校の先生が住んでいまして、よく話をします。
そこで、いろいろ考えさせられることがあります。
たとえば、
何年か前は、文部省不要論があったとか。
その理由を聞きますと、実際に教育に関わっていない
文部省が、どうして教育プログラムを作成するのかが
理解できないというわけです。
できたプログラムは、現実を無視しているし
その影響を最大限こうむるのは、現場の小中学校とのこと。
文部省は現実にあわせた施策をしようとしない。
文部省が何か言うと、現場が困るとのこと。
今は不要論がないのかというと、大いにあるとのこと。
ゆとり教育から学力重視へと方向を180度切り替えるが
責任はとったことがない。現場を混乱させる元を作っている
のに関知しない。
そんなこんなで色々聞きますと、過去の教訓を
生かしていなくて、存在理由が乏しいわけです。
学力重視は、昔の中国の「科挙」のように官僚育成のためで
国民のためではないとのことでした。