森政人的日々 ~石川県商工会青年部相談役・㈱森こん常務取締役・4児のパパな日々~

青年部も卒業し、blog休止中。7月からは、4児のパパとしても奮闘中です!!
blog再開の日は来るのか!?

温度差がより拡がり始めている?

2011年04月19日 12時32分13秒 | 商工会青年部

誤解を恐れずに書こうと思います。嘘偽りのない私個人の想いです。ご批判は真摯に受け止めます。ブログからコメントいただければありがたいです。

 

被災地の商工会青年部の仲間達からは、貴重な情報が発信し続けられています。

そして、全国各地で、被災地への復旧・復興に向けた支援は続いています。

過度な自粛は経済を停滞させるので、出来る人は、今までどおりの生活を心がけることも必要でしょう。

でも、ちょっと考えて見て下さい。長く続く不況の中、震災前だって経営も生活も楽ではなかったですよね。今までどおりの収支では、支援に回すお金の出所はありません。ましてや、震災以降の様々な影響で、被災地から遠く離れたこの地でも、今までどおりの経営や生活が出来ないことが多いです。どうするべきとか、こうするのが正解なんて無いと思うし、誰かに強制されるものでもないと思います。

 

個人的には、結婚10周年で予定していた沖縄への家族旅行を、震災の翌日に石川に戻る道すがらキャンセルしました。妻へのプレプレゼントも無期延期です。すぐにでも開始されるであろう義援金の募金と支援物資の発送に備えて、手元に現金を用意したかったからです。どちらもいつもお世話になっている地元青年部の仲間達にお願いしていましたから、とても申し訳ないと思っています。妻と子供達にも、青年部活動などで長い間負担をかけたり、寂しい思いをさせてきましたから、卒業の年に思い切って奮発する予定でしたが、落胆させたかもしれません。でも理解してくれているようです。

今できることは何かと考え、そこで使うつもりだったお金のうち、いまのところ十数万円ほどを義援金や支援物資の発送に使いました。全部使ってしまわなかったのには理由があります。それは、自分は意志が弱く、喉もと過ぎれば熱さを忘れるような人間だからです。

 

 

阪神・淡路大震災の時、避難所でマイクを向けられた一人の老女の言葉に涙が止まりませんでした。頭と顔の半分をぐるぐる巻きにした包帯は、たくさんの血で赤く染められていました。そのおばあちゃんがマイクに向かって言ったこと。「こんな年寄りは何も望まない。他の皆さんを助けてやってほしい。」

「俺が助けに行かなきゃ!」そう思いました。仕事を辞めることになったとしても、必ず行かなきゃと思いました。でも、入社二年目で部門チーフを任されていた24歳の私は、ボランティアとして現地に行くことはありませんでした。職場の売場に設置された義援金箱に、封筒に入れた10万円をそっと募金した後、いつしかその行為に満足し、自分はこれだけやったからもういいんだと、自分の心を誤魔化し続けました。テレビや新聞の報道が減るに連れ、いつしかそんな思いも無くなっていきました。

 

能登半島地震の時、輪島のボラセンにスタッフとして、たったの2回ですが参加してきました。ボランティアとして被災宅の片付けにも行きましたが、その家に一人暮らすおばあちゃんとの会話が今でも忘れられません。そして、テレビの報道はすぐに平常のそれに戻ってしまいました。青年部のネットワークの中で、被災地の仲間達が懸命に復興に向けて頑張っている様子を見聞きしている中、いつしか全国ネットでは忘れ去られていく被災地のことをいつも考えていました。

 

新潟県中越地震の時、石川県青連の仲間達と一緒にボランティアに参加してきました。被害を受けた家の片付けをされている方に、少しの間お話を聞くことが出来ました。ボランティアとして出来た仕事は、ビラ配りだけでした。何の機材も資格も技術も持たない自分を情けなく思いました。そしてこれまでと同じように、テレビの報道はすぐに平常のそれに戻ってしまいました。

 

東日本大震災。テレビでは、原発事故のことや、政局や言い訳の多い記者会見や、見るに耐えない国会中継に多くの時間が費やされていると感じます。励ましや支援を訴える歌番組や、束の間の笑いを届ける番組も良いでしょう。でも、もっと被災者の望むことを伝えて欲しい。被災地が望むことを伝え続けて欲しい。

日常の生活を取り戻せるのはいつになるのかわからない。

季節ごと、復旧の段階ごと、復興に向けての段階ごと、そして地域ごとにニーズは変わっていく。

そして、大切なのは個人ごと。

被災後すぐに立ち上がり、進み出した人もいます。

でも、立ち上がり進みだそうとするのに何年もかかる人だっているでしょう。

必要に応じた支援を、切れ目無く続けていけるように、皆が考え行動して行かなければならないと考えています。そして、今自分にできることを考えて行動することが求められていると思います。

今大切なこと、それは忘れないと誓うこと。

そして、この国の経済を支えるという気概を持つこと。

 

雰囲気に流された自粛、責任逃れの自粛、批判回避の為の自粛、思考停止のための自粛、自粛の為の自粛……。それじゃあ被災者は救われないよ。

でも、自粛した結果が被災地の支援に向けられるなら、そんな自粛ならいいじゃないですか。

3月15日の地元単会の定例会の時から言い続けていること。青年部活動だけじゃなく、PTAや地域の活動でも伝え続けていること。それは、

「過度な自粛はやめようよ。地域の経済を止めないように、この国の経済を支える気概を持とうよ。もしこの席に、身内が被災された方がいたとしても恥ずかしくないような気を配って、盛り上がれるだけ盛り上がろうよ。そして、自分達が満たされた分、幸せを感じた分、朝目覚めることが出来て、温かい食事を頂いて、家族の温もりを感じ、仲間達との素敵な時間を共有して、自分の心が満たされた分を、被災地に向けた支援につなげよう。行動しよう。」

そんなことを伝え続けています。

でも、出て行くお金の使い道が今までと全く変わらないなら、被災地へ向けた思いは思いだけになってしまう。形にしなきゃ意味ないでしょう。心を込めたお金であったり、物資であったり、時間であったり労働であったり技術であったり。継続し続けたいですよね。1回募金したから終わりじゃないですよね。何ヶ月も何年も続く支援でありたいですよね。私はそう思います。

 

今、懸命に支援活動に汗を流している仲間達がいます。本当にありがたいことです。素晴らしいと思います。でも、少しずつ熱が冷めてきているように感じませんか。行動し伝え続ける人と、その周りの多くの人との間に、見えない溝が拡がりつつあるのを感じませんか。行動し伝え続ける人を励まし、支持し、共感の声を上げることも支援のひとつの形ではないでしょうか。今できることを皆さんと一緒に考え行動し続けていきたいです。

 

 

震災関連のニュースを見続けて、それを深く考えずに子供達にも浴びせ続けていた3月のある日のこと。心も不安定になってしまった我が子を見て、猛烈に反省していました。そして、家族でプリキュアの映画を見に行きました。仲間と協力すること、信じ合い助け合うこと、たくさんの人の応援が力になること、多くの大切なメッセージが込められていました。いつもプリキュアの映画を見ると泣けてくる40歳です……。

その帰り、喉が渇いたから喫茶店に入りたいという子供。喉が渇いたならジュースは飲もう。でも、自動販売機で買ったジュースで我慢して、その分のお金で募金しない?と尋ねると、ちょっと考えてそうすると言った娘。ベンチに腰かけジュースを飲んだ後、千円札を一枚募金箱に入れて微笑んだ娘の肩を抱いて、その温もりに感謝しました。

 

石川県青連の最後の理事会を先週開催し、幼稚園PTAの新旧交代会に出席し、義弟の結婚式に出席し、昨日は県連親会の理事会に出席し、今日は単会青年部の最後の総会です。退院して少しずつ仕事を始めた父の運転手を勤めながら、日々があっという間に過ぎ去っていきます。

一日一日を感謝を忘れずに大切に過ごしたいです。

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1 コメント

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ご無沙汰してます (真三)
2011-04-20 12:16:05
日々の業務、商工会青年部、PTA活動などなどお疲れ様です。

自分はこの日記を見て
改めて考えさせられた様に思います。
「コレだけやったんだから」という、自己満足。
頭の中では違うと思っていても、今後自分に何が出来るのか?
募金だけしてて、実際被災者の手に渡るのはいつなんだろう?
などなど考えてしまいます。

もりこんちゃんの言うように、これからは自分たちが元気に仕事をする事。
そして被災地の現状を忘れずにいること。
そして彼らの発信する情報を元に、日頃の防災意識をもっていくことだと思います。

常に亡くなられた方々へ、心から冥福を祈り
その方たちの想いを伝えていく事が必用であると考えます。
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