SHAンパンでもいかが?

「最終楽章 気分はAdagio」
77歳の一人暮らし。

親の七光り届かず

2024-02-14 09:02:00 | 日記
モーツァルテウム



フランツ・クサ―ヴァ・
モ―ツァルト




1791年、ウィーンに
生まれました。

モ―ツァルトの
息子ですが
彼が生まれて
4ヶ月後に父親は
世を去ります。

母のコンスタンツェは
息子を一流の音楽家に
習わせてウィーンで
勉強させました。

父モ―ツァルトのピアノを
作った職人でもある
シュトライヒャ―、
父の弟子の一人である
フンメル
ウィーン音楽界の重鎮の
サリエリなど
ウィーンの音楽界が総出で
サポートしましたので
青年時代までは
良かったのですが
その後は
教授陣から教わった
流行遅れのスタイルが
影響したのか
名声を得ることは
出来ませんでした。

1841年
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
没後50年の年に
モーツァルテウム
(現在の音楽大学)が
設立され
母のコンスタンツェは
初代楽長は息子にと
思っていましたが
願いはかなわず
53歳で世を去りました。


ヘルベルト・フォン・
カラヤンの出身校です。

   ✨✨✨✨✨

F・X・Mozart作曲
「序曲」







連休

2024-02-13 11:50:00 | 日記

1月はお正月以降
毎週、東京泊りで
ハイ・テンションで
過ごしましたが
年ですね。
疲れは1週間後に
やってきました。
右肘と左肩・首の痛みで
ブログも連休?です。

腰痛にもドキッと
しましたが
これは
思いがけない方法で
治りました。

2度目の
東京行き新幹線。
京都を過ぎたあたりで
すでに腰が痛い。
スマホで検索した結果
椅子に角度をつけると
よくないことがわかり
背もたれを倒さず
太い大きなベルトを
ウエストに巻いた事で
腰痛解消しました。

肩や腕は
日にち薬でしょうか。



   🥀🥀🥀🥀🥀

昨夜、レッスンに
やってきたお嬢さん。
学校コンサートを
終えたばかりですが
又、新たな伴奏を
引き受けてきました。
今日の音楽の時間に
弾くそう。


「美女と野獣」



1時間たっぷり
楽しんで帰りました。

ピアノ 清塚信也








年に一度

2024-02-09 08:30:00 | 日記

ドイツから
帰国している方が
レッスンに
おいでになりました。

レッスン後は
ご主人も加わり
ランチ・タイムです。

焼き立てのビゴのパンの
ガーリック・フランス、
明太子フランスに
アン・プー・ドゥの
ふわふわの
エッグ・コッペを
召し上がって
頂きました。




デザートはダニエルの
ケーキ。




混雑のまえに
買うことが出来て
ラッキー。








   ✨✨✨✨✨


バッハ家の始まりは
ファイト・バッハという
人物で
ボヘミアのドイツ系移民で
白焼きパンの職人でした。




プロテスタントでしたので
カトリックの迫害から
逃れて
ルターの地である
中部ドイツに落ち着きます。
無類の音楽好きで
仕事の傍らチターを
手放しませんでした。

その子供たちも
パン職人をしながら
音楽の修行に励んで
町の楽士になります。
さらに
その子供達の中には
教会のオルガン奏者を
務めるものも出てきます。

ヨハン・セバスティアン・
バッハの父も
町の楽士であり
父の従兄は
聖ゲオルグ教会の
オルガン奏者でした!









水仙 サー・ウィンストン・チャーチル

2024-02-08 07:46:00 | 日記

今頃、五十肩?
左腕が全く上がりません。
右肘と首の痛みで
今日はダウン。

BSで「ウィンストン・チャーチル
/ヒトラーから世界を
救った男」を観ました。





   ✨✨✨✨✨✨

若き日のチャーチル。




この写真は
良く覚えています。



チャーチルは
絵が上手く
パブロ・ピカソは
「チャーチルは画家と
しても充分食べて
いけるだろう」と
言っていたそうです。

約830万ポンド
(12億4000万円)で
落札された
チャーチル作の絵画
「クトゥビーヤ・モスクの塔」



チャーチルが
第2次世界大戦中に
米国のルーズベルト大統領に
贈った絵ですが
複数の人の
手に渡ったあと
米女優
アンジェリーナ・ジョリーの
コレクションに
なっていました。





ぶっつけ本番

2024-02-07 08:52:00 | 日記



1789年の
フランス革命で
多くの教会が
破壊されました。

19世紀のフランスでは
国が資金を提供して
各地で新しい教会が
作られていましたが
それに合わせて
パイプ・オルガンも
制作されることに
なりました。

この時代に活躍したのが
オルガン制作家の
アリスティド・
カヴァイエ・コルでした。

コルは音の強弱が
操れるように
あるいはオルガン1台で
オーケストラの音色が
出せるように
改良したのです。


先日、東京の教会で
弾かせて頂いた
オルガンは真新しい
フランス製のオルガン
でしたが
この機能が無くて
デリケートな音は
出せないのです。




急遽、本番には
リードオルガンを
使う事にしました。






しかしお客様は
パイプオルガンの音色を
楽しみにしておられる
とのこと。
開演2分前に
突然、ソロのリクエスト❗




無茶振りでしたが
オルガンへの階段を
上がりながら
曲目を考え💦💦
お祝いに相応しい曲を
前奏曲として2曲
演奏しましたが
華やかな音は
いくらでも出せる
オルガンなのです。

前日に東京入りし
オルガンの
下見をしておいて
良かった!

合唱団との演奏には
リードオルガンを
使わせて頂きました。
20年振りに
弾きましたが
素晴らしい音色で
音色の増減も
自由自在。
事無きを得ました。




  














弦が切れて!

2024-02-06 10:09:00 | 日記
チェコの国花 菩提樹

交響曲
「新世界より」を作曲した
チェコのボヘミアに
生まれた
アントニン・ドヴォルザーク


音楽家でもあった
ドイツ語の先生が
彼の音楽の才能に
気づきます。

息子を家業の肉屋に
しようとする父親を説得し
プラハのオルガン学校に
進学できるように
取り計らって
くれました。

プラハの管弦楽団に
ヴィオラ奏者として入り
沢山の音楽を
演奏する機会に
恵まれます。

音楽の手ほどきを
受けると同時に
常に音楽の現場に
身を置いていました。

オーストリア政府の
奨学金を得るため
交響曲第3番を
提出しますが
これが
審査員の1人であった
ブラームスの目に留まり
強力な推薦を得て
奨学金を獲得したほか
ブラームスの紹介で
≪スラブ舞曲集≫を
出版しますが
ヨーロッパ中で
大ヒットしたのです。

ブラームスと
ドヴォルザークの
兄弟のような
付き合いは
この時から
始まりました。

すべてのチェロ奏者が
レパートリーにする
通称「ドヴォコン」

伝説の
ジャクリーヌ・
デュ・プレの
演奏です。



デュプレ23歳の映像です。
3楽章の冒頭で弦が切れ
ステージ袖に引っ込み
演奏が中断されました。
指揮はバレンボイム。



余韻の中で…

2024-02-05 09:18:00 | 日記

休日の朝は
少しゆっくり起きて
演奏会の余韻に
浸りながら
ゆったりとした
時間を過ごしました。



ベルギー・ワッフル
トースターで
あたためました。
2枚も頂いて
しまったあとの
写真です。



素敵な薔薇の花の
チョコレート。






   ✨✨✨✨✨


夜のクラシック音楽館は
後半のシベリウスの
交響曲第1番から
楽しみました。

指揮は
ユッカ・ペッカ・サラステ

最後はサラステの
過去の演奏から
①「トゥネラの白鳥」
シベリウス作曲


②「カンツォネッタ」
シベリウス作曲

③「悲しいワルツ」

フィンランド出身の
指揮者ですので
母国語を話すように
自然に音楽が流れて
しかもクール。
お若い頃よりも
現在の方が
断然、素敵でした。


今日はお休みした
レッスンの補講で
夕方から夜まで
びっしり。💦💦



あっと言う間に。

2024-02-04 08:56:00 | 日記

楽屋に荷物をおいて
すぐにリハーサル開始。



リハーサルが
始まると
終演までは
あっと言う間。






あたたかい沢山の
拍手頂いて
無事に終了しました。

以前は
ステーキを頂いたり
しっかり栄養補給して
本番にのぞんで
いましたが
最近は
年のせいでしょうか。
お腹一杯だと
集中できないので
水分を取るくらいに
しています。

打ち上げで
乾杯したあと
帰りの新幹線で
ビールとともに
ゆっくり一人宴会(笑)
となりました。








その後…

2024-02-02 08:26:00 | 日記

学校のコンサートが
無事に終わったと
断崖君のお母さまから
連絡が入りました。

   ✨✨✨✨✨

一日早く
「月光」のソナタを
演奏したお嬢さんは
今までの弾いた中で
一番気持ち良く
弾けたそうです。
終わってしまうのが
残念だと思うくらい
楽しかったと
息をはずませながら
報告してくれました。

そして「こんなダサい曲
弾きたくない」と
むくれていた断崖君。
本番前日のレッスンは
今までにないくらい
綺麗な仕上がりでしたが
本人は気になるようで
何回も弾いては
前奏の音色やペダリング
遠くに消えていくような
パッセージなどを
確認していました。(゚∀゚)

日頃、運動部で
活躍していますが
ピアノが
弾けることを
音楽の先生も
友達にも
内緒にしていたようで
皆は吃驚❗

「完璧だったと
自画自讃です」との
お母さまからの
メッセージに
大笑いして
しまいました。

鼻高々で
やってくるであろう
断崖君の顔を
見るのが
楽しみです。(笑)















冬の旅

2024-02-01 07:57:00 | 日記

能登半島の地震で
大変な幕開けとなった
1月も終わり
今日から2月。
   ✨✨✨✨✨


シューベルト作曲の
「冬の旅」は
最晩年に書かれた
傑作歌曲集です。

シューベルト自身が
死を意識しながら
作ったといわれる曲集で
恋に破れた青年が
生きる望みを失い
あてどもない旅に
出るのですが
全曲は24曲から
なっています。

この歌曲集を
半分まで書いたときに
友人達を自宅に招き
出来上がったばかりの
作品を聴かせたところ
内容があまりに
暗すぎるので
仲間達は当惑したと
言われています。

しかし
シューベルトは
「いや、今に君たちも
きっとこの歌の良さが
わかるようになる」と
言っていたそうです。

シューベルトの
万感の思いが込められた
「冬の旅」は
彼が世を去ったあとに
ようやく
出版されました。


   🥀🥀🥀🥀🥀

ちなみに昨日は
シューベルトの
お誕生日。
ご健存であれば
227歳で
いらっしゃるそうです。
(*^^*)