マオ猫日記
「リヨン気まま倶楽部」編集日記
 



(写真)「赤十字」の各種バリエーション。なお、下段右は参考として掲げた日本国旗で、赤十字関係の標章ではありません。

 「赤十字」といえば、武力紛争下で死傷した者を国際人道法に基づき敵味方を問わず救護する国際機関「赤十字国際委員会」(ICRC、Comité international de la Croix-Rouge)のエンブレム(標章)として有名ですが、この度、5日からスイス・ジュネーブではじまるスイス政府主催の国際会議において、国際人道法に関するジュネーブ四条約の第三議定書の締結交渉の一環として、新たに菱形の「赤結晶」(赤水晶、赤菱形、Red Crystal)なる新しいエンブレム(写真上段右)の導入が議論されはじめることになりました(結果、8日未明に採用が可決・承認されました)。

 元々、国際赤十字運動International Red Cross Movement)は、よく知られているように、1859年のイタリア統一戦争で戦場に放置された傷病兵を見た(当時は、一観光客に過ぎなかった)スイス人アンリ・デュナン(Henry Dunantが、戦場において敵味方の区別なく傷病者を救護すべきことを提唱し、1864年にジュネーブで調印された赤十字条約(1864年8月22日のジュネーブ条約)によって正式にはじまったものです。このとき、この運動を示す国際的な標章として、デュナンの出身国スイス連邦の国旗「白十字旗」を反転された「赤十字」(写真上段左)が併せて制定され、国際人道法は赤十字旗だけでなくスイス国旗にも特別な保護を与えることとなりました。また、スイスが永世中立国であることに鑑み、「赤十字国際委員会」もスイスのジュネーブに設立され、15人以上25人以内の委員は全員スイス人から選ばれることとなりました。
 しかしその後、「赤十字」に描かれた十字をキリスト教の象徴として嫌うイスラム教国(トルコ、エジプト)の主張(「赤新月」の初の使用は、1876年~78年の露土戦争におけるオスマン・トルコ軍:そういえば、「赤新月」旗は赤白を反転させるとトルコ国旗に似ています)もあり、第一次世界大戦の教訓を盛り込んだ1929年の改正ジュネーブ条約から「赤新月」(Red Crescent, Croissant-Rouge)(写真上段中央)が導入され、「赤十字」と同等の法的効力を認められるようになりました。ちなみに、「赤新月」には、同じエンブレムでも月の方向によって2種類(三日月と二十七日の月)のマークがありますが、これは各国赤新月社が随意に定めてよいそうです。
 そのため、各国の赤十字社・赤新月社(以後、一括して「国別赤十字等団体」と呼ぶことにします)で作る国際団体である「国際赤十字赤新月連盟」(IFRC)は、両方の標章を描いた旗(写真中段左)を使用しているわけですが、各国の国別赤十字等団体は条約上、国際保護標章として「赤十字」か「赤新月」のどちらか一方のみを選ばなくてはいけないため、時代の変遷とともにやこしい事態が生じてきました。例えば・・・

「赤獅子太陽」(Red Lion and Sun
 「赤獅子太陽」(日本の法令用語では「赤のライオン及び太陽」)(写真中段右)は、「赤十字」も「赤新月」も好まない王政時代のイラン(ペルシャ)が採用を主張したもので、1929年の改正ジュネーブ条約第19条により、トルコ、エジプトの「赤新月」とともに国際的に公認された標章(国際保護標章)となりました。そのため、日本の法律=昭和22年法律第159号、いわゆる赤十字の標章及び名称等の使用の制限に関する法律第1条でも、「赤十字」「赤新月」と並んで正式に保護されています。しかしながら、この1929年の条約改正以降、ICRCは原則として新たな国際保護標章の新設を認めない態度をとり、その為後に述べる「赤ダビデ星」や「赤迫持」「赤星」「赤卍字」といった各国の新提案は軒並み拒否されています。
 もっとも、1980年9月4日には、イスラム革命を主導したイラン政府自身の手でこの標章の使用を廃止しており(「イラン赤新月社」を設置。但し、再使用の可能性は留保している)、その為、現在有効な国際保護標章は「赤十字」と「赤新月」のみとなっています。

「赤ダビデ星」(Magen David Adom、MDA)
 同じく「赤十字」も「赤新月」も好まないイスラエルが使用を主張したもの(写真下段左)で、1951年6月6日のイスラエルによるジュネーブ四条約批准の際にも国際法上の留保を付してその正当性を主張しています。「赤ダビデ星社」(赤ダビデ盾社、赤盾ダビデ社、ダビデ赤星社あるいは赤星ダビデ社、マーゲン・ダビド・アドム)自体は1930年に設立されて以来、世界17ヶ国で国際人道活動を展開しているイスラエルのNGOですが、イスラエル国内では国別赤十字等団体としての位置づけがなされているものの「赤ダビデ星」それ自体は国際保護標章としては公認されていません(日本の法律=昭和22年法律第159号でも保護されていない)。従って、「赤ダビデ星社」はIFRCには正式加盟できず、オブザーバー参加となっています(ちなみに、オブザーバー参加となっているその他の国別赤十字等団体としては、2005年12月現在ではツバル赤十字社、パレスチナ赤新月社、エリトリア赤十字社があります)。

「赤迫持(せりもち)」(Red Archway)
 1935年にアフガニスタン王国がICRCに承認を求めた国別赤十字等団体(各国の団体は、ICRCに承認されない限りIFRCに加盟できない)は「赤迫持社」(Red Archway Society, Mehrab-e-Ahmarと名づけられており、その標章としては白地に赤いモスクが描かれ(写真なし)、デザインとしては「赤モスク」とでも言うべきものでした。この「赤迫持社」(迫持=アーチ)という名前は、アラビア語の「ミフラーブ(mehrab、mihrab)」、即ちモスク内の導師の背後にある窪み(メッカのある方角を指し示す)のことを指しています。
 しかし、前述したとおり、1929年の会議以降、赤十字条約加盟国としてはできるだけ新標章の創設を抑え、むしろ「赤十字」単一標章に回帰しようという雰囲気があったため、この「赤迫持」案は正式には認められませんでした。その後、アフガニスタンの「赤迫持社」がどうなったのかはわかりませんが、現在ではICRCの承認する国別赤十字等団体「アフガニスタン赤新月社」が設立されています。

「赤卍字」(Red Swastika)、「赤星」(Red Star
 「赤卍字」は1957年にスリランカが、1977年にインドがそれぞれ提案したもので、仏教的シンボルとして「卍(卍字)」を用いたのが特徴です(写真なし)。また、アフリカ南部のジンバブエ(旧南ローデシア)も1980年の独立直後、自国の国別赤十字等団体「ジンバブエ赤星社」をICRCに承認するよう求めました(写真なし)。しかし、これらはいずれも「新たな国際保護標章の創設を認めない、非公認標章を使用する団体はIFRC正式加盟を承認しない」とするICRCの方針により、いずれも拒絶されました。
 なお、「赤卍字社」に類似した組織として「紅卍字会(こうまんじかい)」という団体がありますが、これは1922年に中国で設立された新興宗教「道院」の付属機関で、赤十字にならい、慈善団体として戦前の中国本土や日本(東京、神戸等)で活動していましたが、戦後中国本土が共産化すると活動が禁止され、現在では主として香港、台湾、シンガポール、カナダ、米国等で慈善事業を行ったり学校を経営したりしています。無論、「紅卍字会」はICRCに連なる国別赤十字等団体ではなく、現在中国(中華人民共和国)からは「中国紅十字会」が正式加盟しています。

「赤十字赤新月並存章」(Double emblem
 これは逆に「赤十字」も「赤新月」も両方とも採用したいというもので、1924年にロシア赤十字社が旧ソ連の発足に伴って「ソビエト社会主義共和国連邦赤十字赤新月連合」に改組された際採用されました(写真中段中央)。連合に加盟する各ソ連構成国の国別赤十字等団体が「赤十字社」と「赤新月社」に分かれたためこのようなエンブレムになったそうで、考え方としてはIFRCの旗(写真中段左)に似ていますが、新月のむきが異なります。とはいえ、国際人道法上、「赤新月」は「赤十字」に代わって用いられるべきもので、両者を並存させた標章は(IFRCのものを除いて)本来無効なので、実際の運用においては旧ソ連軍は「赤十字」を国際保護標章として用いていました。
 旧ソ連の解体に伴って「ソ連赤十字赤新月連合」も解消され、CIS各国の国別赤十字等団体は「赤十字」又は「赤新月」のどちらかを選ぶこととなりましたが、中央アジアのカザフスタンだけが1993年3月31日、この旧連合が定めた「並存章」を自国の国際保護標章とする旨(国際法上の)留保を付してジュネーブ四条約に加入(議会が条約加入を承認する政令を公布)したため、ICRCは「カザフスタン赤十字赤新月社」の承認を拒否。結局、2001年12月20日に同社が「カザフスタン赤新月社」に改組し、「並存章」を廃止したため、2003年11月20日に国別赤十字等団体としての承認が認められました。
 ところが、今度はアフリカの新興国エリトリア(エチオピアから分離独立)の国別赤十字等団体がこの「並存章」の使用を主張。2000年8月14日にエリトリア政府は何らの条約上の留保を付さないままジュネーブ四条約に加入したため、現在「エリトリア赤十字社」はIFRCへの正式加盟が認められていません(オブザーバー参加のみ)。

博愛社
 これは佐野常民、大給恒(いずれも元老院議官)によって1877年5月1日に設立された我が国の慈善団体で、佐野らが欧州で見聞した赤十字運動に習い敵味方の区別なく救護活動を行おうとするものでした。元来は西南戦争に伴う傷病者に対応するために設立された経緯がありますが、戦争終結後も常設の組織として存続し、独自の標章(旗)を使用していました(写真下段中央)。
 1886年6月5日、日本が正式にジュネーブ条約に加入した結果、博愛社は翌87年5月20日、国別赤十字等団体「日本赤十字社」に改組され、同年9月2日にはICRCの承認を得たため、日本でも「赤十字」が国際保護標章として用いられるようになりました。ちなみに、現在の日本赤十字社は、1952年8月14日に法律第305号を以って厚生省所管の特殊法人に移行しています。

(その2に続く)



コメント ( 13 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
はじめまして (新月)
2005-12-07 00:38:00
はじめまして。TBありがとうございました。



最初に「第三のシンボル」と聞いたとき、単純にいいことだと思ってしまったのですが、奥が深い問題なんですね。

各国のプライドに押されて、人々にとって分かりにくくなってしまった・・とならないようにしてもらいたいです。





すごく勉強になりました。こちらからもTBさせていただきます。
 
 
 
ナンバー1 (のびぃ太)
2005-12-07 12:43:07
太陽が対象になっていたとは知りませんでした。

また、お伺いします。
 
 
 
新月さん、のびぃ太さん (菊地 健(マオ猫日記))
2005-12-07 18:13:40
 コメント投稿、ありがとうございました。



 私も今回色々と調べて初めて知ったことが多く、自分自身としても勉強になりました。

 

 これからも宜しくお願い致します。

 それでは。
 
 
 
詳しい! (news watcher)
2005-12-08 00:32:54
TBありがとうございました。勉強になりました。勝手ながらこのブログアドレスにリンクを、はらせていただきます。
 
 
 
TBありがとうございました。 (jaja)
2005-12-08 09:13:56
自身は「何をしているか」という所に意識が向いていて、

「記章がどうだろうと良いのでは?」と思ってしまいますが、

記章一つでも大切に考える人たちがいることは事実。

ですが、それでもやはり「新規で」と決まったのなら、

歴史がどうだろうと新しい気持ちで臨んでほしいと思います。

繰り返すだけになってしまうので。

たいへん勉強になりました。ありがとうございました。
 
 
 
news watcherさん、jajaさん (菊地 健(マオ猫日記))
2005-12-08 14:38:58
 コメント投稿、ありがとうございました。



 最新報道によれば、「赤結晶」の導入を議論していたジュネーブの外交会議で、昨日(仏時間12月7日)、導入が正式に可決されたようです。これで、イスラエルのMDA社も正式加盟が認められることになりそうです。



 それでは。
 
 
 
TBありがとうございます (choki)
2005-12-08 16:21:40
勝手ながらこちらからもTBさせて頂きました。

それにしても詳細まで書かれており、すばらしい。



マークの多様化については、赤十字マークには「保護と表示」という意味がありますが、あまりにもたくさんのマークが誕生すると、紛争地、災害地での救護に当たるとき、混乱しないのかな?と思ったことがあります。



マークが誕生するのは宗教上の理由。仕方ないのかもしれませんが…



さて、平和な日本では、平気で赤十字マークが使われていますね。これは、本当はいけないこと。

病院、薬局は勿論、コスプレの衣装にまで。日本には紛争がないからマークの重要性が薄まっているのでしょうね…
 
 
 
chokiさん (菊地 健(マオ猫日記))
2005-12-09 19:55:22
 コメント投稿&TB、ありがとうございました。



>さて、平和な日本では、平気で赤十字マークが使われていますね。これは、本当はいけないこと。



 そうですね。これは日本赤十字社のHPにもありましたが、現代の日本では「赤十字」が「医師・医薬品」といった意味になっていて、本来の国際人道法上の概念とは異なる社会通念が出来てしまっています。

 ちなみに、昭和22年法律第159号第4条には「六月以下の懲役又は三十万円以下の罰金」という罰則もあるのですが・・・。



 それでは。

 
 
 
 
初めまして (川の果て)
2005-12-09 23:56:46
TBありがとうございました。

なるほど、色々あるんですね。

丸は日本国旗に近いですし、ないのかなと思いましたが、一応あるんですね。

随分と勉強になりました。むしろこちらからTBしたいくらいです。
 
 
 
川の果てさん (菊地 健(マオ猫日記))
2005-12-10 16:31:00
 コメントありがとうございました。

 

 個人的には、イスラム教諸国も含めて全員が「赤十字」に統一する(赤新月は廃止)のがベストだと思っています。こういう問題に色々と政治的思惑を絡ませるのはそもそも赤十字7原則に反しますし、本質的な議論からは外れるきらいがあるからです。

 今回の「赤結晶」に反対したシリアにしても、恐らくはイスラエル赤ダビデ星社の加盟を阻止したいといった程度の動機なのであって、「それならば、そもそもこうしたマークに宗教的意義を見出すのを止めて「赤新月」も廃止しよう」という案には恐らく反対するのでしょう・・・。



 それでは。

 
 
 
TBいただきまして (えぼり)
2005-12-11 01:44:36
ありがとうございました。

実際に途上国(部族紛争たまにアリ)での医療支援に従事したものとしては「何グダグダ言うてんねん!本来の目的は何やったか思い出してみぃや!」と言いたくなる話なんですが・・・。
 
 
 
勉強になりました (れふと)
2005-12-11 11:06:41
トラバありがとうございます

ここまで奥深いとは思いませんでした。



アンリがスイス人でなければ、こんなことにはならなかったんですが・・・。



私は「赤十字」に統一することが良いとは思いません。
 
 
 
えぼりさん、れふとさん (菊地 健(マオ猫日記))
2005-12-13 15:59:37
 コメントありがとうございました。



>実際に途上国(部族紛争たまにアリ)での医療支援に従事したものとしては「何グダグダ言うてんねん!本来の目的は何やったか思い出してみぃや!」と言いたくなる話なんですが・・・。



 やはり、現場の方もそうお思いなんですね。

 それにしても、医療支援に従事されたことがあるなんて、すごい!



>アンリがスイス人でなければ、こんなことにはならなかったんですが・・・。



 アンリが日本人だったら、あるいは日の丸を逆さまにしたマークになったかもしれませんね。



>私は「赤十字」に統一することが良いとは思いません。



 現実的に可能かどうかは別としても、私はやはり「赤十字」への統一がベストだと思います。そもそも「赤新月」を認めた時点でこの標章に宗教的性格を付与してしまったのがこの問題のはじまりですし、「赤新月」を認める以上、逆にイスラエルの「赤ダビデ星」を拒否する理由も弱くなってしまうからです。更に、現実問題として、例えばある国の「赤十字」組織が「赤新月」を採用している国に救援のため出動したとして、2種類のマークを使っていれば同一運動に属する組織とは判りにくいですし、逆に「赤十字」側がマークを全て「赤新月」に塗り替えなければならないとすればそれはそれで余計な負担をかけるだけではないでしょうか。



 それでは。
 
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