伊藤とし子のひとりごと

佐倉市議会議員4期目
議会、市民ネットワーク千葉県、さくら・市民ネットワークの活動あれこれ、お知らせします

「宮城県視察 震災ガレキの現状」 女川町

2012-05-20 11:57:30 | ガレキ広域処理問題
5月15日は女川町震災ガレキ仮処分場を視察。


現地コーディネーター マサさんと。
前日の石巻市からずっと車中で震災直後からの現地の状況を聞くことができた。
マサさんとは、ここでお別れ。

女川町中間処理場(日本水産があった場所)で、東京都、宮城県、女川町の担当者から説明を受けた。

女川町は人口1万人中827人が死亡。
住居の8割に当たる3270棟が半壊以上の被害を受けた。
平均1mの地盤沈下している。



フレコンを堤防代わりに置いている。

震災ガレキ置場位置図。
黄色が女川町ガレキ中間処理場(今回説明を受けた所)、赤色部分にガレキが集められている。



震災ガレキは44万4千トン。
現在、民有地である清水仮置場、伊勢仮置場に搬入されている。
今まで住宅のあった低地には住居を置かないようにして、これから山を削って高台を住宅地にする土地利用計画が説明された。
産業がなければ人が戻ってこれないから、そのためにも来年度中にはガレキ処理を終わらせ、中間処分場もすべて撤去し、土地を所有者へ返還する予定、という事だった。



ガレキが片付かなければ、町の再生計画に手を付けられないという説明だった。
道の両側を占めているガレキ量を見れば、そんな気がしてくるが、ガレキがすべて片付かなければ復興計画に着手できないのだろうか。
現在ガレキ置き場になっている民有地は多目的エリアにするとのこと。

説明に入る前に時間があったので、女川町を襲った津波の映像が上映されたが、あまりの被害の深刻さに、言葉を失う。
海沿いにあったマリンパル女川の屋上からビデオを撮っているが、高台に見えるのは女川町立病院。

よみうりONLINE「宮城県女川町を襲う大津波」 

女川町は海岸と山の間の狭あいな土地に広がった町だったため、大津波の第一波でほとんどの建物は壊滅した。

中間処理施設では、2本の選別ラインで手選別作業が行われていた。(1レーン20人)







木片の放射線測定を1時間毎に行う。


放射能対策のため、きれいに手選別され破砕処理した木片チップと廃プラ・その他可燃物を8:2にブレンド、鉛で覆われた特製コンテナに積み込みJRを利用してそのまま東京都の焼却施設へ。



8:2がきちんとされるか、都側が監視員2人体制でチェック。
それにしてもきれいな木質チップ。

女川町での中間処理の費用は1億5千万円。(平成25年度終了予定で)

東京都の運搬費はトン当たり2万円弱。
23区内での処理費用は1トン当たり14,500円で計3万5千円。
多摩地区の処理費用1トン当たり25,000円で計4万5千円。

女川町のガレキ44万トン中10万トンが東京都へ。
と言っても、ガレキ総量からコンクリートガラや再利用できる木材などを除くと約10万6千トン。
ほとんど東京都へ行くのだろうか。
きれいな物しか東京都へ送り出せないので、漁網やロープ、可燃物で配合率からはみ出したものが石巻市雲雀野の県焼却場へ運ばれる。

すべて処理費用は最終的に国からでる。

次の視察先、仙台市への道中、タクシーの運転手さんの話によると、
16メートルの高台にあった女川町立病院の一階の1.9mの高さまで海水につかっってしまい、駐車場で車に避難していた人たちまで犠牲になったという。
運転手さんも女川町立病院にちょうどいたため、車に乗って山に逃げたという事だった。



女川町立病院駐車場からの女川町。
3階建ての建物が基礎部分からころがっている。
水没したうえ、何度も襲ってきた津波と引き波で頑丈な鉄筋の建物がこの状態。



女川町立病院入口の柱1.9mの所に印が。大野さんの頭上はるか上。
津波は病院へ続く道を上ってきて、気がついた時には後ろに迫っていたそうだ。

また、海岸から延びた道をたどって何キロも先まで津波は駆け上がっている。
道の両側にはガレキ一つ残っていないが、石積みの敷地だけが整然と残っていた。

ガレキ仮置場の入り口



ガレキが積み上げられた道をたどっていくと、ナント!!

女川原発資料センター



その隣は女川原発オフサイトセンター



津波の通り道だったことがわかる。
女川原発は危機一髪、電源がかろうじて1機残ったため、福島原発事故同様になることを免れたとか。
オフサイトセンタ―がこのありさまでは、危機管理は難しかった。


仮置場以外はガレキは撤去されているように見える。






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