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韓国系初のF3選手チェ・ミョンキル

「スポンサーがいれば3年後にF1ドライバーになる自信がある」
F1参加競争していた小林がトヨタのフルサポートで夢を成して、F1の下のGP2でテストにパス、国内レーシングチームで飛躍を模索中
チェ・ミョンギル
フォーミュラワン(F1)の前段階のテストまで通過したドライバーのチェ・ミョンギルは、「すぐにスポンサーを探して3年後にF1で走ってみたい」と話した。写真は、国内のGTレースのツーリングカーの前でポーズを取っている様子。インディゴレーシング提供


自動車レースの最高峰フォーミュラワン(F1)ワールドチャンピオンシップに出場するドライバーは、全世界で24人だけだ。このうち、アジアのドライバはわずか2人(日本、インド)。今季全19グランプリのうち、7つのグランプリはアジアで開かれるという点を考慮すると、法外に足りないものだ。昨年からF1に参入した韓国でも、F1ドライバーは皆無の状態である。

韓国は2016年まで毎年一回ずつF1グランプリを開く計画だが、この期間内の韓国人F1ドライバー排出が現実的な目標だ。その目標の中心には、チェ・ミョンギル(26・インディゴレーシング)がいる。

チェ・ミョンギルは、生後6ヶ月でオランダに入養され、リカルド・ブルインス・チェという名前を付けてレースに飛び込んだ。11歳のときにカート大会で優勝して才能を確認し、彼は2007年のF3大会で2度優勝し、シーズン4位に上がって確かな道を走った。韓国人や韓国系のドライバーでF3の優勝カップを抱くのはチェ・ミョンギルが初めて。F3、GP2、次の手順が待望のF1である。チェ・ミョンギルは、GP2のテストにも合格した。夢が現実に来るようだった。

しかし、チェ・ミョンギルはGP2を断念し、2009年に韓国に渡り、これまで国内にとどまっている。チェ・ミョンギルは24日、「スポンサーを得ることができなかった。GP2はF3と比較して4、5倍も多くのお金がかかる。1年プレーするために50億ウォンが必要だ」とした。次善の策でF3とGP2の中間段階である『アジアフォーミュラルノーV6』でチャンスを伺ったが大会が廃止され行き場を失った。チェ・ミョンギルは、昨年マレーシアで行われたF1韓国人ドライバーの選抜戦で1位になった。しかし、選考会を開いたKAVOがコリアグランプリの運営に手を焼き、予定された育成プログラムも有耶無耶になった。

チェ・ミョンギルは現在、国内のインディゴレーシングチーム所属で、ジェネシスクーペを運転する。改造量産車で雌雄を争うGTレースは、フォーミュラレースとは距離が遠いのが事実。「従業員として給料受けながらのレースもして、自動車の開発とチーム運営にも関与する」というチェ・ミョンギルは、「GTレース自体も楽しいが、最終的な目標ではない」と言い切った。「早くスポンサーを見つけてGP2から走らなければね。F1とGP2には差が大きくないんですよ。3年後にはF1ドライバーになるでしょう。」

日本が誇るF1ドライバーの小林可夢偉(25・ザウバー)は、昨シーズン12位に上がり、アジアのプライドを立てた。F3時代に小林と競争しながら一緒にF1を夢見たチェ・ミョンギルは、「小林はトヨタの全面的な支援を受けた」と羨望した。小林は昨年のF1コリアグランプリに出場し、「韓国の大企業が自国のドライバーの育成に取り組まなければならない」と指摘した。

チェ・ミョンギルは、今シーズンコリアグランプリの広報大使の資格で来月、マレーシアグランプリを見る。韓国大会の広報任務を抱いて行く『出張』だが、F1界に自分を知らせるよい機会でもある。


チェ・ミョンギルは、
●生年月日 1985年12月3日
●出生地 ソウル(オランダ養子縁組)
●レース入門 7歳の時の1992年カートレース
●フォーミュラレースデビュー 19歳の時の2004年
●F3デビュー 2006年(トップ3に2回入る)
●F3の成績 2007年優勝2回
トップ3に6回のエントリでシーズン4位
2007年のアルフレッドアベネストロフィー(有望なオランダのドライバー賞)を受賞
●オランダ語、英語、仏語、ドイツ語、韓国語可能


ソース:hankooki.com
2011/03/24 12:10:47
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