Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

22年初秋の北東北 1 三内丸山遺跡

2022-09-23 15:53:55 | 国内旅行

厳冬の1月以来の大人の休日俱楽部パスの旅、また北東北に足を延ばしてきた。
今回はネット予約限定のパス、年寄りもネットに親しめるようにとのJR東日本のありがたい配慮か?(笑)

9月10日

東京駅から7時30分発のはやぶさで出発。
朝早いのに大宮を過ぎると車内はほぼ満席。久しぶりの土曜出発、旅行客もだいぶ戻って来たようだ。

 
大船軒のサンドウヰッチを食べて、3時間20分で新青森に到着。

ねぶたでいっぱいの駅構内。
 
新幹線のねぶたがかわいい。

天気のいい駅前で待つこと30分。
 
JRの観光バスがやってきた。本日の乗客は20人。
今日は一日ガイドさん付きのこのバスで青森県内を回るのだ。

新青森駅を出てわずか10分で最初の目的地、三内丸山遺跡に到着。ここでの自由時間は70分。
  
 
そこで急いできれいな通路を通り、トンネルを抜けて外へ出る。


目の前には広々とした公園が広がり

左手に復元した縄文時代の村が見える。敷地自体はかなり広いが建物の数は多くなく、吉野ヶ里に比べるとだいぶ地味だ。

ピーカン晴れの中を歩いて、まずは一番目立つ大きな櫓とその下の建物へ。
 
いずれも柱の跡の大きさ、間隔から割り出したものだそうだが、紀元前2800~2600年前のものとのこと。
吉野ヶ里の時代より2000年以上古いと考えるとさすがにすごい。

 
このすぐ脇には銀色のドームがあって、この中にも大きな柱の跡がある。
内部は温度と湿度を保つために空調が効いているので、暑い中を歩いてくるとホッとする。

 
高床式の建物に
 
竪穴住居。屋根の上に草が生えているさまは最先端のエコ住宅みたい。
こうした住居跡は550棟以上も見つかっているそうだが
  一部は小学校の体験授業にも使われている様子。

園内ではボランティアガイドさんの説明もあって、時間があればこれを聞きながら回りたかった。
が限られた時間なので入り口の大きな建物に戻り、常設展示室を見学。

 
するとここが小さなミュージアムながら予想以上の充実度で
 縄文時代の暮らしを紹介。
 
土器は一番古い時代から新しい時代まで1700年もの年代差があるので、形や技術の進化がわかる。

しかしここで一番面白いのはたくさん出土している土偶。
  
  
八戸の是川遺跡より1000年から2000年も古いものなのでずっと素朴だけれど、これはこれで味わい深い。

 
この建物の奥には土器の復元などをする作業室があり、地下にはすごい数の土器の並ぶ収蔵庫。
  
土器のかけらが並ぶ壁などもあって、ジグソーパズル好きとしてはこの復元作業というもの、一度やってみたいと思う。

吉野ヶ里よりしょぼいなんて思ってすいません、縄文時代はやっぱり弥生時代よりおもしろいし、こちらの施設も大したもの、と感心して見学エリアを出ると
 ショップの土偶クリップにも心惹かれつつ
 
満席のレストランから栗ソフトの小さいパフェをテイクアウトしてお昼代わり。

これで70分はタイムアップ。「ちゃんと見るには2時間は必要な遺跡です。せわしなくてすみません」というバスガイドさんのお詫びを聞きながら次の見学地へ向かう。


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壱岐・対馬の旅 4 さらに壱岐観光

2020-11-03 12:33:43 | 国内旅行

10月20日 続き

辰の島クルーズを終えて港に戻ると、おいしそうなイカが竿に干されている。
 
本日のお昼はこのイカの製造元の食堂で。
と言ってもいただいたのはイカではなく、壱岐特産のウニ。
 ツアーに含まれているのはウニ50g、3300円のうに丼。+700円で20g増量というのであとから追加したら別盛になった。
しかし予想に反してウニは形をとどめず、期待した赤ウニは今年は全く取れなかったのでこれは紫ウニとのこと。味も甘みより苦味があって、期待していただけにかなりがっかり。またまた登場したおまけの島豆腐の方がおいしかったかも。

昼食を終えたら観光再開。

まずやってきたのは鬼の窟古墳。
 壱岐は小さな島なのに古墳が280もあり、ここも6,7世紀ごろの物とか。
 
石室の中まで入れるようになっていて、大きな石組は奈良の石舞台のようだ。

このすぐ近くにあるのは月讀神社。
 
山を背に木に囲まれた小さな神社は拝殿は新しいがいかにもパワースポットらしく、ここから5世紀に京都の松尾大社へご祭神の月讀命が分霊されて神道が日本に広まったとされているのだそうな。
 厄払いの「茅の輪」くぐりなるものがあったのでありがたくくぐらせていただいた。

次に立ち寄ったのは壱岐焼酎の酒蔵。
 
壱岐は麦焼酎の発祥の地だそうで、
 
案内された蔵には甕と樽があるが、それぞれ香りが違うとか。樽はスペインからシェリー酒の古樽を輸入しているとのこと。
 見学の後はもちろん試飲とお買い物だが、飲めないので柚子の香りのサイダーをいただいた。

車に乗り込んでしばらく行くと丘の上に管制塔のようなものが見える。飛行場かと思ったら
 これが一支(いき)国博物館。
変わった形の大きな建物は黒川紀章の最後の設計物だそうで、これが市立博物館とは驚いた。
 
エントランスから階段を上がるとまずはビデオを見せるシアターになっていて、
 ビデオが終わると窓のブラインドが開いて大きな地図と周りの景色が見えるという見事な演出。

出土品の展示はかなり地味だが
 こんな船で海を渡ったのか、という古代の船の模型があり、しかし一番面白いのはこのすぐ近くにある弥生時代の原の辻遺跡のジオラマで
  
  
 
小さな人形の一体一体が表情豊か。これがなんと実際の壱岐市民をモデルに作られたとか。
 「草むらでトイレしてる人までいます」と教えてくれたのは監視員のお姉さん。
博物館のジオラマはよくあるが、これほど面白いのは初めてだ。

最後は管制塔のような展望台に上がると

不思議な形の屋上に芝が植えられているのがわかり
 ジオラマの現地も良く見える。

スタッフさんたちに最敬礼で見送られて博物館を出たらその原の辻遺跡へ。
 
ここが弥生時代、紀元前2世紀から600年も続いたという一支国の王都で、いくつかの建物が復元されているが
 
吉野ヶ里遺跡をうんと小さく地味にしたような感じ。
近くには海から通じる川があり、周りは今も田んぼが広がって、小さな島とは言えここが豊かな土地であったことはよくわかる。

この後は筒城浜で時間調整をして

本日最後の観光地へ。

小島神社は「壱岐のモンサンミッシェル」だそうだが
 
そう呼ばれるのは神社のある小島へ干潮の時だけ道ができて足を濡らさずに渡れるから。
時間調整をしたのも干潮時間を待っていたため。

島は反時計回りに歩くのが決まりだそうで、ほぼ半周すると小さな鳥居に続く階段が表れる。
 
ごく質素な神社だが、この島全体が神域なのでこの島からは何も持ち出してはいけないのだとか。
 
岩だらけの島を一周して戻ると、途中の砂の上には取り残されたクラゲがあちこちに。

この島はパワースポットとして売り出し中、途中の歩道にはハート形の石まで埋め込んで若いお嬢さんたちにアピールしているが、ここをモンサンミッシェルと呼ぶのはいかがなものか。


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九州家族旅行 3 吉野ヶ里~鹿児島

2015-03-15 20:04:04 | 国内旅行
2月14日

呼子でイカを食べ、有田で焼き物を見て武雄で温泉に入って、あと佐賀県で有名なものは、ということで吉野ヶ里遺跡へ。

広くて疲れそうだとはじめは難色を示していた父親も、車いすが借りられるらしいと言うと行くことに同意したのは興味がなくはなかったのだろう。

朝ほぼ一番で行ってみると、広大な駐車場に車はちらほら。
冬場の平日午前ではそんなものかもしれないが、入口の建物はものすごく立派。
 
420円の入場料を払うと同時に車いすを借り、建物の前に伸びる橋を渡ると
 
周りを柵に囲まれた門があって、ここから先が集落の跡。

と言ってもこの遺跡公園はとても広い。
どこから攻めたものかと考えているとすぐに門のそばにいたお兄さんが声をかけてくれて、まずは園内バスで北墳丘墓まで行き、そこから歩いて戻ってくることを薦めてくれる。

 そこで車いすごとこのバスに乗せてもらって
 やってきたこれが北墳丘墓。
名前の通り、弥生時代の王や貴族が埋葬された墳丘で
 
内部は墓の跡が見えるようになっている。
 埋葬の仕方ももちろん詳しく解説されていて、甕棺はなんだか宇宙ポッドのようだ。

この墳丘を下りて次にあるのは北内郭。
 
まつりごとの中心だったエリアと考えられていて、中央には大きな祭殿が復元され
 
中には王を中心に貴族が集まった場面や、巫女が神事を行っている場面が再現されている。
これはもちろん出土品から推察しての再現なのだろうが、やっぱり邪馬台国はここだ、と主張しているように見えちゃう。
 
神官とその従者の家もあるこの内郭には真新しい門ができていて、「これ、まだ作ったばかりなんです」と係りの人がやけにうれしそうに説明してくれるのがおもしろい。

さらにこの先にある南内郭は王や高い身分の人たちの住居があったエリア。
 
中央の広場の周りにいくつもの小屋が再現されているが
 
やっぱり興味があるのはどんなものを食べていたか。
ここは弥生時代の遺跡なのでもちろん稲作も始まっていただろうが、魚や貝などなかなか充実した食生活っぽい。

 
見張り台からは西の倉と市、さらに南の庶民のムラも見えるが、国営公園部分だけでも49ha、隣の県立公園まで含めると85haのこの遺跡は広すぎる。
しかし園内には大勢の職員がいてきれいに整備し、説明などもとても丁寧にしてくれるのはさすがお国の特別史跡。
これで420円の入場料は安すぎるくらいだ。

とどピーカンの気持ちの良い日差しを浴びながら出発点まで戻って、遺跡見学は無事終了。
入口の立派な建物内で解説ビデオなども見せてもらい、最後に売店を覗いてみると
 広い売り場に商品がいっぱい。
しかし残念ながら売られているのは九州各地の土産物ばかりで、「吉野ヶ里グッズ」はおもしろいものがない。
 一応ひみかちゃんとやよいちゃんというキャラクターもいるのだが、その使い方もいまいち。
こういうところもお国の仕事だろうか。

予想以上に楽しめた吉野ヶ里の後は九州新幹線の新鳥栖駅へ。
 
ここでレンタカーを返却し、列車を待つ間にお昼を食べようと思ったのだが、この巨大で立派な駅構内はがらんとして、コンビニが一つに立ち食いのうどん屋しかない。

仕方がないので大忙しのうどん屋さんで売っている駅弁を何とかゲット。
 
鳥栖名物の焼麦弁当はボリュームがあっていいけれど、駅の待合室で食べると列車内で食べる時ほどおいしく感じないのはなぜだろう。

 そうこうしているうちに鹿児島行きの「さくら」がやって来た。
正面や外観はすっきりしているけれど割とふつう、秋田新幹線の「こまち」の方がかっこいいかも、なんて思いながら乗り込むと
 
まずはデッキ部分が漆のような黒でびっくり、客車内の壁の方は金色でこれにも驚いたが
 
座席の背やひじ置き、テーブルが木製、薄型でかっこいい座面がレザーとは、普通自由席なのにこの贅沢感はなにごと。
座り心地もいいし、さすがJR九州はすごい。

と喜んでいたら外の景色を眺める暇もなく、わずか1時間20分で鹿児島中央駅に着いてしまった。
 

 
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