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だまされて。神の手

2009-07-04 23:38:41 | Art
照ったり降ったりしながら、あっという間に7月。もう少しゆっくり回らないかな、地球。


ひたすら蒸した一週間。先週末から母が所用で泊まりに来ていたので、
ベランダのオリーブを伐ってわさわさ投げ入れた花瓶に、ウエルカムヒマワリ。
母は相変わらず若々しい。が、随分と早起きなので 私もつられて早起き& 少々時差ぼけな日々。。


月曜は、夏休みのこどもみたいなゆるい格好で 母と散歩がてらてくてくBunkamuraへ。
ザ・ミュージアムで開催中の[奇想の王国 だまし絵展]を観てきた。
「だまし絵」という夏休みのお子様も視野に入れたテーマなせいか、月曜の昼間でも案外混んでいた。
土日は相当の混雑になるらしい。いかに「だまされたい」人が多いのか。
あるいはトリッキーなCGに食傷気味の昨今ゆえ、「だまし絵」のアナログ感がかえって恋しいのか。

「だまし絵」「トロンプルイユ(目だまし)」とは、遠近法の誕生を機に確立したといわれているが
二次元にニセの奥行きを与える遠近法だって、ある種の「だまし絵」といえるし、
もっと遡ると、ポンペイ遺跡に見られる書割みたいな柱や庭園の壁画だって立派な「だまし絵」だ。
さらに巧妙な複製や画像処理が可能な今は、ニセモノとオリジナルの境界すら危うく、
そんな二項対立も成り立たないほど複雑怪奇だったりするわけで、
究極のだまし絵は、赤瀬川源平じゃないけど、偽札なのかもしれない。。

悪い癖です。話が少しそれました。。
今回の「だまし絵展」は、観る者を無邪気に「だまそう」とする古典的作品から、
観る者の「思い込み」をかく乱する現代アートまでとても分かりやすくまとめられていた。


目玉は、初来日となるアルチンボルド晩年(1590年)の傑作[ウェルトゥムヌス(ルドルフ2世)]。
アルチンボルドの作品の中でもとりわけ完成度が高く、グロテスクの極みにして非常に美しい。
鼻は洋梨、眼球はマルベリー、下唇は桜桃、髭は栗毬で、肩はキャベツとアーティチョーク…。
63個の全パーツ図解もあり、「えーっおデコはメロンなんだ~」などなど みなウケていた。

アルチンボルドからインスパイアされた映画を多々撮っているヤン・シュヴァンクマイエルの怪作
『オテサーネク』を最近観たばかりなせいか、ルドルフ2世が今にも動きだしそうに見えた。

アルチンボルドのようなダブルイメージの作品として、
江戸時代の浮世絵「寄せ絵」や「影絵」も紹介されていた。
「寄せ絵」は江戸的マスゲームとでもいおうか。一人一人、あるいは一匹一匹のポーズが絶妙。

歌川国芳の[みかけはこはゐがとんだいゝ人だ](左)、歌川国藤の[五拾三次之猫之怪](右)
国芳のはネーミングも洒落ている。


爆笑したのはこれ。江戸後期にブレイクしたという影絵を使った宴会芸ハウツー本の挿絵。
影絵そのものはなかなか風雅ながら、障子の奥では筋肉ぷるぷるのポージングで(笑)

歌川広重「即興かげぼしづくし」より、[鉢植に福寿草](上)、[梅に鶯](下)


その他、マグリットやダリ、エッシャーの作品も数点あったが、このあたりになるともはや
単純なだまし絵ではなく、形而上的で、虚実の錯乱を促す奥深い表現が面白いわけで、
もう少しバラエティに富んだ作品が並んでもよかったような気がした。
余談ながら、昔エッシャーの細密なジグゾーパズルにトライしたことがあるが、
完成するまでに本当に何度もめまいを覚え、脳味噌が捻転しそうになった。


年明けに惜しくも他界した福田繁雄の立体[SAMPLE](1977年)は、
フラ・アンジェリコの[受胎告知]に描かれた大天使ガブリエルを象ったブロンズ像の正面に回ると、
「SAMPLE」という文字がぱきっと浮かび上がるという、宗教画の神聖さを見事に換骨奪胎した
まさに福田繁雄らしいトリッキーでアイロニカルな作品。深い。



個人的に興味深かったのは、本城直季の「small planet」シリーズの写真作品。
画質を落としたweb画像では解りにくいけど、ミニチュア模型の渋谷駅前をなかなか
精巧に作っているなぁ…とまじまじ眺めているうちに、実はこれが実写の渋谷であることに
はたと気付かされる。わざとミニチュアのような手法とアングルで撮影し、
観る者の意識をスケールの著しく異なる虚実の間で二重に錯乱させているわけだ。
[2006年]


爽快にだまされた後、短歌関係のパーティに出席する母と別れ、
帰りに表参道ヒルズで開催していた[Blythe Fashion Obsession] に寄り道。
会場には各種ファッションブランドやクリエイターにこれでもかと凝ったスタイリングを施された
ブライス約100体がずらり。珍しい小動物でも観察するみたいに、つぶさに堪能した。
ファッションというのも美しい「だまし」プレイのひとつ。100通りに化けたブライスの
ほんとうの顔はどれなんだろう? たぶん、この答えは永遠に出ないと思うけれど。




火曜は母を東京駅まで見送った帰り、和田倉噴水公園で小休憩。
パレスホテルは建て替えのため、遂に跡形もなく消えてしまった。。
太陽が急に輝き始めた昼下がり、滝のように流れ落ちる噴水の裏側から、しばし世界を眺める。


パレスホテルや和田倉噴水公園が登場する三島由紀夫の短編『雨の中の噴水』を思い出し、
同じ10代の頃に傾倒していたケネス・アンガーの短編映画『人造の水』の場面を思い出し、
さらに映画の舞台になったローマ郊外のティボリ庭園に遊びに行った頃のことを思い出し、、
めくるめくぼーっとしていたら、細かな水飛沫でワンピースがしっとり濡れてしまった。
 



木曜は西麻布で取材後、STUDIO TORICOのすぐ側だったので、キムリエさんに電話して合流。
ちょうど側のギャラリー・ル・ベインで「触れる地球展」を開催していたので一緒に見学した。
手で押すとセンサーがキャッチして回転する実物の1000万分の一の地球儀と
それをさらに縮小した地球テーブルが展示されており、温暖化や異常気象も一目瞭然。
各都市のネット中継画像も見られ、地球儀の一挙一動に子供みたいに大反応してしまった。


神の視点で地球に触れる感覚とでもいうか、この惑星が妙にちっぽけで儚く愛しく思えた。
何億年前からのダイナミックな大陸移動の動きを眺めていると、
国境も国家も小賢しい文明も 砂上の楼閣だなあと。

その後、キムリエさんと広尾まで歩いてのんびりお茶し、さらにもう少し散歩したい気分だねと
骨董通りまでてくてく歩き、キムナオさんも合流して夜更けまで3人でゴハン。
いっぱい歩いていっぱい話した夏の午後。地球が静かに回転している間に――


6月後半は家にこもって原稿を書いていることが多かった反動か、
7月に入ってからよく歩いている気がする。雨予報では自転車にも乗れないからなおさら。
歩いているといろんなことを考える。それが楽しいからまた歩く。乗物の中とは違う思考回路で。

歩きながら時々、「ところであの猫はどうしているだろう?」と考えることがある。
そう思った瞬間、その猫が目の前に現れて驚くことが最近頻発。とくに黒猫。
ニキだけは 現れないけどね。
 
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