ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ヴィクトリア湖の雲

2009-07-05 02:28:25 | アフリカ

 ”ENDURANCE”by Les Mangelepa

 もう日付けは昨日になってしまったが、いきなりクソ暑い夏が一気にやって来た土曜日、もはや海水浴モードに入ったかに見える観光客諸氏の群れを背に家にこもり、役所に提出する面倒くさい書類2通を作成するために、めったに座らない仕事机の前に座り、覚悟を決めてCDプレイヤーをスタートさせたのだった。
 仕事のBGMに選んだのが、東アフリカ流浪バンドの元祖と言えるのかもしれないコンゴ・ルンバの”マンゲレパ”のアルバムだった。

 バンドのメンバーから機材から家族に家財道具一切までを車に押し込み、より良いギャラを求めて国境線を越えて東に向かったコンゴ(当時ザイール)のまさに”トラベリン”バンドの流浪の物語は以前、この場に書いたことがある。
 まあこちらは、アフリカの太陽の下、そんな風の吹くままのバンドマン稼業なんてちょっと良いじゃないか、とか適当な事を言って安易なロマンに酔っていればいいが、現実にやるとしたら、そりゃハードだろう。と言いつつ、資料さえ揃えば彼らを主人公に小説の一本も書いてみたい欲望にも駆られる。

 東アフリカを流浪したバンドを聴く醍醐味の一つは、行く土地それぞれの現地の音楽に影響を受け、というより現地の人々に”受ける”ためにというべきか、さまざまに変化していったサウンドだろう。もともと彼らが持っていた”本家コンゴ・ルンバ”たるリンガラ・ポップスに現地のリズムが、メロディが、言語が混じりこみ、異郷にある緊迫感と自由さが不思議に交錯した、独特のファンキーさを形作っていた。

 そんな東アフリカ出稼ぎバンドのサウンドに惹かれ、彼らのアルバムを夢中になって探していたのは、もう20年以上も前になるのか。このCDだって、そんな昔の思い出のために買い求めたものだが、実は一度も聴く事もなく退蔵していたものだった。
 久しぶりに聴くマンゲレパの音は、当然というべきか二周りくらい時代が過ぎてしまった音がした。アフリカン・ポップスの辺境にあって時代を鋭く撃つ!なんてこちらの思い入れから解き放たれたその音からは、やっぱり広大なアフリカの草原の空を悠然と行く雲のイメージがこぼれた。

 ボコボコと地の底から湧き出るような、独特のファンキーなフレーズをベースが奏で、ドラムが奔放に暴れまわる。ギターやホーンやボーカル群が織りなすアンサンブルもずいぶん隙間の多いもので、そのルーズさが生み出す高いファンキー度が嬉しい。
 間奏でホーン・セクションがアドリブ合戦を繰り広げる一幕があるが、こいつも”東アフリカ・ジャズ研究会”とあだ名を付けたくなるような気楽なノリがあり、こちらまでニコニコと幸せになってしまう運びだ。

 そんなバンド全体を覆うアバウトな乗りが、”本家”コンゴのバンドの、きっちりと構築されたアフリカン・ルンバの美学をあざ笑うかのように陽の当たる草原を疾走して行く。良いよなあ。昔好きだった”Malawi Zikama”なんて曲は今聴くと、倍、良い曲に感じられる。いかにもアフリカらしい、野生が吠えてる感じのメロディ。

 そんな彼らの出稼ぎ天国も永遠のものではなく、そのうちケニアの政府が自国の芸能者保護のために外国人バンドを締め出すような政策を取り、バンドたちは一番の稼ぎ場所を失って、さらに東アフリカの辺縁へと流浪を続けて行くのだった。
 とか言ってるが私も彼らのその後の運命を知らない。ちょうど同じ頃、本家コンゴで興隆を迎えていた過激なサウンド、”ルンバロック”の諸作がようやく日本でも手に入るようになって来ていて、そちらを追いかけるのに忙しくなって来ていたからだ。うん、観客なんて気ままなものです。

 いやほんとうに、彼らはその後、どうしたんだろう?などと今頃思ってみても、調べようもないことなのだが。
 

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オラタイ・ジ・アイスドール

2009-07-04 05:23:14 | アジア

 ”MAR JARK DIN” by TAI ORRATHAI

 しばらく興味を失いかけていたタイの音楽をまた聴くようになったのは、ブログ仲間のころんさんの文章を読んでいて、そのタイ音楽への入れ込みようがなんとも楽しそうだったので、こちらもついお相伴にあずかりたくなったというのが正直なところだろう。

 で、ころんさんの足跡を追う形で(?)「なるほど、これは面白い」「これは趣味じゃないかな」などと勝手な事をいいながら、あれこれ聞いていっている次第なのだが、今回はころんさんが苦手とされているらしい、ターイ・オラタイ女史である。

 今日のルークトゥン界で名歌手の評価のある歌手ではあるが、ころんさんは彼女の歌を苦手にしておられると言う。
 その理由として「歌い口が非常に硬くてその歌唱に人間的な温かみが感じられない」「あまりに生真面目な歌で、ユーモア感覚とか洒落っ気なんかはほとんど感じられない」「感情が表に出てこないクールな歌で、場合によっては少々重苦しい感じがします」といった事柄をころんさんはあげておられる。

 なるほど、それで実力派となれば、”鋼鉄の女”みたいな歌を聴く羽目になりそうだな。とは思ったものの、そんなターイ・オラタイを聴いてみる気になったのは、彼女が美人だからである。なんの事はない、ジャケ買い、ジャケ買い。
 で、彼女のCDを買い込んだ私は、まあ試しに、恐る恐る聴いてみたのだが、ありゃりゃ、特に違和感なく聴けるじゃないか。

 ころんさんはああ言ったが私には、むしろ好ましい歌手として感じ取れる。確かに硬くクールな歌い方かもしれないが、むしろその硬質な感じがテクノというかプラスティックというかハイテック感覚と言うか(いちいち表現が古いな、俺は)無機質っぽくてカッコいいじゃないか、なんて私は感じてしまったのである。

 たとえばどこかにコンクリート打ちっぱなしの、広くて何も置かれていない部屋があって、そこに風が吹き抜けている。窓の外には人っ子一人いない公園があり、空には灰色の雲が垂れ込めている。そんな風景がターイ・オラタイの歌の向こうにあって、その風景のかもし出す孤独が、疲れた現代人の私には歪んだ癒しになる、そんな感じ。なんて説明では、分らない人にはますます分からなくなるか。

 そして、あまり感情の起伏がなく湿度も低く設定された彼女の歌が私には、日常生活で背負い込んだ人間関係の重苦しさにひとときの涼風を吹き込んでくれるような感触も感じ取れるのである。うん、重苦しい歌どころか、その逆。
 まあね、同じ歌にもいろいろな聴こえ方がありますという事で、こんな感想も許してもらうしかない。

 それにしても現地タイの人たちは彼女の歌を、実のところどのように受け止めているのか。そして私のこの感想を聞いて彼らはなんと思うのだろうか。


●試聴1

●試聴2


バンコックが泥酔する夜

2009-07-03 02:25:20 | アジア


 ”Nangsao Nancy” by Mangpor Chonticha

 タイの大衆歌謡ルークトゥンの世界でも、ひときわディープな歌い手である Mangpor Chonticha の4thアルバムであります。

 このアルバムのタイトル曲である”Nangsao Nancy”を歌う彼女の映像に、他の事を調べていて検索していたYou-Tubeで偶然出会ってしまった時のインパクトは忘れがたい。
 ダンサーたちを引き連れて歌い踊る彼女の所作は明るい演出が成されていたのだけれど、見ているうちにその曲の孕む”汎アジア的貧乏の予感”みたいなものがメロディのあちこちに滲み出しているような気がしはじめ、そいつが頭を離れなくなったのだ。

 そして私は、その曲を何度も聞き返せずにはおれなくなり、気が付けば彼女のCDが手に入る場を求めてネットの世界を彷徨っていたのだった。あの曲をもう一度、いや2度でも3度でも聴きたい、と。
 舞台の輝きと喝采の下には、戦前、東南アジアを遊民として横切った詩人・金子光晴が詠った、貧しいアジアの女たちの嘆きが、いくら時代が移ろうと変わることなく息をひそめて登場の時を待っている・・・曲のメロディを追ううち、そんなイメージに私は取り付かれていたのだ。

 日本ではGSなんかでお馴染みだったAm-G-F-E7のコード進行に乗って、「いかにも歌謡曲」な安っぽいホーンによるイントロがうねりながら流れて行く。突込み気味なリズム陣がカツカツと”メコン河クラーベ”な脈を打ち、”演歌に目覚めたサンタナ”みたいなヘビメタ調ギターが饒舌に暴れまくる。アコーディオン等がソロを取ると香る、昭和30年代の日本を想起させるレトロなイメージ。
 そして歌いだされる、出所不明の懐かしさ漂う、どこかうら寂しさを秘めたメロディ。

 一回聴けば覚えてしまうような、実にベタな構造の単調なメロディが執拗に繰り返されるのだが、この曲の出所は何なのだろうか。普通のルークトゥンのメロディとは、若干構成が異なるような気がする、私は。
 メロディの裏に幻視した私的イメージに耽溺し過ぎたかも知れない、との反省もありつつ、こんな事考えちゃったんだからしょうがないじゃないかと居直り、記す。まあ、下に試聴を貼っておくので、そちらで現物に接してみてください。「なんだよ、陽気な曲じゃないか」と呆れられるんじゃないだろうか。

 Mangpor は声量はあり音程は正確できれいなコブシ回し、ずいぶんと端正な歌い手である。後半の民謡調のナンバーなどでも、その実力は明らかなのだが、毎度タイ情報を参考にさせてもらっているころんさんによれば、この数年、彼女は芳しくない出来のアルバムを連発しているらしい。
 このアルバムでは安定した実力を発揮しているのだが、その後、どうしてしまったと言うのだろう。その辺も気になるので、彼女をもう少し追いかけてみようかと思っている。


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コーヒー

2009-07-02 04:46:35 | いわゆる日記


 コーヒーといえば、スーパーで売っている1リットルのパック入り98円也、のコーヒー(加糖、ミルク無し。スーパーのオリジナル商品)が一番好きという根がジャンク好きの私であります。通の人には聞かせられない話ですが。

 いやあそのコーヒー、子供の頃にあった、ビン入りの原液をカルピス式に水で薄めて飲むコーヒーの味を思わせるものがあって、なんか愛しいんですよ。

 ちなみにその思い出のコーヒーのビン、ラベルに黒人のイラストがあって、あれも良い味を出していて好きだった。でもきっと今は、”ちびくろサンボ”と同じく差別と責められ、社会から抹殺されているのでしょう。

”野辺”

2009-07-01 05:17:13 | その他の日本の音楽


 ”コパン”BY 大貫妙子(”野辺”所収)

 6月の30日は父の命日だった。とりあえず墓参りと言う事で車を出し、母を乗せて寺に向った。朝方まで降り続いていた雨が上がってくれたのはありがたかった。重苦しい曇天であろうと、雨が降るよりまだマシだ。
 途中で、となりの町内に嫁に行った妹を拾って行く。賑やかな事の好きな家なら親類縁者を呼び寄せて賑やかにこの種の事をやるのかも知れないが、私の家はそうではなく、いつの間にかこの三人の、まあ、いつでも集まれるメンバーで法要関係を執り行う慣わしとなっている。

 それにしても。父の葬儀の日に、何も分からずはしゃいで暴れまわっていた姪が、今では保母として働いているのだから、油断していると歳月はいくらでも流れる。

 とりあえず墓所を掃除し花を替え線香を手向けた。こんな機会でもなければ合えない、などという顔ぶれでもなし、どうでもいいような世間話や噂話のタグイをしながら行程を終え、近くのファミレスによって軽食、と言う運びになる。確か何年か前には同じメンバーでステーキハウスに行ったものだったが。こんな具合に”行くものは日々に疎し”となって行くのだろう。

 母と妹の無駄話を聞き流しながらファミレスに向う車のハンドルを握り、妙にシンとした気分になっていた。家にあまり還って来ない父であり、子供の頃はいつもこの3人で食卓を囲んでたものだが、なに、時は流れても我々は同じ事をやっている。

 そして私は。父の急死を受け、なんだかドサクサな運びとなり、継ぐ気もなかった店の経営を成り行きで受け継ぎ、やめるきっかけもつかめぬまま今日まで来てしまった。とはいえ、それまでやっていた職業が”バイトで食いつなぎつつ、ギター抱えて旅に出てはライブハウスやら路上やらで自作の歌を歌う”といったものだったから、どちらがマシと言うものでもなかったのだが。

 母も妹も、そしてもちろん私も歳を経た。と言うより老いつつある。時との戦いに勝利するすべはない。
 命ある私たちと、逝ってしまった者の世界が出会う境目を歌ったものとして、私は大貫妙子の”野辺”という歌は非常に優れたものと思っている。素朴なメロディの、ある種スピリチュアルな趣のある旋律を持つ曲。風に揺れる野の花に託して、生のサイクルの一つを終え、自然に帰る命の姿がよく描かれていると思う。

 あの日、父の遺体を乗せた車から降り、これから厄介になる火葬場の係員に挨拶をすると、彼は私の持っていた具物を見て、「あ、野膳はこちらにいただきましょう」と言ったものだ。 なるほど、野膳というのか。その時、うら寂しい山上の野原でこの世で最後の食事をする経帷子姿の父の姿が見えるような気がし、それ以前から愛聴していた”野辺”のメロディが、それまで気が付かなかった懐かしさを持って心の中に響いたのだった。

 気が付けば、今年もまた我が家の駐車場の梁にツバメが巣を作っている。この連中がこの営業をはじめ、駐車場の床が、時に車のボディが奴らの糞で汚されたりする事で、我が家の人間は夏の到来を実感するように、もう大分前からなってしまっている。
 毎年やって来るツバメたちはかってその場を訪れたツバメたちの眷族にあたるのか、それとも本能の印す道筋に導かれてやって来た、見知らぬ血筋の者たちなのか。見当も付かぬまま、今年もまた夏がやって来ようとしている。