”Aşkların En Güzeli”by Deniz Seki
と言うわけで前回に続き”中東の懐メロ・シリーズ”であります。
これはトルコのセクシー系歌手、”Deniz Seki”が1970年代のトルコ歌謡の名曲群を再生させたアルバムだそうで。
冒頭から、歌手の歌いっぷりもバックのサウンドも、なんだか倍賞千恵子の”さよならはダンスの後で”あたりを連想させる、いかにも歌謡曲な世界が展開されます。
エレキギターのリズム・カッティングが印象的なリズムセクションと、アラビックな旋律を奏でる民俗弦楽器に重なる切ないストリングスの響き。いやあ、”歌謡曲”だなあ。
曲調は多彩で、ギリシャっぽいメランコリーが展開されるかと思えば、フラメンコ・ギターが駆け抜ける情熱の迸るナンバーもあり。そしてどの曲も、非常に生々しいメロディ・ラインを持っている。
今日のこの方面のポップスで聴かれるような、”アラビックなメロディが妖しげに”という感じよりは、”切ない短調のメロディ”が支配的な世界。要するに”正しい民俗ポップス”というよりは”下世話な大衆娯楽としての歌謡曲”なんですな。
イスラム世界における”ベタな歌謡曲”のありよう、なんてものを考えてみたくなったりします。あるいは、国境を越えて偏在する”下世話な民衆音楽”なんてイメージ。
唄のバックでリズムを叩き出しているのは、ワールドミュージック的な意味でかっこ良い民俗打楽器じゃなくてボンゴだったりする。で、「ああ、この国でも昔、ラテンが流行った時期があるんだなあ」なんて分かってしまったりする仕組みで。
どこの国においてもこの種のベタな歌謡曲世界は、その国の大衆音楽シーンが成熟へ向うとともに失われていってしまうのだけれど、これは仕方のないものなんですかね?なんだか惜しい気もするんだが。
洗練されたものばっか聴いていると、頭おかしくなっちゃいますよね(ってそんなことないですかね?笑)。
正しい音楽ばかりになっちゃうと、ね。
なんか息がつまる感じで、面白くないですよ。
もともと、正義なんかを求めて音楽を聴き始めたわけでもなし。
洗練された音・・・っての自体、その存在を認めないって境地に至っております。いかな洗練といえども、その文化内の”土俗”と思っております。プログレなんかもヨーロッパの民俗音楽の一種と考えてますし。