ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ムーミンの闇

2011-01-29 03:23:31 | ヨーロッパ

 この間、”ムーミンのオリジナル・メロディ集”とでも呼ぶべきアルバムに触れてみたんだけど、そういえばムーミンの話って、まともに読んだ事がなかったなあと気が付いた。そこでふと気まぐれを起こし、書店でムーミンの本を2冊ほど適当に引っ張り出して買ってみた。まあ、もともと北欧の文化には興味があるし、この辺も読んでおかなけりゃと思っていたんで、ちょうどいいきっかけでもあったのだった。
 で、その二冊を読んでみたらどちらにも、「これはいつものゆかいで楽しいムーミン村の話とは様子が違っているので戸惑われた方も多いかと思います」みたいな解説が付いていたんで、自分の超能力に驚いた次第。よりによってムーミン・シリーズの中の例外的な二冊を何も予備知識なしに買ってしまうなんてなあ。

 どう例外的と言えば、どちらも暗いのだった。
 まず一冊、「小さなトロールたちと大きな洪水」、これがムーミンシリーズの実質的第一作のようだが、大洪水に襲われ、何もかもが姿を変えてしまった世界をムーミンが母親と二人で、水に流されていなくなってしまったお父さんを探し彷徨う話。
 これはほんの短い話で、まともに本にさえしてもらえなかったそうだ、まだ無名の新進作家だったトーベ・ヤンソンは。
 次に長編としての第一作となるのが「ムーミン谷の彗星」であって。これは彗星が地球にぶつかるという終末テーマのSFものであり、これは明るくなりようがない。作者も苦戦したようで、初版にいろいろエピソードを加え、明るく躍動的な話にもって行こうとしたようだ。が、地球に彗星がぶつかる”終末もの”なんだからどうにもならん。訳者も前向きの解釈を解説で述べているのだが、そいつもやっぱり苦しい言い訳ぽかったりする。そうそう、コミックスは小説とは別のストーリーになっているとか。

 で、先に述べた「大きな洪水」は、その後日談と取る事も出来るんだが、”大破壊”に襲われた廃墟の地球をさまようムーミンとママが描かれている。最後に二人はパパと出会え、ハッピーエンドのように終わるんだけど、それは無理やり作ったエンディングで、むしろ流れとしては不自然。
 現実に、物語の流れの中では、パパは死んでいる。筋運びの中に、死の雰囲気が濃厚に流れている。二人のもとに偶然に流れ着く、ビンの中に入ったパパの”遺書”などど真ん中で、ともかくそんな雰囲気しかしないんだから、いくらめでたしめでたしと言って終わろうと、どうにもならない。

 訳者の解説によれば、これは作品執筆当時、ソ連との戦争に破れ疲弊した故国フィンランド社会を悼んだヤンソンの思いが反映しているのではないか、とのこと。
 そうかもしれない。そんな具合に心の奥にたまった澱を吐き出さねば、その後のムーミン谷の明るく楽しいファンタジィを紡ぐことは不可能だったのだろう。
 でも、なにもねえ、そんな無理しなくても。この辺の作品は没にして、その後に書くことになる”明るく楽しいムーミン物語”だけ発表しておけばよかったじゃないか。とも思うんだが、ヤンソンにしてみれば、イメージ違いの初期ムーミン話でも世に出しておかねば、作家としての人生に落とし前が付かなかったんだろうねえ。因果な話だなあ。

 へえ、こんな重苦しいエピソードに出会うとは思わなかった。無心にムーミンを読む子供たちはこれらの部分をどう納得して読んでいるんだろうな、などと。まあ、私が心配しても仕方がないことだけどね。
 上の画像は映画、”冬戦争”のポスター。下に貼ったのは、北欧先住民サーミの歌手、Mari Boine の歌です。私はムーミン一族に、このサーミの人々の面影が宿っているような気がしてます。