現在、フジテレビで東京ラブストーリーを
再放送しているが、ナニコレという感じなのだ。
当時は毎週楽しみに見ていたのに、今では
韓流ドラマと同じような印象を受けてしまう。
なぜか、出演者の演技が鼻を衝いてしまい、
韓流ドラマとの違いが判らない。
この時代はバブル期であり、この様な
ドラマが当たり前だったのかも知れない。
今のサムスンなどの韓国メーカーの躍進と
同じで韓国を象徴しているような感じだ。
確かに今の韓国はワンレンボディコンギャルが
闊歩していてバブル期の日本に似ている。
ただ、今の日本はバブル期と何が違うのかと
言うと、答えは出ない。
それでも言えるのは、日本はバブル期の
日本と日本人が変わっているのは
間違いない。
変わっているのはテレビ放送や情報メディア
ではない。
変わったのは日本の国民なのだ。
以下は2015年3月8日に掲載したものの再掲載。
ここからは私の推測だが、当時の中国は
農業中心で化学工業は発達していなかった。
このため中国では人工的にかん水を作る
ことができず、内陸部にあった湖沼の
かん水を取り尽くした事で、中国の
ラーメン文化は消滅したのではないだろうか。
現在、ラーメンは全世界で食べられて
いるが、ラーメンが日本に伝わっていな
かったら、また、日本が工業国でなく、
農業国だったとしても、現在のような
世界のラーメン文化は消滅していただろう。
ラーメンは中国発祥だが、現在の
ラーメン文化は日本が築き上げたものだ。
そして、ラーメンの本場は中国にはなく
全世界で日本だけがラーメンの本場なのだ。
この項終わり。
以下は2015年3月5日に掲載したものの再掲載。
製麺所ではラーメンの製麺を始めれば
製麺機の稼働が上がり、収入も増えると
考えた。
しかし、蕎麦屋やうどん屋の業界が猛反対
をした。人気のラーメン屋が増えてしまえば
自分たちの死活問題だった。
しかし、最後にはそれらを説き伏せ、
製麺所はラーメンの製麺を開始した。
この事でラーメン事情は大きく変わった。
ラーメン屋は店舗にラーメンスープだけを
用意して麺は製麺所から仕入れれば良かった。
このため狭い店舗でもラーメン屋を開業
できたため、ラーメン屋はものすごい勢いで
増えた。
戦後、武器の需要がなくなり、軍需産業は
この頃から製麺機の製造を始めた。
また、麺を製麺機で大量生産したために、
ラーメンの値段は下がり、それまで
中華料理店の高級料理だったラーメンは
一気に庶民の食べ物となった。
これが日本がラーメンの本場になった
最大の理由だった。
やがて日本ではインスタントラーメンが
生まれ世界の食べ物となった。
中国が発祥のラーメンだが、それを世界に
広めたのは日本の工業力だった。
この項終わり。
以下は2015年3月4日に掲載したものの再掲載。
中国から伝わったラーメンは手打ちラーメン
だった。
この手打ちラーメンはかなりの技術が必要で
中華料理店の職人だけにしかできなかった。
誰もが簡単にできるというものではなかった。
元々日本には麺類としてうどんや日本蕎麦が
あった。
もちろん手打ちうどんや手打ちそばもあったが
工業国の日本には製麺機と言うものがあった。
一般のうどん屋やそば屋は製麺機のある
製麺所で打ったそばやうどんを仕入れて
営業をしていた店が大半だった。
製麺所ではうどんやそばを打った後の
製麺機は空いていたのだ。
製麺所ではこの空いている時間でラーメンを
打てないかと考えた。
この項続く。
以下は2015年3月3日に掲載したものの再掲載。
中国からのかん水の量は限られていた。
このため中国より化学工業が盛んだった
日本では工業用の苛性ソーダや重曹など
から人工的なかん水を作り上げた。
このかん水で増大するラーメンの需要に
こたえたのだ。
この人工かん水がラーメンの大量生産に
つながり日本をラーメン大国にした要因の
ひとつとなった。
しかし、酒の代わりに工業用のメチル
アルコールを飲んだ人が失明するなどで
工業用の化学薬品を使用したかん水に
批判が集まった。
現在、食品添加物として販売されている
かん水は植物等から抽出した炭酸ナトリ
ウムを主成分とした物で中国から伝わった
かん水とはかなり違っている。
現在のかん水で作られるラーメンは
ラーメンとうどんの中間的存在になっている。
当時のラーメンを知る人は色も濃く透明感が
ありコシが強い当時のラーメンの方が誰もが
美味しかったと口をそろえて言う。
この項続く。