昨日、赤羽では不発弾処理が行われた。
これは不発弾が見つかった頃の写真。
以前の上中里での不発弾処理は砲弾だったため爆破処理されたが、
ここは1t爆弾のため信管を外して移動する作業だ。
発見からだいぶ経って土嚢が持ち込まれた。
爆弾付近に土嚢が集められた。
さらに土嚢が積まれ。
これが不発弾処理前の様子。
戦後70年も経って不発弾が見つかっているがなぜなのか。
ここの最近の護岸工事は戦後行われている。
その当時も不発弾は見つかっていたはずだ。
ただ、当時は不発弾処理の技術が確立していなかったため
再び埋め戻していたのだ。
私が子供の頃、家の近くの下水の工事で不発弾が出てきたが
直ぐに埋め戻していた。
まだ出てくるのではないだろうか。