ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

名取市へ

2011年07月12日 | 東京~新潟~仙台~東京
17日は朝から松島へ行く。
ここは今回の震災では比較的被害が小さかった地域と言われている。
実際行ってみると、そこそこ修理されている店や家はあるが、
海岸縁の割には津波の影響は少なかったようだ。

まず瑞巌寺に行き、いろんな事を参って、次に松島の海岸を眺めに行く。

瑞巌寺参道
既に観光船は営業していて、少なからず観光客が乗り込んでいる。

松島遊覧船

昼を仙台駅で済ませて、Kさんの住む名取市へ向かう。
駅に着いて、連絡すると既に駅前に迎えに来てくれていた。
彼女の家は名取市の閖上地区にあったのだが、
今回の津波で完全に流されて、基礎部分しか残っていない。
そのため名取市中心部のマンションを借りて、ご主人と一緒に避難生活をしている。
その家まで案内されていくと、ご主人もわざわざ仕事を休んでくれて迎えてくれた。

Kさん夫婦の仮の住まい

しばしお茶をした後、家のあった閖上地区まで車で案内された。
家を出てまもなくすると津波の爪痕が至る所に見られ、
途中検問らしきものを抜け、閖上地区に入るとほとんどの建物が流され、
家の跡形と言える基礎部分だけがずーっと広がっている。
瓦礫の撤去はかなり進んでいるらしく、Kさんの家の後にも何も残っていなかった。

瓦礫撤去作業車がひっきりなしに動いている

海岸縁には数百台の車が廃棄され、ビルの5階分もあるような高さに瓦礫が積まれている最中だった。

遙か向こうに撤去された瓦礫の山ができている
海岸の松林は無残にも赤く枯れて倒れかかっていた。

バンコクのホテルで何回も見た農地の全てをなぎ倒して迫る津波の映像は、
この名取市の被災のものだった。
Kさん夫婦はその日は偶然出かけていて、家に帰る途中に津波が来たということで、
2人とも命に別状はなかったが、家は流され、Kさんの車も流され、
家から何も取り出すこともできず、全てを失ったということだった。

まだ瓦礫の撤去が済んでないところもある

震災後、アルバムでもいい、結婚指輪でもいい、
何か残っていないかと、何度も家の周りを探したそうだが、結局何も見つからなかったと肩を落とされていた。

何かないかと自宅の跡地で地面を見つめるKさん
Kさんの家にあるものは家具や電気製品など全てが新品だったが、
それは新しいものが持つ派手やかさより、使い込んだものが何もない寂しさを語っているようだった。
一瞬にして日常の全てを失ったKさんに何と声をかけたらいいのか、
私は言葉を見つけることができなかった。

閖上を出て、日本三大稲荷といわれる笠間稲荷神社を訪ね、
被災地の復興とKさん夫婦のこれからを祈って、いったん家まで帰り、
すぐに名取駅から電車で仙台駅に出る。
駅の近くの居酒屋に予約しておいてくれたようで、そこで3時間以上歓談し、再会を約して分かれた。

本当に久しぶりに仙台で飲んだなと喜んでくれたのが何よりだった。

被災後の後日談も聞かせてもらったが、
そのどれもが、未曾有の大災害が人々の人生に与えた影響の大きさを感じさせるものだった。

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