ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

名も知らぬ駅に来ませんか  -12-

2009年11月11日 | 「名も知らぬ駅」に来ませんか
Nさんは、常連のSさんの連れでやってきた。
Sさんはよく来るというほどではないが、最低でも月1回は来てくれる。
熊本市内に住んでいるわけではないから、
比較的よく来る方だと言っていいだろう。

もう、10年以上も通ってくれるお得意さんである。
Sさんはよく女性連れで来ることが多いが、
女性数人だったり、女性と2人だったりで、
どちらかというと2人連れで来る方が多い。

Nさんは初見のお客さん。少し目元がきついが、整った顔という印象で、
あまり背は高くないものの、きれいなスタイルをした女性である。
Sさんが連れてくる女性は、いろんなタイプがいるが、
そのいずれも、可愛かったり、美人だったりする。
よくそんなにいろんな女性に縁があるものだと感心してしまう。

Nさんは、マンハッタンをオーダーしたところをみると、
アルコールは、かなりいける口なのかと思われた。
マンハッタンは、ライウィスキーにスイートベルモットを加え、
ステアーしてカクテルグラスに注ぎ、レッドチェリーを飾ればいい。

このカクテルは、第19代アメリカ大統領選の時代、
イギリスのチャーチル首相の母親が、
ニューヨークのマンハッタン・クラブでパーティーを催したときのこと、
ウイスキーとスイートベルモットの組み合わせたカクテルを提案して、
それが好評を博し、そのクラブの名前に因んで命名されたという謂われがある。

マキちゃんは、いつものようにSさんと連れの女性の関係を、
何気ない話題で聞き出そうとするが、
これもいつものように、Sさんに上手くはぐらかされている。
それとなく耳に入る2人の会話を聞く限りでは、
今日初めて2人で飲みに来たようである。

何か食べたいな、というNさんのオーダーに、今晩の肴を出す。
薄味で煮込んだ里芋をつぶして置いておき、
少し脂身の多い牛肉を包丁で叩いて粗挽き状のミンチにし、
甘辛く濃いめの味をつけたものと、
ギンナンを擂り潰したものを混ぜ、つぶした里芋に混ぜる。
これをミートボール大にしてコーンスターチをまぶして揚げ、器に盛る。
ほんの少し豆板醤を入れ、酒とみりん、醤油で出汁を作り、
水溶き片栗でとろみをつけて里芋にかけ、その上に白髪ネギを載せる。

今夜は週末だからか、お客さんが多く、
Sさんたちばかりに構っているわけにもいかず、
カクテルのオーダーをこなしているとき、
「マキちゃん、ちょっと。」と言うSさんの声がした。
なにやら小声でやりとりしていたが、
マキちゃんがトイレに向かって、小さくドアをノックしながら、
「大丈夫ですか。」と言っている。

どうやら、Nさんがトイレに行ってずいぶん時間が経って、まだ戻っていないようだ。
そういえば、Sさんの隣の席が空いている。
トイレの中からは返事があったようで、
マキちゃんはカウンターに戻ってくると、Sさんに、
「大丈夫みたいよ。すぐ出るって。」

ほどなく、Nさんは俯きながら、席に帰ってきた。
入れ替わりにトイレに行ったSさんの横の席で、俯むいたまま、
「何を期待しているんだろう、私。」と呟くNさんの方を向くと、
涙を拭いたあとのようなNさんの顔が見えたのは、私の思い違いだったろうか。

「今日はSさんに、飲みに連れてってと、私から頼んだの。」
Nさんは、少し悲しそうな微笑を浮かべて、私に言った。
「Sさんは少し鈍い方ですから。」と、私も笑いながら答えた。
Nさんに何があったのだろうかと、私は考えても詮無いことと思いながら、つい思いやった。

Sさんは、朴念仁なところもあるが、決して鈍い人ではない。
奥さんも子供もいるからか、連れの女性には、
自分を、わざと相手の心根が理解できない、鈍い男に見せることがある。
Sさんは、若い女性と、ただ飲んで話すのが楽しいのだろうと私は思っている。
だからといって、Sさんが奥さんに対して潔白であるとは思えないこともあるのだが。

Nさんが寂しく微笑んだときの目は、
じっとグラスを見つめているときのように険しい印象はなく、
ふと、肩を抱いて守ってやりたくなるような感じになって、
Sさんは、あの表情を見せられても、
私の店を出た後、何事もなく彼女を見送ったのだろうか。

その後の展開はどうだったかですって。
あなたもマキちゃんのようなことをお聞きになりますね。
名も知らぬ駅に来てSさんに確かめてみますか。

※「名も知らぬ駅」という店は実際にありますが、内容はフィクションです。

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